2012年12月25日火曜日

神様と仏様 その2


この本は、コーチングが専門の伊藤守の本。この手のビジネス本のほとんどは、認知行動療法の応用で、現象の見方を変えることで、自分の行動を変化させる、おおざっぱに言うとそういうことで、何か新しいことが書いているわけではない。けど、時々、読んでみるのも悪くない。

三連休も毎日、トラブルや相談の電話が会社からかかってくる。時には、出張って対応もする。研修もあったり、持ち帰りの仕事もあったりで、この1ヶ月ほとんど休みもなかったし、連休の三日目は、もう気力も体力も尽きてしまった。パートナーと出かける約束も果たせずに、寝て過ごすことにした。その間にも会社から電話がかってくる。

けれど、考えてみれば、私には、大切な家族や素敵な友人がいて、それが、神様か誰かの贈り物だとしたら、多少の苦労があったとしても、すでにおつりがくるくらい充分な幸せを先にをもらっているんだね。今日はクリスマスでもあるし、神様とついで仏様にも感謝することにしよう。ああ、これも認知行動療法の応用だね。

私は、無力だといつも思う。けれど、世界中の誰かのしあわせを祈るくらいのことはできる。すこしは、役に立つ人間であろうと思う。クリスマスだからね。

PS.会社でサンタのコスチュームで客にプレゼントを配る。意外かもしれないけど、嫌いな仕事じゃないのだよ。

2012年12月23日日曜日

神様と仏様


朝からいつものカフェで5時間ほど仕事をして、疲れたので帰ろうと出たところで、会社からトラブルの電話が入った。神様とか仏様というものがいるのなら、私は彼らに嫌われているのに違いない。謝罪して、現場で対応を済ませたら、日も沈む時間になった。

薬でごまかしながら、ようやく生きている状態で、すでに心と体はボロボロだ。しばらくそうやってしのいで行く。仕事があるだけまし、そうやって自分に言い聞かせながらね。

そうそう、いつものカフェが新聞の記事になり、テレビの取材も受けたそうな。あの店を愛してくれる人が増えるのなら、素直にうれしい。

2012年12月20日木曜日

謝罪の日々


トラブルが続く、部下の不満が続く、謝罪の日々が続く、倦怠感が続く、仕事が続く、休みはない。最後の最後に責任を取るのが管理職の仕事。だよね。だけどね。辛いわ。

仕事が片付かないので、会社の行き帰りにカフェに寄って仕事。こんな状況を部下のせいにするわけにもいかない。会社は組織だからね。自分に能力が足りないと考えるのは、病気の始まりだ。気をつけよう。

2012年12月14日金曜日

究極の願い


会合のために、市内へ。早めに出て、街中のマクドで朝食。週末も仕事、いつ休めるのかな。体の倦怠感が抜けない。「だいじょうぶか」と心配してくれる人がいる。だからこそ、頑張ってしまう。このまま、ばったり倒れてしまえるといいのにと思う。思うけれど、それは、誰も幸せにしない。誰かを幸せにしたい。それは、究極の願いだろう。

2012年12月13日木曜日

トラブル


師走になって、笑えるくらいのトラブルが続いている。これからしばらく、いくつもの案件を同時に対応することになる。酒飲みではないので逆に、この小説の酒の蘊蓄は面白い。何となく酒でも飲みたい気分になる。やれやれですな。

2012年12月2日日曜日

主人公


片付かない仕事をこなしながら、来年度の事業計画なんてことを考える時期になってきた。気がつくと師走なんだね。早朝からカフェで仕事、河岸を変えていつものカフェで仕事。このままじゃあ、病気になるなとつぶやくとパートナーいわく「すでに病気だから」と言われた。そうかもね。

昨日は、また、来るからねという子どもたちとの約束もあったので、学習発表会に出かけた。緊張している気分が伝わってこちらがドキドキするくらいだけれど、それぞれが精いっぱいの主人公を演じていた。こころを温かくしてもらった。ありがとう。

私の仕事は、人が自分自身の人生で主人公になれるようにサービスすることなんだ。当たり前のことだけれど、案外難しいことなんだね。

PS. BGMにレオン・ラッセルのSong for you が流れている。泣けるね。

2012年11月27日火曜日

浮かぶ月


20年ほども昔の作品だから、作品の洗練度は、格段に低い、低いけれど、たいしたことではない。その時代の空気感といえば大げさだけれど、携帯電話なんてものが日常生活の中に登場しない時代の人と人の距離感だとか、むしろ新鮮だし、今の時代のへの違和感さえ感じるくらいに楽しめている。それが悪いか。

夕方、若い連中が、夕方、勉強会をしていた。おもしろそうなので覗いたついでに、ひとことふたこと、邪魔にならない程度の発言をさせてもらった。いい部下を持ったと思う。仕事でも私は、幸運に恵まれている。

北海道で暴風雪、停電で多くの人が困っている。改めて天気図を見たら、すごいことになっている。札幌辺りでは、ついこの間、雪が遅いというニュースが流れていたのにね。この数年で、気象の変化が過激になっているような気がする。仕事の帰りに見上げる空、関西では、澄んだ空に月が浮かぶ。今日も良い子の気持ちになって、北国の人たちの無事を祈ろう。

2012年11月24日土曜日

見上げてごらん


市内に講演を聴きに出かけた。まずまずの内容で良かった。仕事でお付き合いがあるかもしれないので、講師の先生と名刺交換しておいた。部下たちも何人か来ていたので、会場近くのカフェで、講演内容について意見交換をした。結論としては、課題は一人で抱え込むな、チームで対応しよう、ということ。まあ、当たり前の話。

車で帰るという部下と別れ、私は、近くのデパ地下に寄り道して、すぐに食べられる総菜を夕食に買って帰った。帰りの電車内を見渡すと、幾人かが携帯に向き合っている。みんな一生懸命何をしているのだろうね。私はと言えば、せっかくの電車なので本を読んだ。「ホラ話」という解説どおり嘘を嘘として楽しむことができるSFで、電車に揺られながら読むのに良い。

他にも電車で読書をしてい人が数人いたけれど、私とおなじ、中年男性だ。ふーん、そんなもんかね。

電車を降りてから、見上げた夜空に行き交う機影が6機、旅がしたいなと思うのと同時に、機上の人々の無事を祈った。まあ、そんな良い子の気持ちになる時もあるってことさ。

PS.件のクロワッサンの店から今日は試食の籠が消えていた。まあ、店には店の事情がある。

2012年11月23日金曜日

小川の辺


早朝、用があって神戸を往復し、帰りにそのままいつものカフェで、仕事をした。混んできたので引き上げようと思ったら、あらら、財布がない、車の中だ。マスタが快く「ツケ」にしてくれた。感謝。

夕方、お付き合いのあるところから、コンサートのチケットをいただいたので出かけた。中国琵琶、中国琴、クラッシックギター、ソプラノ、小規模な管弦楽のアンサンブルで、楽曲がジャズ、唱歌、オリジナル、メインはカルメンとバラエティ豊かであったけれど、全員のレベルが同じように高いわけではなかったので、音の流れが切れるたびに、いちいち気になった。ただで聴かせてもらって申し訳ないのだけれど、耳は正直だからどうしようもない、気持ちがふさいできた。

逃げるように帰って、家族が遅いので、ひとりでDVDを視た。藤沢周平の作品は好きだ。昔は良かったなんて、知らない時代のことにあこがれる気はないし、今よりずっと貧しく、理不尽なことも多かったはずだ。けれど、今の時代の政治家たちの振舞いをみていると、藤沢周平の描く武士の潔さと引き比べてしまう。この国は、もっと美しいはずなのに、そんなことを思う。人としての居住まい、私ももう少し、ちゃんとした人間になろう。

2012年11月19日月曜日

たんたん、たんたん、誕生日、たん!


夕方、パートナーが街中に買い物に行こうと誘ってくれた。気持ちもふさいでいたし、迷ったのだけれど、そばに居たかったので、いっしょに出かけることにした。彼女は、デパ地下に行き、ケーキを買おうという。そう、今日は私の誕生日だった。

ケーキを包んでくれるのを待っていると、隣でも別の人が、ケーキを注文している。小ぶりだけれど、ホールのイチゴケーキを選んで、ローソクの数を問われると、「7本」と答えていた。お父さんが、自分の子の誕生日を祝うのだろう。当たり前だけど、その子と私は、同じ誕生日なんだね。おめでとう、君はきっと幸せになれるよ。

ケーキ屋の隣はクロワッサンの専門店で、ショーケースの上、籠の中に試食用のクロワッサンが盛られていた。おもむろに中年の男性が、ひとつを口にくわえ、残りの二つを手に取って、そのまま人込みに紛れた。数分後、別の場所でその男性と出会うことになった、男性は、雑誌の入った袋を自転車の荷台に乗せて、それに乗るのかと思ったのだけれど、自転車も雑誌も残したまま、また人込みに消えた。不思議な行動だなと思うけれど、人には、いろいろな事情があるのだろう。

件のクロワッサン専門店、別の男性も、同じように試食用を3個手にして、去っていった。止める様子もないから、その店ではよくあることなのだろう。店にも店の事情があるのかもね。

パートナーと、文具だとか、本を買って、食事をしても、ふさいだ気分が変わるわけでもないけれど、自分は、幸運な人間だなってことは、よくわかる。こんなに素敵で、愛おしい人がそばに居てくれるのだからね。ありがとう。

2012年11月13日火曜日

紅葉


紅葉のシーズンなのに、ゆっくりカメラを構える時間がない。というのは、半分本当で、半分嘘だ。週1回とは言わないまでも月に1回くらいは、どこかで時間もとれるのだけれど、気持ちが向かない、向けられない、好きなことをするのに、おおげさな言い方だけれど、「勇気」がいる。つまるところ、仕事をするか、何もしないでぼんやりして休日を過ごしている。

だから、時々、「今日は好きなことをする日」と意識的に決めるようにしている。嫌いなこと、例えば、厄介な仕事だとかは、望まなくても向こうからやって来るからね。

そうそう、今日は寝過ごした。薬に体が慣れたのだろう、夜中にいったん目が覚める。しばらくぼんやりして、もう一度寝るのだけれど、睡眠がたりないので・・・と言い訳しておこう。

週末は仕事だ、替わりに何処かで休めないかなとスケジュールを見たら、1日だけ予定がなかった。その日に決めようと思ったら、祝日だった。どうりで・・・

2012年11月11日日曜日

birthday


長崎訓子さんというのは、有名なイラストレーターなんだね。知らなかった、ちょっと変わった漫画を描いていたので買った。おもしろかった。

さて、今日は、パートナーの誕生日だというのに、きちんとお祝いもできなかった。どこかで、改めて時間も取りたいし、プレゼントも用意しないとね。


「birthday」

あなたと出会う前から
その日が来ることを知っていた

あなたが生まれる前から
ずっと待っていたようで

例えば窓の外
雨の風景を眺めながら

待ちわびる時間が長いだけ
なおさらに愛おしく

持ち合わせの言葉を尽くしても
埋めようもないほど待ち尽くして

どれほどそばに居ても
あなたを抱きしめている時でさえ

明日のあなたを待つことが
しあわせな時間なのだ

2012年11月7日水曜日

好きなことをする日



会社を休んだ。代休は、山ほどあるからね。休みはしたけれど、会社から相談のメールや電話が何度も入った。現場が対応に迷っているし、細かい指示を出すより、行った方が早いと判断して、会社に向かった。それが良くないのだね。現場に任せ切るという勇気がないのが、私に欠けている管理者としての資質だ。

頭に来たのは、「休め、水曜日は休みやすい」という当の上司から間接的に案件処理の指示があったことだ。お前が休めと言うから「休んでやったんだ」と、今度言ってやろう。それくらいのことを言ってもばちは当たらないし、まあ、それくらいのことを言って関係が壊れるような心配にもないんでね。まあ、だからこそ頑張ってしまうのだろうけどね。

少し、早めに仕事を切り上げて、遠方で会議のあるパートナーを送って、喫茶店で待っている所、すでに2時間ほど経つけれど、まだ終わらないようだ。その間に自分の仕事を片付けているのが、人間として小さいよね。だけど、好きな人を待ちわびる時間は、貴重で楽しい時間だ。往復のドライブも楽しい。

今日は、好きなことをする日に決めていたんだ。また、どこかで休むことにするよ。

2012年11月5日月曜日

大切じゃないこと


本の題名が分からなくて、うる覚えの「たいせつなこと」でアマゾンを検索したら、山ほどの本のリストが出てきた。この世の中には、とてつもなくたくさんの「たいせつなこと」があるらしい。誰か、「たいせつじゃないもの」のリストを作ってくれた方が早いのではないか。

そう思ったけれど、この世の中にたいせつじゃないものなんてあるのか。どんなものでも、誰かにとっては、きっと「たいせつなもの」なんだろう。

さて、会社の往復にカフェに寄って仕事をするようになった。それが良いことかどうか、よくわからない。しばらく休んでいないな。明後日、休めないかな。

2012年11月3日土曜日

仕事中毒


昨日は、パートナーも受診に付き添ってくれた。主治医は、端的にワーカーホリックだという。ブレーキの効かない心、体は悲鳴を上げている。自分でもわかっている。病院を出てからパートナーと食事をした。心配をかけているのもわかっている、ごめんね。けれど、幸せな時間だと思う。

休めと言われても、誰かが仕事や責任を肩代わりしてくれるわけではない。朝の7時から、カフェで仕事。明日も、笑えるくらいどうにもならないトラブルの対応のために会社へ行く。

疲れた。

2012年11月2日金曜日

きれいごと


「あなたの言うことはきれいごとだ」と言われた。そう、私の言うことは、「きれいごと」だ。しかし、それを守るために、心も体もぼろぼろになっている。命をかけているとまでは言わないが、健康や自分の将来のリスクを犠牲にしている。

うちの会社は、やすらぎとやさしさを売るのが商売だ。そのこには、美しいもの、正しいものをもとめる強い気持ちがなければ、商品の質を落とすことになる。やさしさなんて目に見えにくいものだから、そのことを伝えるのは、難しい。

同時に「きれいごとだ」という私への非難の奥にある気持ちも理解できる。相手の気持ちがわからないで(少なくともわかろうと努力しないで)、人相手のサービスなどできない。

昨日は、スポンサーへの事業説明、別のスポンサーとの打ち合わせ、戻りかけたところにトラブルの電話、笑えるくらいどうしようもないトラブルなので、深夜を過ぎていったん帰宅した。

会社に行くことも、自宅に戻ることも、おそろしい。気持ちを切り替えるために、今日も朝、カフェ。少し、書類に目を通して、ToDoのリストを作って、さて、仕事だ。こんな生活、長く持たないと思う。本来、私は、グータラなのだからね、自分を偽って生きるのは、しんどいじゃないか。

2012年10月31日水曜日

Cafe to Cafe


朝から、1時間ほどカフェに行って仕事をした。そのまま会社に行き、当たり前だけれど、仕事をした。


夕方、少しばかり残業して、それから別のカフェに寄って、やはり1時間ほど仕事をした。家と会社を往復する間に、カフェを挟み込むことで、落ち込んだ気持ちや高ぶった気持ちを、切り替えることができる。

良い方法だなと思いながら、そこまでして仕事を続けるの意味があるのかどうか。まあ、自分で思うほど、会社に必要とされているかどうかも怪しいもんだ。自分で言うのもなんだけど、私は賢いと思う。少なくとも自分より何百倍も賢い人が、世の中にゴロゴロ居るってことを知っているくらいにね。自分のアホさ加減を知っているってことだよ。

被災地の苦労をよそに、互いを責める政治家、容疑者の顔写真を誤って掲載するマスコミ、彼らは自分たちのことをどう思っているのか、気がかりだ。

サービスエリアでのこと


人相手のサービスをしていると、人の人生の岐路に立ち会うことがある。私の一言で、何かが変わったかもしれない、そんな恐ろしい状況に、関わる覚悟なんてない。「あなたの責任ではない」と言ってはくれるが、責任の取りようのないことに、それを言葉にして考えることそのものが欺瞞だ。

その上、この問題に関してちいさなミスを犯した部下に対して、「私はこの仕事に命をかけている」とまで、感情をぶちまけてしまった。そんな、たいそうな人間か私は。しだいに心が冷え込んでくるような気がした。

パートナーに付き合ってもらって、車を流した。サービスエリアに立ち寄ると、こんな遅い時間に小さな子ども連れの家族が、二組もいて、何をしているのかいぶかしんでいると、パートナーは、幸せそうで、楽しそうだから良いではないかと、私の気持ちをたしなめてくれた。そうだよね。

薬が効かなくなっている。午前、2時42分。

2012年10月29日月曜日

Mc Cafe


先日、学校参観があったので顔を出した。顔見知りの子どもたちが、飛びついてきたり、いっしょに遊ぼうと誘ってくれたり、帰る時には、また来るかと聞いてくれる。また来るよと答えた。

週末、カフェで仕事してから、パートナーと待ち合わせをした。Starbucksが混んでいたので、最近できたMc Cafeを選んだ。リーズナブルな値段だけれど、ゆっくりしようと思ったら、Starbucksでグランデを頼んだ方が良いかもしれない。休日、街中のカフェは若い人たちでいっぱいだ。

その後、パートナーと無印カフェで夕食を済ませて、本屋で時間を過ごした。幸せな時間だった。

2012年10月27日土曜日

待ち合わせ


昨日は、午後から研修を聴きに行ったのだけれど、何度も電話での呼び出しがあって、集中できなかった。マナーモードにしていても、会場を出入りするからまわりにも迷惑をかけるしね。ただ、携帯に入る連絡は、緊急対応がほとんどだから、無視するわけにもいかない。やれやれ。

そのまま、業界向けのテキストの監修をお願いするのに大学に向かった。先生が遅れるとのことだったので、夕食を兼ねて近くのマクドナルドで時間をつぶした。自宅に戻ったのは深夜だ、先生も同じくらい私と同じくらい熱い(暑苦しい?)人なので、時間がかかるのだよ。

今日は、朝からカフェのハシゴをして、約9時間パソコンに向かって書類を作っている。スポンサーに送るものだから、気を抜けいない。そろそろ疲れたので、パートナーに連絡を取って、待ち合わせすることにした。目の周りが小さく痙攣をしている。そういえば、最近時々起こっているなあ。

そろそろ、いつものカフェを出ることにする。

2012年10月25日木曜日

プラチナデータ


昨日眠れないまま、読みかけていた本を読み始めたら、そのまま読み切ってしまい、うまく睡眠がとれなくなった。厄介なのは、自分が起きているのか寝ているのか、区別がつかないいことだ。考え事もしているし、時々枕元の時計で時間を確かめているので、少なくとも完全な眠りではない。けれど、眠れなくて悶々としているというのでもなく、時間のたつのが早い、気がつくと夜明けが近くなっている。導眠剤に体が慣れたのかもしれない。奇妙な睡眠が続く。

今日は、会社のチームのひとつが歓送迎会の飲み会を開いた。あれこれ仕事をこなしているうちに遅くなって、料理もなくなるころになってようやく顔を出せた。元気なチームで、すでに大騒ぎだった。その知恵とエネルギーに現場は支えられている。何かあった時に、命がけで(そんな気分でということだよ)、現場を守る。その覚悟さえしていれば、私は、時々現場のチームにありがとう、と伝えてさえいれば良いだけのお気楽な仕事なんだね。

今日も一日、誰かと話をしていた。信じてもらえないけど、やっぱり人と話をするのは苦手だ。

2012年10月24日水曜日

しばらくお待ちください


今日は、出先で仕事を済ませた後、そのまま休みをもらった。きつい仕事だったけれど、管理職として引き受けないといけない仕事だったからね。たまには、ご褒美に自分を甘やかそうと思った。

実家にも近かったので、寄ることにした。母に手を合わせてから、父と近くの定食屋で食事をした。母を亡くしてから、外に出歩くのを嫌っていたのに、今日は付き合ってくれた。少し元気になってくれているのなら良いのだけれどね。同居している妹は、入れ違いで出かけたので会えなかった。電話では、元気だよと言ってた。この歳になっても、妹のことは気がかりだ。

その後は、自分の好きなことをして過ごそうと思った。県境を越えて、シネコンで映画を見た。たまたま、待ち時間なしで見られたので「The Raven(推理作家ポー最期の5日間)」を選んだ。面白かったけれど、スクリーンで見なくても良かったかもしれない。2本目の映画を観ようと思い、待ち時間をスターバックスで過ごした。

パソコンを開いて、12月に予定している研修のアイデアを固めて資料を作った。けっこう面白くて、気が付いたら、予定の映画は、始まっていた。自分の好きなことをやろうと思っていた日なのに、仕事にはまるというのは、どうかな。まあ、同じ仕事でも、好き嫌いはあるってことだ。

買い物をして、支払いを済ませる以外は、しばらく人と話をしないで過ごしたら、そのことがひどく楽だってことに、気がついて自分でも驚いた。人と話をするのが商売なのに、人は苦手だ。自分でもよくやっていると思う。

パートナーにお土産を買って、書店で数冊本を買いながら、好きなことをするんだということを思い出して、結局、パートナーを職場に迎えに行くことにした。今夜は遅くなると言ってたからね、電車と徒歩で行き、近くのマクドナルドで待つことにした。大好きな人を待つことは、とても楽しいことだと思う。帰りは、パートナーの車で一緒に帰れる。それも楽しみだ。

いましばらく、お待ちください。

2012年10月23日火曜日

ごめんね


映画を見たいという渇望のようなものがない。読書にしてもそうだ。深夜の三時になっても寝付けないので読んだ本、読んだから寝付けないのか、どちらが原因で結果なのか、眠れないのに変わりなので、どの道意味がない。本は読み切った。毒にも薬にもならない本だけど、嫌いじゃない。

仕事で北の方の街に車を飛ばした。顧客のアフターサービスと、挨拶を兼ねて、1件目、そのまま隣の街へ関係業者の担当者に文書を手渡して2件目。FAXで送れるような内容ではなかったので手渡したかった。明日までに目を通してほしかった資料でもあった。

帰りの車の中で「ごめんね」の言葉が心にこだましていいた。「なにかできることがあったのではないか」、謝罪と、諦めと、言い訳と、少しだけ自分責めるようない繰り言だ。しばらく泣いた。高速道路では、泣きながら運転するドライバをとがめる人もいないからね。

小さい時絵を開くのが好きだった。誰かと遊ぶより楽しかった。ちゃんと勉強しているわけでもないから上達しない。自分がどれくらい下手かわかるくらいには、絵を理解することはできる。だから美術館通うのだけれど、それにも興味が無くなりつつある。好きなことが面倒になるのは、メンタルの悪いきざした。気をつけよう。一人になりたい、誰も傷つけず、傷つかない。そんな時間がほしいけれど、そんな時間は来ない。いつだって、人は、誰かとかかわりながら生きている。

明日は(今日だけど)仕事を休んで、映画館で昼寝をしよう。もう夜明けだ。

PS.そんなわけないだろ。仕事だよ、仕事。

2012年10月20日土曜日

静かさ


朝7時から、延べ4軒のカフェをはしごしながら、仕事をしている。先日の敦賀へのドライブ以来、まともに休みを取っていない。明日も仕事だ。時々薬の力も借りながら、なんとか生きている。

ふとした時間に、ぼんやりどこかを眺めて過ごすようにしている。フル回転している頭を休めてやらないと、人間はおかしくなるからね。おかしくなると人は自分で自分のおかしさに気がつかない。人のことはよくわかるのにね。笑えるよね。

私の口癖は、「ありがとう」だ。だれかの相談を受けても、仕事の指示の後も、レジを通る時もね。笑顔をもらった時には、心の中でありがとうを伝える。最近、「ごめんね」も口癖になり始めている。謝罪が必要な時もあるけれど、どこかで自分を責めていないか、逆に、迷惑掛けていることをその言葉だけで済ませていないか、そんなことを考える。

生きていたいと思う。静かに生きていたいと思う。

PS.昨日は、急に呼び出されて、スポンサー参りだった。先方の担当者に費用対効果の説明をするってわけだ。先方の担当者だって、上司に発注の根拠を示す必要があるから、むしろ先方が動きやすいようにサポートするのが、ビジネスの基本、データを示しながらこちらも熱意をこめて説明する。よろしくお願いしまーす。

ラーメンを選ぶ


自分らしく生きよう、自分の望みをかなえようとしても、突然のアクシデントでそれが実らないこともあるだろう。理不尽な事故や災害で人生を変えられてしまう人もいる。不運や不幸もあるだろう。しかし、その後だって、人生が続く限り、人生の選択は続く。それが結果的に自分らしい人生の軌跡となるのに違いはない。

例外があるとすれば、自分の判断に限界や制限のある幼い子どもたちだ。虐待を受けている子どもたちは、「自分が自分である」ことさえ許されない。それでも、いずれ、自分であれこれ考えながら、色々なことを選びとることになる。おそらくは、つらく苦しい選択かもしれない。それを応援するのがまっとうな大人のやることだ。

もう一つの例外は、生きることそのものが消える時だ。生きていればこそ、自分らしさも、自分らしくなさもある。とにかく生きていよう。生きてさえいれば、それだけで、自分でいることができる。

いろいろ考え過ぎだなと思うけれど、今大きな決断に迫られているからだろう。既に結論は出していることだけどね。みんな生きていようね。

今日、出かけた帰りにラーメンを食べた。おいしいのかどうか、良くわからない。私にとってラーメンとは、故郷の商店街のはずれにある島で唯一のラーメン屋のラーメンだ。その店のラーメンか、それ以外のラーメンか、ラーメンは、その二つしかない。どうでもよい話だね。

2012年10月17日水曜日

アンソロジー

 
業界の初心者向けにテキストを作るので、監修をお願いしている専門家を神戸に訪ねた。いつもながら専門家の話は興味深い。もう一度、学生に戻りたいと時々考えているけれど、卒論のアドバイスをもらっているような、少し、そんな気分になれた。
 
往復の車の中で、さだまさしを流していた。私の青春時代と重なる人だし、曲作りの勉強にもなった。彼の曲を聴きながら、ふと思いついたフレーズは、「自分に戻りたがっている」だった。「自分らしく生きたい」と願っている人は多いけれど、そのことがいつも不思議だった。自分から逃れるということは難しい、人は、結局自分らしくしか生きられないからね。
 
自分に戻るって、なんだ。あるべき自分に戻るということか、今の自分から逃れようということか、そんなとりとめもないことを考えながら、つまるところ、日々を、その時その時を、誠実に選び取って行くしかないのだ。そして、その選択をきちんと引き受けるしかないのだね。
 
あまり、考えすぎないようにしよう。

2012年10月14日日曜日

北海道


昨日、会社のサービスに対して子どもたちの意見を聴く機会があった。その中で「大人は信じられない」という。人を信じるということはどういうことなのか、実は私自身はっきりした答えを持っていない命題の一つなんだ。大切なことなのにね。

ある子どもが「これから(の自分の将来は)良くなる」と言ってくれた。そうなんだ、何かを信じるということは「未来を信じる」ということなんだ、自分が大人になった未来を信じられないことと、自分の未来の姿でもある今の大人を信じられないことは、同じ意味なのかもしれない。私は、今日もまた子どもたちから教えてもらった。

小さな瞳が言う、「自分のことが嫌い、でも人のことが好き」、だったら多分、いつか、きっと自分のことも好きになれるよ、私は君のことが大好きだよ、そう伝えた。私の答えは正しかったのかどうか、わからない、でも小さな瞳は、笑顔で手を振ってくれた。少し、ホッとした。涙があふれた。

今日は、朝からカフェをはしごして仕事をしている、その間に会社からトラブルの報告があって、心が切れかかっている、「昨日も仕事をして、俺は休まずに働いてるじゃないか」と、そんな思いが言葉の表情に出たかもしれない。あとで、トラブル処理の確認をしに会社へ行こう、そして自分の部屋のロッカーを蹴り飛ばそう。多分、それで、済む。

PS.昨日、仕事を終ってから、街のデパートにパートナーと出かけた。北海道物産展が企画されていて、少しぜいたくしてお寿司をいただき、お土産にプリンを買い、ソフトクリームをなめているうちに、なんだか北海道で旅行をしている気分になってきて。とても楽しい。

PS.もう少し仕事をしたら、会社へ行こう。ロッカーを蹴り飛ばしにね・・・

2012年10月8日月曜日

フィッシュストーリー


小説はずいぶん前に読んだし面白かった。今日は映画を視た。これも面白かった。フィッシュストーリーの英語のニュアンスはホラ話(逃した魚は実際より大き目に語られからだろう)ということになるけれど、ホラ話でも何でも、物事を大きく語るということは、リーダーにとって必要かもしれない。

今日、通夜に参列した人は、会社の大先輩で、熱く夢を語り、実現する人だった。実際、独立し、自分で会社や事業を立ち上げることになっったのだけれど。人柄だろう、会場に入りきれないほどの参列者があった。

彼から、教わったことは多いし、彼の言葉は、実際、私の心に伝わっている。そのことは、伊坂幸太郎の小説のテーマとも重なるような気がする。ありがとうございました。

海を見に行こう


仕事漬けだった、三連休の最終日、海に行こうと思いついた。そうだ、日本海にしよう。理由はない、特に日本海が見たかったわけでもない、パートナーに喜んでもらえそうなところもすぐに思いつかなかった。ただ行こうと決めて車を流した。

今日の日本海は、とても穏やかでないでいる。その海をたくさんの人が眺めている。水際で遊ぶ子どもや魚を釣る大人もいたけれど、多く人は、ぼんやり海を眺めているだけなんだ。まあ、僕らもそうやって、海を眺めていたんだけどね。


近くにある、雑貨屋にも寄った。パートナーが可愛い金属性のアクセサリーを買った。動物をモチーフにしたブローチだった。店番をしていたのは、奥さんと二歳にならない、小さな女の子だった。あまりに可愛らしいので、許可を得て被写体になってもらった。個人情報なので、お見せできないのが残念。

同じ近くに、「清明神社」があって、今日は祭事の日だそうで、ご神体や厄災を封じているらしい祖石を拝んだりできた。たのしくし過ごしていたのだけれど、会社関係の訃報が届いた。

2012年10月7日日曜日

ルーティンワーク

 
 
コメダ珈琲に行き、朝7時から仕事をした。時間になったのでいつものカフェに河岸を変えた。すぐそばにあるけれど、駐車場を移動しないといけないのが、残念。パソコンを開いてからすでに8時間を超えた。ときどき、自分の不器用さに腹が立つ、哀しくなる。一生懸命やっているのにね。
 
ルーティンの仕事がひと段落ついた。「出さないといけない書類」というのは、ほんとに嫌いだ。創造性がないというのか、自分の遊ぶ余地がないというのか、肌に合わない。ちょっと、休憩して、いくつか研修用のテキストの作成に取り掛かる。こちらは、自分の専門分野の勉強にもなるからね。新鮮な気持ちで臨める。
 
ときどき、アンディ・ウイリアムスの曲が流れる。元嫁(離婚したと思う)のクロディーヌ・ロンジェの曲もが流れた。フランス語なまりの声なので、多分そうだと思う。カーペンターズのカバーだ。この夫婦とその子どもたちがジャケットになったこともあるのにね。良い曲が多かった。
 
PS.10時間仕事した。昨日も仕事だったし。(楽しい仕事だったけどね)、明日は、休むことにするよ。

2012年10月6日土曜日

夢の中で

 
 
最近聴いているのが、このアルバム。QUEENのエッセンスを楽しむには、ちょうど良い。
 
今日は、会社のイベントがあった。開始の挨拶をした後は、写真を撮っていた。子どもたちの笑顔もあってとても楽しい。模擬店もある会場でウロウロしていると、サンドイッチの食べさしだとか、フライドポテト1本、ポップコーン一粒だとかを、子どもたちがくれたりする。子どもには、好かれるタイプらしい。
 
友人が、バンドで参加してくれたり、また、一緒にやれるとよいな、なんて話もした。会社のイベントだけれど、励まされた気がする。
 
昨日、主治医と話をしていたら、母親の夢を見るかと訊かれた。ほとんど見ないと答えたら、本当に心に思っていることは、夢に出てこないのだそうだ。ふーん。母さん、僕はまだ、どこかで母さんのことを気にかけているみたいだ。親不孝だったんだよね。

2012年10月4日木曜日

コメダ珈琲


昨日、メタボ通院した後で、コメダ珈琲に入った。珈琲を注文したら、サービスで卵とトーストが付いてきた。そう言えば、名古屋は、モーニング文化というべきものがあって、その豪華さを競っていたような気がする。しばらくそこで仕事をした後で、会社に向かった。休めないのだよね。

今日は、ひととおり、仕事をこなして帰ろうとしたら、部下に呼び止められて、いっしょに小さなトラブルを処理した。ほっとくわけにもいかないのだよ。久しぶりに家族で食事ができる日だったのにね。心のなかでロッカーを蹴り飛ばした。心のなかで少しロッカーの扉がへこんだ。へこんだのは、ロッカーだけなんだろうか。

自宅について、駐車場で車を降りた。思わず、空を見上げて考えた。大宇宙を仰ぐと「人はちっぽけなままでもいいんだ」「大きなフリをしなくてもいいんだ」と思えるよね。誰かに勝とうとか、良く見せようとか、そんなに無理することないよね。

ああ、人間でいることが苦手だ。

2012年10月3日水曜日

アイアンスカイ


アイアンスカイ、映画のノベライズ。月の裏側に密かにナチス帝国が作られていて、地球を襲うという、荒唐無稽で、不謹慎な小説。だけど、面白い。メタボ通院の待ち時間に一気に読んでしまった。

不謹慎な物語が、嫌いかと言うとむしろ好きな人間だから、あまり偉そうには言えないのだけれど、夜、何気なく見ていたバラエティ番組で、出演者を貶めているとしか思えないような、進行に不快感を覚えた。特にしたり顔したアドバイスをする「専門家」の品格も疑う。テレビは、人を愚かにさせるのではなく、下劣にさせる。もちろん、素敵な番組もあるよ。

2012年10月1日月曜日

Try to remember again


9月27日に亡くなった。アンディ・ウイリアムズは、オリジナリティという意味では評価の低い人だと思う。けれど、さまざまなアーティストをカバーし、その曲の魅力をごくまっとうに引き出してみせてくれた。おかげで、彼を入り口にしてお気に入りのアーティストを増やしていった。

Try to remember」は、好きな曲だ。
Try to remember the kind of September・・・思い出の9月・・・さよなら、Andy.

2012年9月30日日曜日

台風の残したものは


台風がやってきた。いつもそうだけれど、接近するにつれて加速しながら夕方には関西を抜けた。予定されていた運動会が中止になったので、いつものカフェで仕事をしていた。会社の様子も気になっていたけど、周辺の警報も解除されたようで良かった。たまっている仕事を片付けながらも、運動会に行けないのはとても残念だった。

台風は不思議だ。過ぎ去ったあとに、何かを残してゆくような気がする。それは、直截的な被害だったり、被害のない人には安堵感だったり、色々なんだけれど、それを確かめるようにみんなが空を見上げるのだと思う。

先日、アンディウイリアムズが亡くなった。私の音楽は、ビートルズでもなく、アイドルでもなく、彼から始まった。多分、あのころのアメリカの楽天的で、ある意味ヒューマンな雰囲気へのあこがれがあったのかもしれない。小さな炭鉱の町に生まれ、日本の文化の価値だとか、何も知らないただの子どもだった。多分その頃は、もっと遠い空を見上げていたのだと思う。

2012年9月29日土曜日

空の下


睡眠がとれるようになって、深夜に読む本は少なくなって来た。その中で読んだ本。誰しも会いたい人がいるだろう。でも、会うのがこわいこともあるかもしれないね。誰かに会うというのは、つきつめると自分自身に会う、あるいは自分自身を知るのと同じ重さなんだね。

さて、今日は運動会に来賓として出席した。子どもたちの懸命さに思わず声援を送った。がんばれ、そう、がんばれ子どもたち、がんばった分だけ、君たちの希望の空は大きくなるような気がするんだよ。

綱引きにも参加した。来賓だからね。チームリーダーだった。来賓だからね。ホントは数が足りなかったからだけど。結果は、1対1の引き分けに終わった。ちょっと悔しい。明日、天気が良ければ、別の運動会にも呼ばれているのだけれど、台風が思ったより早く来そうだ。子どもたちは楽しみにしているのにね。

私は子どもたちのために生まれてきたのかもしれないと思っていた。だけど、逆だった。私のために子どもたちは生まれてきてきてくれたのかもしれない。だって、子どもたちの姿は、私にあふれるほどの希望を伝えてくれる。だから、ありがとうの言葉を伝えるためにできること。子どもたちの喜びをこの空に伝えることができる。子どもたちの哀しみをこの空の代わりに泣くことができる。そんなことを考えた日だった。

2012年9月25日火曜日

みをつくし


小説のみをつくし料理帖がテレビドラマになった。実際の料理が映像になって視れるので、それだけでも楽しい。

今日は、一日ずっとしゃべりっぱなしだった。楽しい話ばかりではない。身を尽くし、心をつくし、言葉を尽くし、どこまで行けば、私は空っぽになるのだろう。空っぽになって、止まることができるのだろう。そんなことを考えた。

さて、導眠剤の効果はある。眠ろうと思ったら、眠ることができるから、とても楽だ。

2012年9月22日土曜日

労働者諸君


昨日、主治医と相談した。ストレス障害(PTSDとは異なる)のひとつだろう、休んだ方が良い、との診断だった。自分の見立てと同じだったので、良かった。(良かったのかのかどうか)かといって、休みがもらえる状態でもないし、今、私が休んだら、他の誰かが倒れることになる。休んでも、仕事は残っているし、支えてやらないといけない部下も多いからね。

休めない、辞められないとなったらどうする、と主治医から言われた。そう訊かれてもね。それができないから相談しているのに。まあ、とにかく、せめて、あと半年、持たせてくれと頼んだ。

とりあえず、導眠剤で、睡眠の質を高めて、疲労感を軽減しようということになった。極めて、まっとうな処方だ。抗うつ剤をどうしようかと主治医といっしょに考えたのだけれど、抗うつ剤で元気になったら、元気になった分、よけいに働いてしまう(自分の性格を考えるとね)だけのことだから、使わないことにした。試してみたい気持はあったので、残念だけどね。

それに主治医が言うには、「深夜であろうが、そんだけ本を読める元気があるなら、うつ病ではないだろう」だとさだ。確かにそうかもね。

そして、導眠剤デビューに感動した。比較的、楽に眠れたし、驚いたのは、深夜に目が覚めた時に、体が重く固まったような感じで、自分が、常温で凍っているような感じだったんだね。初めての感覚に感動した。まあ、こうやって、自分の病気に感動している間は、大丈夫だろう。

ということで、よく眠れた分、休日の今日もいつものカフェで仕事をしている。明日の日曜日も会社で仕事、来週の土日も会社で仕事、再来週は、土曜日が仕事、いやあ、休みがないではないか。週明けにメンタルヘルス対応の会議がある、私は、そのアンケートの担当者だ。皮肉なもんだな。本当に笑ってしまう。

労働者諸君死ぬんじゃないぞ、生き残れよ。

2012年9月19日水曜日

敵情視察


いつものカフェが休みだし、しんどいし、腹は減ったし、でも仕事はあるし、しかたなく、某珈琲チェーンで仕事をしている。ここは、本店のある名古屋人には馴染みの店で、「コメダ珈琲行こみゃー」というのは、普通の会話だった。特に、可もなく不可もないという店構えとメニュー。私自身は、下宿の近くにあった、「あすなろ」という喫茶店にいつも入り浸っていたから、あまり行ったことはなかった。

今は亡き「あすなろ」、イケメンのマスターとセクシーなウエイトレスの関係が実際どうだったのか、結局わからずじまいだったな。

で、OB会もあったし、車で聴いているのは、さだまさしとか井上揚水だ。青春だね。

2012年9月17日月曜日

いつかある日


眠れないまま、二日目の朝を迎えた。山用の簡易コンロで、お湯を沸かし、珈琲をいただく、美味い。こんな朝に飲めば美味いに決まっている。ハムとパンとスープで軽い朝食をとる、そういえば、合宿の時は、食糧係が一週間とか十日分のメニューを決めて、出発の前日に、スーパーで買い出しに出かけたっけ。

今回は会えなかった先輩の一人に電話をかけた。無性に声が聞きたくなったんだ。やんちゃできかん気の私を気にかけてくれていた人だ、いっしょにネパールに行こう、そんな話をした。いつかある日、そんな時が来るとよい。その人がリーダーで私がサブになって、良いパーティを作るのが、私の夢なんだ。

怪我をした先輩のもとには、家族が向かってくれることになった。同期の先輩が病院で迎えるために先に病院に行くので、見送る前に記念写真を撮った。そこには、年齢を重ねても、変わらないままの面々が映っていると思う。

残ったメンバーは、隣の池田牧場まで散歩して名物のジェラートをいただいた。そこでひとしきり、おしゃべりをして、おしゃべりをしている間に、せっかくだから永源寺に参拝することにに決まった。そこでもおしゃべりをして、おしゃべりをしている間に、鈴鹿の山を越えたところにある温泉に行こう、行くか、行こう、そういうことになった。車に乗りあって、車の中でおしゃべりをして、おしゃべりをしているあいだに到着した温泉で、一休みした。

そう、そういえば、合宿の後には、山を下りてから、風呂に入ることもあったっけ。なにせ、十日くらい風呂に入らないのは、当たり前で、当時のうら若き乙女にとっては、辛かったろうなと思うけど、前日の飲みっぷりを見ていると、そんなことを心配する必要もなさそうだけどね。

私は、帰りのこともあるので、温泉の前にあるベンチで、少し横になった。数分だけれど、睡眠をとったので、少し楽になった。その間も、おしゃべりは続いていて、私は私で、眠気覚ましの珈琲を流し込みながら後からおしゃべりに加わった。鈴鹿の山からクマザサが無くなってはげ山になったとか、そんなさみしい話もした。

名残惜しい気持ちを残しながら、名古屋方面に帰る連中とはそこでお別れすることにした。また会おう、という約束をしてね。私は、単身赴任のご主人を訪ねる同期の友人を一人乗せて関西方面に向かった。温泉からしばらくは、鈴鹿山脈を右手に見ながら走る。山頂は雲に隠れているけれど、とても楽しいドライブだった。おしゃべりをしているうちに到着した目的地で友人をおろして、別れた。

鈴鹿の山から戻った時は、たいがい、全員で駅前の飲み屋で食事をしてというか飲んで、酔っ払って、バスに乗って、途中で別れながら、最後は、ひとりで下宿に戻った。そんなことを思い出した。

このOB会の準備をしてくれた幹事の連中に感謝したいと思う。こんな気持ちのいい連中と、時間を過ごせたこと、いまでも過ごせること、本当に感謝したい。私には、幸せを祈ることができる、これほどたくさんの友人がいる。私は、つくづく幸せな人間だと思う。

燃えろよ燃えろ


クラブのOB会に出かけた。1日目、午前中に仕事を済ませて、2時間ほどで、滋賀県内の会場のキャンプ場に着くと、先輩諸氏は、すでに酒盛りを始めている。夕食が始まると、互いの仕事のこと、家族のこと、古い写真も飛び交い、相手を変えながら、おしゃべりが続く、何人かの還暦の宴も兼ねていたり、いい加減、みな酔いも回っているし、とにかくわけがわからない状態で、食事も片付かない。

ようやく始まったキャンプファイヤーも一時間ほど予定が遅れている。炎を囲みながら山の歌を歌い、盛り上がっているところに、先輩の一人が溝に転落して倒れたと声が聞えた。酔っ払って足をとられたのだろう。それでも、深い溝だし、始めは、意識もなかったので、すぐに119をコールした。仕事がら、救急車を呼ぶのには慣れている。意識は戻ったけれど、救急搬送されて、入院することになった。やれやれ、こんな所まで来て、危機管理だ。

なんとなく私がやることになっていたスタンツ(と呼んでいるゲームみたいなもの)も仕込みまでしたのに、さすがに中止だ。そのまま、炎を囲みながら、怪我の具合を案じたり、合宿の思い出を語り、星を眺め、付き添った先輩からの連絡を待った。うちのクラブは、上下関係がわりとフランクで、互いのニックネームで呼び合い、基本的に敬語は使わないし、あんまり、バリバリの体育会系の雰囲気はない。怪我をした先輩には悪いけれど、それはそれで、心地よい時間が流れて行く。

ロッジに引き上げて、付き添った仲間を待っていると、深夜を回っている。何人かが、酔いつぶれたり、疲れて床に入り、徐々に静かになって行く。結局、怪我をした先輩は、入院することになった。

体育会系のノリはないけれど、それでも後輩はかわいい、歳の差が意味のないくらい互いに年をとっても、幸せに暮らしている表情や、苦労しながらも笑顔を見せてくれると、本当に愛おしい。逆に、かわいがってくれた先輩にとって、私は、聞かん気でやんちゃな後輩のままなのだ。心配してくれているのがよくわかる。

結局、あれこれ考えている間に夜が明けて、熟睡はしなかった。最近、良い睡眠がとれていないから、仕方ないのだけれど、眠れないことが不思議と嫌な感じはしない。それほど、特別な夜だったんだ。

2012年9月13日木曜日

旧友は夏の終わりに


夜中に目が覚めて、読むのにちょうどよい。結局、二晩くらいで読んでしまった。すぐに眠れないので、むしろ気持ちを切り替えて、深夜に楽しむ読書、健康的とは言えないのだろうけど、気分に任せるしかないね。

上司は、指示を出すことも仕事だけれど、相談にのって、相手が自分の考えをまとられるようにすることもある。話し終えて、少しすっきりした顔で部屋を出る後ろ姿を見ると、役に立ったのかと思う。部下に限らず、ほかのチームからも、電話だったり、メールだったり、すれ違いざまの立ち話、時には、「まだ、いるかと思って」と姿をみせたり、相談されることもある。

直属の上司でないのが、親に話すより、近所のおじさんに話すような気安さがあるのだろう、愚痴だったり、専門的なアドバイスを求めたり、来てくれることもある。立場があって、あまり突っ込んだ話も、相手の上司に気兼ねもあるのだけれど、まあ、こんな私でも役になてるというなら、ありがたいことだ。

さて、明後日の夜は、旧友に会える。来週までに用意する書類がいくつかある。ぎりぎりまで仕事をしてゆくことになりそうだけれど、楽しみだ。

2012年9月10日月曜日

研修の旅


業界の研修に来ている。会場は、神戸の著名なホテル。懇親会に参加して、部屋に戻ったところだ。懇親会(夕食)と宿泊は、自費だ。業界の付き合いもあるから、しかたがないね。空き時間に資料を読み込んで、昨日の原稿に手を入れて、明日の研修を終えたら、神戸でのんびりしたいけれど、すぐに会社に戻らないといけない。せいぜい往復のドライブを楽しむことにする。

少し、頭が痛い。パソコンも開いたし、もう少し原稿に手を入れたいのだけれど、迷うなあ

PS.シングルがなかったのだろう。ツインの部屋になった。見晴らしは悪い。ま、それだけ。

2012年9月9日日曜日

火星ダーク・バラード


昨日は、一日体を休めていた。しかし、家でゴロゴロしていても疲れがとれない。立ち上がるとめまいがする。仕事しているほうが、むしろ疲れを感じない。そして、ゴロゴロしたついでに、読んだのがこの本だ。この人の本は、読み始めて日が浅いので(3冊目かな)、あくまで印象なのだけれど、全体に切ない。喪失と再生がテーマだからだろう。

今日は、いつものカフェで書類を作っている。内容は、業界の初心者向けのテキストのようなもので難しいものではないけれど、引用も含めて2万2千字だから、思ったよりボリュームはある。今の段階では、極めてラフだけれど全体のイメージやコンセプトが分かるくらいの所まで出来上がったので、次は、専門家の先生に監修してもらうことになる。たくさんダメ出しされるのだろうね。まあ、そのために予算を組んでいるのだから、皮肉ではなく、ありがたく意見をもらうことにする。勉強になるからね。

そろそろ帰ろう。明日からまた仕事だ。

2012年9月5日水曜日

東亰異聞


浮世離れをしたい時には、恐ろしの世界に浸るに限る。けれど、この小説は、ホラーと見せかけたミステリーだ。初めて読んだ人だけれど、ファンが多いのだね。

世の明ける前に目が覚めた。トラブルの始末で、一日忙殺されることも分かっていたし、今日が〆切の仕事もある。さっさと起きて、朝の5時から仕事をすることにした。始業までに、〆切の仕事を済ませた後は、ほとんど途切れることなく、あちらこちらに電話をして、調整し、相談にのり、報告して一日が終わった。

で、ひとりごとというのは、少なくとも私の場合、純粋のひとりごとではなく、周囲の人間に聞えよがしに言っていることがほとんどだ。ひとりごとで自分のお疲れオーラや忙しオーラを周囲に伝えているわけだ。ひとりきりの時にひとりごとは、あまり言わない。言わなかった。

ところが、今朝、通勤途中のだれもいない薄暗い歩道で「死んでしまうかもね」とつぶやいている自分に気がついて驚いた。いやあ、ほんとにびっくりだ。ほとんど、不謹慎だけれど、感動した。人の心の仕組みは、おもしろい。何度も言うけど感動する。

身体症状に、体のふらつきと動悸が始まった。いよいよ病気のクライマックスか。記録を続けよう。

2012年9月2日日曜日

時間よ止まれ


いつものカフェで仕事をしている。明日までに提出する書類とか、とっくに期限を過ぎた書類とか、これから時間をかけて作る書類とか、つまりは、常に時間に追われながら作る書類のいくつかを処理している。そのうちに会社から電話があり、対応を指示して、休日が過ぎて行く。

読み込んでおきたい専門書もいくつもあるのに、背中が痛み、頭痛もする。帰ることにしようと思うのだけれど、家に帰るのが怖い。家に帰りたいのに、いったん家に帰ると、明日の朝、仕事に行かないといけない。毎朝、仕事に行くくらいなら、ずっと会社で仕事をしている方がましだと思う。毎朝、仕事に行かなくて済むからね。このまま時間が止まると良いと思う。不思議だし、非論理的だし、矛盾しているけれど、病気の入り口に立っている時の気持ちというのは、そのようなものだと思う。そうしているうちに、病気は重くなってゆくのだけどね。

人の心というのは、ほんとに面白いと思う。しばらく、記録を続けよう。

ドライブの日


目覚めると、体も心もだるかった。だからこそ、外に出ようと決めて、パートナーを誘って滋賀県にあるキャンプ場に向かった。今月、OB会を開く予定の会場で、下見と言うほどのことでもなく、近くに永源寺もあるし、行ったことがなかったので、行ってみた。初めての場所は、おもしろいからね。

キャンプ場の近くに牧場がやっている食事処があって、ランチを済ませた後で、永源寺を参拝した。方丈は、葦ぶきで、見事なものだ。その回廊でぼんやりしていると、心地よい風が吹いている。思わず、しばらく横になって過ごした。

信楽にうまい珈琲をのませるカフェがあるので、そこに向かった。今日のお薦めの深煎り豆は、コロンビアで、えぐみのない良い味だった。帰ろうという時間になって、もと来た道を戻るのもつまらないので、新名神から三重県に抜けて亀山経由で戻った。夕暮れの雲がとても美しかった。きれいなものをきれいだねと語り合える人が、そばに居る。

けれど、せっかくの気分を裂くように、会社から連絡が入った。自宅に戻る途中だったし、現場で対応してくれるというので、任せることにした。処理が終わったと報告があったのは、深夜だった。お疲れ様、ありがとう。

最後はともかく、大好きな人と、好きな音楽を聴きながら、車をゆったり流して、おいしいものを食べて、きれいなものを眺めて、幸せなんだなと思う。

2012年8月31日金曜日

私の好きな風景 29


この国の紅葉は、美しいと思う。暑さも、もう間もなく終わることだろう。紅葉には、しばらく時間はあるけれど、余裕ができたらカメラを持って出かけよう。

上司だから当たり前だろうけど、自分のチームも含めて、色々な人が相談に来たり、電話があったり、歩いている所を呼び止められたり、しばらく話をして過ごすことが多い。知っていることを伝えることもあるけど、別にアドバイスらしいことをするわけでなく、だいたいは、それぞれ自分が持っている答えを引き出してあげるだけなんだね。ちょっと見方を変えるだけで充分、それで大丈夫だよと伝えるだけのこと。もちろん、教わることも多い。つまるところ、ビジネスの基本は、おしゃべりなんだろう。

少し、疲れたので、早めに帰った。ついうしろめたい気持ちになるのを抑えながら、帰る。そういった気持になるということが、すでに病気の入り口なんだろうね。洗濯をして、DVDを見て、のんびりしている。