2011年10月29日土曜日

ルーキーズ


先日、顧客サービスプランについて会社のルーキーたちに研修をした。今年の新人は、なかなかレスポンスが良いのでこちらも教えがいがある。グループでのワークショップ形式なので、始めに伝えたことは、「違うということは素敵なことだ」ということだ。チームの中のいろいろな考え方が自分の視点を広げ知恵になるのだね。知恵を集めて良いプランを作ってくれた。彼らがうちの会社の将来を担ってくれる。そのことに希望を持とうと思う。

相変わらず仕事がきつい。気が付いたらしばらく休みがなかった。部下が体調を気遣ってくれる。ありがたいことだと思うと同時に、彼らのために頑張ろうと思う。そうして今日も休日出勤だ。せめて定時に仕事を切り上げていつものブックカフェで夕食を取っている。山ほどある本が手招きする中で選んだのが、東野圭吾だ。適当な軽さが心地よい。

ここに来るまでに仕事の帰り顧客の見舞いに伺った。その途中、車を流しながら、ふと母の事を考えた。そうして気が付くと、頬が濡れていた。ようやく、哀しむことに慣れてきたのかもしれない、上手に泣けるようになったのかもしれない。ようやくだね。

PS.母さん、ごめんね、うまく哀しむことができなくて、さみしいです。

2011年10月24日月曜日

夕やけの日


いつものカフェで朝から仕事をして、あれこれ過ごしていると、夕方になった。西の空がほんのり染まり、このまま何事もなく休日が終わるのだと思っていたけれど、深夜に連絡が入った。職場に向かって、あれこれと対応を済ませたところだ。

もっとも、私のやることは、「ありがとう。 良くやってくれました。」と現場にメッセージを伝えるだけで、あまり役には立たないのだけどね。

PS.気が付けば夜明けが近い、星が美しい。オリオンがくっきりと見える季節になった。

2011年10月20日木曜日

見送ること


見送るということを考えた時に唐突に思い出した小説だった。誰かを見送ることについて、私たちはどんな覚悟を持てばよいのだろう。あるいは、見送ることさえできなかった時に私たちのその心の処しかたをどうすればよいのだろう。事故、災害、その時に私はいつもたじろぐ。自分に何の覚悟もできていないということにね。

見送ることができなかった。その責任の一端が自分にあるのか、整理できないまま、怒りと不安がないまぜになったまま心に残る。それは誰に対する怒りなのか、何に対する不安なのか、せめて、その覚悟のなさをできれば小さな刺のように、あるいは、痛みのように私は持ち続けようと思う。そして、今やるべきことをやろうと思う。

逃げるわけにはいかないのだよ。命というものを引き受ける仕事なんだよね。逃げるわけにはいかないのだよ。

2011年10月15日土曜日

勉強中


児童虐待の研修に出かけた。講演は、Dr. フランク W. パトナム氏。初日のテーマは、「トラウマが子どもの発達に及ぼす影響と長期的な結果-その結果を変えるために何ができるか」で、特に目新しい内容ではないにしても、考え方の整理もできたし、虐待はもちろん、環境からの逆境によって生まれたトラウマが子どもに与える影響と政策論も含めたその対策について少し広い視点で学ぶことができた。

英語による講演で通訳はしてくれるものの、もどかしさがあるし、訳すより英語の方が正確なニュアンスが伝わる。もう少し英語の聴き取りができればよいのだけれどね。とにかく楽しかったよ。

講演の後で会場で出会った知人と近くのカフェで意見交換ができたのが、とてもラッキーだった。これまで言葉をを交わしたことがなかったのだけれど、とても勉強になった。別れた後で、川沿いのマクドナルドで行き交う船を眺めながら、ハンバーガーを頬張る。普段と違う時間が流れて心地よい。

PS.30年前、学生の頃にちゃんと勉強していれば、もっと賢くなったのにね。残念だ。

2011年10月9日日曜日

初恋



大切な日を忘れていたので、敦賀の小さな雑貨屋に足を伸ばした。イベントの準備でオープンしていなかったのだけれど、親切にも中に入れていただいた。その人に似合いそうな小さなプレゼントを買い、帰り路は、峠を越えて琵琶湖に出た。

水鳥が眺められるカフェがあったので、しばし休憩。以前から行ってみたかったのだよ。ついでの事に佐川美術館によって歌川国芳展を観ている。先週から後期の展示に変わったので、これも楽しみにしていた。

さてと、大切な日だったからね。


「初恋」

車窓に映るあなたを見送った あの日 僕は恋をした

言葉ではなく あなたを心で呼びかけるようになり

気に留めていなかったできごとが 見えるようになり

そのことに 戸惑いながら はじめましてと挨拶をする

あなたが 僕のその戸惑いを 花でも摘むように

ゆっくり 解いてくれたのは それからしばらく後のこと



PS.一緒に行けなくてとても残念だった。

2011年10月6日木曜日

マッキントッシュ


ジョブズが逝った。マシンに対する思い入れという点でウィンドウズは、ただの賢いビジネスツールにすぎない。そもそもマッキントッシュがなければ、パソコンを始めることもなかったと思う。仕事を辞めたらまたマックに戻るよ。彼が天国で作るのは、どんなマシンだろうね。楽しみだ。

2011年10月5日水曜日

外は雨



通院の後で和歌山県立近代美術館に向かった。高井貞二展がおもしろそうだったからね。変動する昭和を写し取るような作品群ではあるけれど、歴史とのかかわりは、この際置いて楽しんだ方が良いし、それでも楽しめる作品だ。併設のコレクション展は、佐伯祐三の作品もあって、少し得した気分になったよ。初めてきた美術館だけれど、外は雨、ロビーで少しのんびりしている。


昼食は館内のレストランで済ませた。目の前に和歌山城を望み、ロケーションも悪くない。鮭の紙包み焼きをいただいたけれど、おいしかった。もっとも味にはうるさくないので、確かなことはわからない。


昨日、ミヤコワスレの君と夢の中で会うことができた。あれこれ近況を伝えたのだけれど、最後は時間だからと言葉ではなく言い残して消えた。ああ、もう君はいないのだね。夢の中でさえ、そのことに気が付くのだ。立て続けに身近な人がなくなっているせいか。そんなことに過敏になっているのかもしれないね。

PS.外は雨、お土産を買ってそろそろ帰ろう。



2011年10月2日日曜日

ミヤコワスレ



梨木香歩の「家守綺譚」にミヤコワスレの章がある。遠い昔にこの花の事を教えてくれたひとがいた。その人は、私よりも若く、数年後にはこの世を去ることになるのだけれどね。誰かと出会うことで知る言葉は多いだろう。それは、何か特別な響きや意味や姿として心に残る。それは、その人が失われてもなお深く残る。花言葉が「別れ」「短い恋」というのは、何か不思議な符合だね。

PS.少し疲れたので休むことにするよ。しばし忘れたいこともあるからね。

心が傾く


知り合いのライブに誘われた。いわゆるグループサウンズのコピーだ。楽しかった。何より演っている
本人たちが一番楽しんでいるのが良いのだろう。現役で音を楽しめているメンバーたちがうらやましいとは思うのだけれど、すぐに自分もやりたくなるわけではない。

曲を作る時や歌う時には、どこか心が傾くような感覚があるのだね。譬えて言うと、崖の上から身を傾けて、そのまま吸い込まれるように落ちて、気が付いたらどこか別の場所に立っている。そんな感じなんだ。その傾く感じがない間は、曲は生まれないし、歌う気持ちにもならない。それはそれで仕方のないことなんだね。

休日出勤の後、何となくおっくうになっていたのだけれど、パートナーがデートのセッティングをしてくれた。食事をして、おしゃべりをして、ライブ、心配してくれているのだと思う。感謝。

PS.さて明日も仕事だ。水曜日に代休をもらって通院する。早めに終わったら、美術館へ行こうと思う。


2011年10月1日土曜日

陰気なギャング


明け方、半端な時間に目が覚めて読むのに選んだだ。ギャングというのは、人がコツコツと稼いだあがりをかすめ取るのが商売だ。許される話ではないけれど、こういった商売へのあこがれみたいなものがあるから昔から小説や映画にされるのだね。この本も、そのコツコツと働いている人が読んでいるのではないかなと想像している。

先月の残業が100時間を超えた。りっぱな過労死予備軍だ。この週末も出勤と決まっている。次の休みが通院の日というのは、皮肉な話だな。ギャングになる暇もないってわけさ。

PS.いつもありがとう。