2012年10月31日水曜日

Cafe to Cafe


朝から、1時間ほどカフェに行って仕事をした。そのまま会社に行き、当たり前だけれど、仕事をした。


夕方、少しばかり残業して、それから別のカフェに寄って、やはり1時間ほど仕事をした。家と会社を往復する間に、カフェを挟み込むことで、落ち込んだ気持ちや高ぶった気持ちを、切り替えることができる。

良い方法だなと思いながら、そこまでして仕事を続けるの意味があるのかどうか。まあ、自分で思うほど、会社に必要とされているかどうかも怪しいもんだ。自分で言うのもなんだけど、私は賢いと思う。少なくとも自分より何百倍も賢い人が、世の中にゴロゴロ居るってことを知っているくらいにね。自分のアホさ加減を知っているってことだよ。

被災地の苦労をよそに、互いを責める政治家、容疑者の顔写真を誤って掲載するマスコミ、彼らは自分たちのことをどう思っているのか、気がかりだ。

サービスエリアでのこと


人相手のサービスをしていると、人の人生の岐路に立ち会うことがある。私の一言で、何かが変わったかもしれない、そんな恐ろしい状況に、関わる覚悟なんてない。「あなたの責任ではない」と言ってはくれるが、責任の取りようのないことに、それを言葉にして考えることそのものが欺瞞だ。

その上、この問題に関してちいさなミスを犯した部下に対して、「私はこの仕事に命をかけている」とまで、感情をぶちまけてしまった。そんな、たいそうな人間か私は。しだいに心が冷え込んでくるような気がした。

パートナーに付き合ってもらって、車を流した。サービスエリアに立ち寄ると、こんな遅い時間に小さな子ども連れの家族が、二組もいて、何をしているのかいぶかしんでいると、パートナーは、幸せそうで、楽しそうだから良いではないかと、私の気持ちをたしなめてくれた。そうだよね。

薬が効かなくなっている。午前、2時42分。

2012年10月29日月曜日

Mc Cafe


先日、学校参観があったので顔を出した。顔見知りの子どもたちが、飛びついてきたり、いっしょに遊ぼうと誘ってくれたり、帰る時には、また来るかと聞いてくれる。また来るよと答えた。

週末、カフェで仕事してから、パートナーと待ち合わせをした。Starbucksが混んでいたので、最近できたMc Cafeを選んだ。リーズナブルな値段だけれど、ゆっくりしようと思ったら、Starbucksでグランデを頼んだ方が良いかもしれない。休日、街中のカフェは若い人たちでいっぱいだ。

その後、パートナーと無印カフェで夕食を済ませて、本屋で時間を過ごした。幸せな時間だった。

2012年10月27日土曜日

待ち合わせ


昨日は、午後から研修を聴きに行ったのだけれど、何度も電話での呼び出しがあって、集中できなかった。マナーモードにしていても、会場を出入りするからまわりにも迷惑をかけるしね。ただ、携帯に入る連絡は、緊急対応がほとんどだから、無視するわけにもいかない。やれやれ。

そのまま、業界向けのテキストの監修をお願いするのに大学に向かった。先生が遅れるとのことだったので、夕食を兼ねて近くのマクドナルドで時間をつぶした。自宅に戻ったのは深夜だ、先生も同じくらい私と同じくらい熱い(暑苦しい?)人なので、時間がかかるのだよ。

今日は、朝からカフェのハシゴをして、約9時間パソコンに向かって書類を作っている。スポンサーに送るものだから、気を抜けいない。そろそろ疲れたので、パートナーに連絡を取って、待ち合わせすることにした。目の周りが小さく痙攣をしている。そういえば、最近時々起こっているなあ。

そろそろ、いつものカフェを出ることにする。

2012年10月25日木曜日

プラチナデータ


昨日眠れないまま、読みかけていた本を読み始めたら、そのまま読み切ってしまい、うまく睡眠がとれなくなった。厄介なのは、自分が起きているのか寝ているのか、区別がつかないいことだ。考え事もしているし、時々枕元の時計で時間を確かめているので、少なくとも完全な眠りではない。けれど、眠れなくて悶々としているというのでもなく、時間のたつのが早い、気がつくと夜明けが近くなっている。導眠剤に体が慣れたのかもしれない。奇妙な睡眠が続く。

今日は、会社のチームのひとつが歓送迎会の飲み会を開いた。あれこれ仕事をこなしているうちに遅くなって、料理もなくなるころになってようやく顔を出せた。元気なチームで、すでに大騒ぎだった。その知恵とエネルギーに現場は支えられている。何かあった時に、命がけで(そんな気分でということだよ)、現場を守る。その覚悟さえしていれば、私は、時々現場のチームにありがとう、と伝えてさえいれば良いだけのお気楽な仕事なんだね。

今日も一日、誰かと話をしていた。信じてもらえないけど、やっぱり人と話をするのは苦手だ。

2012年10月24日水曜日

しばらくお待ちください


今日は、出先で仕事を済ませた後、そのまま休みをもらった。きつい仕事だったけれど、管理職として引き受けないといけない仕事だったからね。たまには、ご褒美に自分を甘やかそうと思った。

実家にも近かったので、寄ることにした。母に手を合わせてから、父と近くの定食屋で食事をした。母を亡くしてから、外に出歩くのを嫌っていたのに、今日は付き合ってくれた。少し元気になってくれているのなら良いのだけれどね。同居している妹は、入れ違いで出かけたので会えなかった。電話では、元気だよと言ってた。この歳になっても、妹のことは気がかりだ。

その後は、自分の好きなことをして過ごそうと思った。県境を越えて、シネコンで映画を見た。たまたま、待ち時間なしで見られたので「The Raven(推理作家ポー最期の5日間)」を選んだ。面白かったけれど、スクリーンで見なくても良かったかもしれない。2本目の映画を観ようと思い、待ち時間をスターバックスで過ごした。

パソコンを開いて、12月に予定している研修のアイデアを固めて資料を作った。けっこう面白くて、気が付いたら、予定の映画は、始まっていた。自分の好きなことをやろうと思っていた日なのに、仕事にはまるというのは、どうかな。まあ、同じ仕事でも、好き嫌いはあるってことだ。

買い物をして、支払いを済ませる以外は、しばらく人と話をしないで過ごしたら、そのことがひどく楽だってことに、気がついて自分でも驚いた。人と話をするのが商売なのに、人は苦手だ。自分でもよくやっていると思う。

パートナーにお土産を買って、書店で数冊本を買いながら、好きなことをするんだということを思い出して、結局、パートナーを職場に迎えに行くことにした。今夜は遅くなると言ってたからね、電車と徒歩で行き、近くのマクドナルドで待つことにした。大好きな人を待つことは、とても楽しいことだと思う。帰りは、パートナーの車で一緒に帰れる。それも楽しみだ。

いましばらく、お待ちください。

2012年10月23日火曜日

ごめんね


映画を見たいという渇望のようなものがない。読書にしてもそうだ。深夜の三時になっても寝付けないので読んだ本、読んだから寝付けないのか、どちらが原因で結果なのか、眠れないのに変わりなので、どの道意味がない。本は読み切った。毒にも薬にもならない本だけど、嫌いじゃない。

仕事で北の方の街に車を飛ばした。顧客のアフターサービスと、挨拶を兼ねて、1件目、そのまま隣の街へ関係業者の担当者に文書を手渡して2件目。FAXで送れるような内容ではなかったので手渡したかった。明日までに目を通してほしかった資料でもあった。

帰りの車の中で「ごめんね」の言葉が心にこだましていいた。「なにかできることがあったのではないか」、謝罪と、諦めと、言い訳と、少しだけ自分責めるようない繰り言だ。しばらく泣いた。高速道路では、泣きながら運転するドライバをとがめる人もいないからね。

小さい時絵を開くのが好きだった。誰かと遊ぶより楽しかった。ちゃんと勉強しているわけでもないから上達しない。自分がどれくらい下手かわかるくらいには、絵を理解することはできる。だから美術館通うのだけれど、それにも興味が無くなりつつある。好きなことが面倒になるのは、メンタルの悪いきざした。気をつけよう。一人になりたい、誰も傷つけず、傷つかない。そんな時間がほしいけれど、そんな時間は来ない。いつだって、人は、誰かとかかわりながら生きている。

明日は(今日だけど)仕事を休んで、映画館で昼寝をしよう。もう夜明けだ。

PS.そんなわけないだろ。仕事だよ、仕事。

2012年10月20日土曜日

静かさ


朝7時から、延べ4軒のカフェをはしごしながら、仕事をしている。先日の敦賀へのドライブ以来、まともに休みを取っていない。明日も仕事だ。時々薬の力も借りながら、なんとか生きている。

ふとした時間に、ぼんやりどこかを眺めて過ごすようにしている。フル回転している頭を休めてやらないと、人間はおかしくなるからね。おかしくなると人は自分で自分のおかしさに気がつかない。人のことはよくわかるのにね。笑えるよね。

私の口癖は、「ありがとう」だ。だれかの相談を受けても、仕事の指示の後も、レジを通る時もね。笑顔をもらった時には、心の中でありがとうを伝える。最近、「ごめんね」も口癖になり始めている。謝罪が必要な時もあるけれど、どこかで自分を責めていないか、逆に、迷惑掛けていることをその言葉だけで済ませていないか、そんなことを考える。

生きていたいと思う。静かに生きていたいと思う。

PS.昨日は、急に呼び出されて、スポンサー参りだった。先方の担当者に費用対効果の説明をするってわけだ。先方の担当者だって、上司に発注の根拠を示す必要があるから、むしろ先方が動きやすいようにサポートするのが、ビジネスの基本、データを示しながらこちらも熱意をこめて説明する。よろしくお願いしまーす。

ラーメンを選ぶ


自分らしく生きよう、自分の望みをかなえようとしても、突然のアクシデントでそれが実らないこともあるだろう。理不尽な事故や災害で人生を変えられてしまう人もいる。不運や不幸もあるだろう。しかし、その後だって、人生が続く限り、人生の選択は続く。それが結果的に自分らしい人生の軌跡となるのに違いはない。

例外があるとすれば、自分の判断に限界や制限のある幼い子どもたちだ。虐待を受けている子どもたちは、「自分が自分である」ことさえ許されない。それでも、いずれ、自分であれこれ考えながら、色々なことを選びとることになる。おそらくは、つらく苦しい選択かもしれない。それを応援するのがまっとうな大人のやることだ。

もう一つの例外は、生きることそのものが消える時だ。生きていればこそ、自分らしさも、自分らしくなさもある。とにかく生きていよう。生きてさえいれば、それだけで、自分でいることができる。

いろいろ考え過ぎだなと思うけれど、今大きな決断に迫られているからだろう。既に結論は出していることだけどね。みんな生きていようね。

今日、出かけた帰りにラーメンを食べた。おいしいのかどうか、良くわからない。私にとってラーメンとは、故郷の商店街のはずれにある島で唯一のラーメン屋のラーメンだ。その店のラーメンか、それ以外のラーメンか、ラーメンは、その二つしかない。どうでもよい話だね。

2012年10月17日水曜日

アンソロジー

 
業界の初心者向けにテキストを作るので、監修をお願いしている専門家を神戸に訪ねた。いつもながら専門家の話は興味深い。もう一度、学生に戻りたいと時々考えているけれど、卒論のアドバイスをもらっているような、少し、そんな気分になれた。
 
往復の車の中で、さだまさしを流していた。私の青春時代と重なる人だし、曲作りの勉強にもなった。彼の曲を聴きながら、ふと思いついたフレーズは、「自分に戻りたがっている」だった。「自分らしく生きたい」と願っている人は多いけれど、そのことがいつも不思議だった。自分から逃れるということは難しい、人は、結局自分らしくしか生きられないからね。
 
自分に戻るって、なんだ。あるべき自分に戻るということか、今の自分から逃れようということか、そんなとりとめもないことを考えながら、つまるところ、日々を、その時その時を、誠実に選び取って行くしかないのだ。そして、その選択をきちんと引き受けるしかないのだね。
 
あまり、考えすぎないようにしよう。

2012年10月14日日曜日

北海道


昨日、会社のサービスに対して子どもたちの意見を聴く機会があった。その中で「大人は信じられない」という。人を信じるということはどういうことなのか、実は私自身はっきりした答えを持っていない命題の一つなんだ。大切なことなのにね。

ある子どもが「これから(の自分の将来は)良くなる」と言ってくれた。そうなんだ、何かを信じるということは「未来を信じる」ということなんだ、自分が大人になった未来を信じられないことと、自分の未来の姿でもある今の大人を信じられないことは、同じ意味なのかもしれない。私は、今日もまた子どもたちから教えてもらった。

小さな瞳が言う、「自分のことが嫌い、でも人のことが好き」、だったら多分、いつか、きっと自分のことも好きになれるよ、私は君のことが大好きだよ、そう伝えた。私の答えは正しかったのかどうか、わからない、でも小さな瞳は、笑顔で手を振ってくれた。少し、ホッとした。涙があふれた。

今日は、朝からカフェをはしごして仕事をしている、その間に会社からトラブルの報告があって、心が切れかかっている、「昨日も仕事をして、俺は休まずに働いてるじゃないか」と、そんな思いが言葉の表情に出たかもしれない。あとで、トラブル処理の確認をしに会社へ行こう、そして自分の部屋のロッカーを蹴り飛ばそう。多分、それで、済む。

PS.昨日、仕事を終ってから、街のデパートにパートナーと出かけた。北海道物産展が企画されていて、少しぜいたくしてお寿司をいただき、お土産にプリンを買い、ソフトクリームをなめているうちに、なんだか北海道で旅行をしている気分になってきて。とても楽しい。

PS.もう少し仕事をしたら、会社へ行こう。ロッカーを蹴り飛ばしにね・・・

2012年10月8日月曜日

フィッシュストーリー


小説はずいぶん前に読んだし面白かった。今日は映画を視た。これも面白かった。フィッシュストーリーの英語のニュアンスはホラ話(逃した魚は実際より大き目に語られからだろう)ということになるけれど、ホラ話でも何でも、物事を大きく語るということは、リーダーにとって必要かもしれない。

今日、通夜に参列した人は、会社の大先輩で、熱く夢を語り、実現する人だった。実際、独立し、自分で会社や事業を立ち上げることになっったのだけれど。人柄だろう、会場に入りきれないほどの参列者があった。

彼から、教わったことは多いし、彼の言葉は、実際、私の心に伝わっている。そのことは、伊坂幸太郎の小説のテーマとも重なるような気がする。ありがとうございました。

海を見に行こう


仕事漬けだった、三連休の最終日、海に行こうと思いついた。そうだ、日本海にしよう。理由はない、特に日本海が見たかったわけでもない、パートナーに喜んでもらえそうなところもすぐに思いつかなかった。ただ行こうと決めて車を流した。

今日の日本海は、とても穏やかでないでいる。その海をたくさんの人が眺めている。水際で遊ぶ子どもや魚を釣る大人もいたけれど、多く人は、ぼんやり海を眺めているだけなんだ。まあ、僕らもそうやって、海を眺めていたんだけどね。


近くにある、雑貨屋にも寄った。パートナーが可愛い金属性のアクセサリーを買った。動物をモチーフにしたブローチだった。店番をしていたのは、奥さんと二歳にならない、小さな女の子だった。あまりに可愛らしいので、許可を得て被写体になってもらった。個人情報なので、お見せできないのが残念。

同じ近くに、「清明神社」があって、今日は祭事の日だそうで、ご神体や厄災を封じているらしい祖石を拝んだりできた。たのしくし過ごしていたのだけれど、会社関係の訃報が届いた。

2012年10月7日日曜日

ルーティンワーク

 
 
コメダ珈琲に行き、朝7時から仕事をした。時間になったのでいつものカフェに河岸を変えた。すぐそばにあるけれど、駐車場を移動しないといけないのが、残念。パソコンを開いてからすでに8時間を超えた。ときどき、自分の不器用さに腹が立つ、哀しくなる。一生懸命やっているのにね。
 
ルーティンの仕事がひと段落ついた。「出さないといけない書類」というのは、ほんとに嫌いだ。創造性がないというのか、自分の遊ぶ余地がないというのか、肌に合わない。ちょっと、休憩して、いくつか研修用のテキストの作成に取り掛かる。こちらは、自分の専門分野の勉強にもなるからね。新鮮な気持ちで臨める。
 
ときどき、アンディ・ウイリアムスの曲が流れる。元嫁(離婚したと思う)のクロディーヌ・ロンジェの曲もが流れた。フランス語なまりの声なので、多分そうだと思う。カーペンターズのカバーだ。この夫婦とその子どもたちがジャケットになったこともあるのにね。良い曲が多かった。
 
PS.10時間仕事した。昨日も仕事だったし。(楽しい仕事だったけどね)、明日は、休むことにするよ。

2012年10月6日土曜日

夢の中で

 
 
最近聴いているのが、このアルバム。QUEENのエッセンスを楽しむには、ちょうど良い。
 
今日は、会社のイベントがあった。開始の挨拶をした後は、写真を撮っていた。子どもたちの笑顔もあってとても楽しい。模擬店もある会場でウロウロしていると、サンドイッチの食べさしだとか、フライドポテト1本、ポップコーン一粒だとかを、子どもたちがくれたりする。子どもには、好かれるタイプらしい。
 
友人が、バンドで参加してくれたり、また、一緒にやれるとよいな、なんて話もした。会社のイベントだけれど、励まされた気がする。
 
昨日、主治医と話をしていたら、母親の夢を見るかと訊かれた。ほとんど見ないと答えたら、本当に心に思っていることは、夢に出てこないのだそうだ。ふーん。母さん、僕はまだ、どこかで母さんのことを気にかけているみたいだ。親不孝だったんだよね。

2012年10月4日木曜日

コメダ珈琲


昨日、メタボ通院した後で、コメダ珈琲に入った。珈琲を注文したら、サービスで卵とトーストが付いてきた。そう言えば、名古屋は、モーニング文化というべきものがあって、その豪華さを競っていたような気がする。しばらくそこで仕事をした後で、会社に向かった。休めないのだよね。

今日は、ひととおり、仕事をこなして帰ろうとしたら、部下に呼び止められて、いっしょに小さなトラブルを処理した。ほっとくわけにもいかないのだよ。久しぶりに家族で食事ができる日だったのにね。心のなかでロッカーを蹴り飛ばした。心のなかで少しロッカーの扉がへこんだ。へこんだのは、ロッカーだけなんだろうか。

自宅について、駐車場で車を降りた。思わず、空を見上げて考えた。大宇宙を仰ぐと「人はちっぽけなままでもいいんだ」「大きなフリをしなくてもいいんだ」と思えるよね。誰かに勝とうとか、良く見せようとか、そんなに無理することないよね。

ああ、人間でいることが苦手だ。

2012年10月3日水曜日

アイアンスカイ


アイアンスカイ、映画のノベライズ。月の裏側に密かにナチス帝国が作られていて、地球を襲うという、荒唐無稽で、不謹慎な小説。だけど、面白い。メタボ通院の待ち時間に一気に読んでしまった。

不謹慎な物語が、嫌いかと言うとむしろ好きな人間だから、あまり偉そうには言えないのだけれど、夜、何気なく見ていたバラエティ番組で、出演者を貶めているとしか思えないような、進行に不快感を覚えた。特にしたり顔したアドバイスをする「専門家」の品格も疑う。テレビは、人を愚かにさせるのではなく、下劣にさせる。もちろん、素敵な番組もあるよ。

2012年10月1日月曜日

Try to remember again


9月27日に亡くなった。アンディ・ウイリアムズは、オリジナリティという意味では評価の低い人だと思う。けれど、さまざまなアーティストをカバーし、その曲の魅力をごくまっとうに引き出してみせてくれた。おかげで、彼を入り口にしてお気に入りのアーティストを増やしていった。

Try to remember」は、好きな曲だ。
Try to remember the kind of September・・・思い出の9月・・・さよなら、Andy.