2012年9月30日日曜日

台風の残したものは


台風がやってきた。いつもそうだけれど、接近するにつれて加速しながら夕方には関西を抜けた。予定されていた運動会が中止になったので、いつものカフェで仕事をしていた。会社の様子も気になっていたけど、周辺の警報も解除されたようで良かった。たまっている仕事を片付けながらも、運動会に行けないのはとても残念だった。

台風は不思議だ。過ぎ去ったあとに、何かを残してゆくような気がする。それは、直截的な被害だったり、被害のない人には安堵感だったり、色々なんだけれど、それを確かめるようにみんなが空を見上げるのだと思う。

先日、アンディウイリアムズが亡くなった。私の音楽は、ビートルズでもなく、アイドルでもなく、彼から始まった。多分、あのころのアメリカの楽天的で、ある意味ヒューマンな雰囲気へのあこがれがあったのかもしれない。小さな炭鉱の町に生まれ、日本の文化の価値だとか、何も知らないただの子どもだった。多分その頃は、もっと遠い空を見上げていたのだと思う。

2012年9月29日土曜日

空の下


睡眠がとれるようになって、深夜に読む本は少なくなって来た。その中で読んだ本。誰しも会いたい人がいるだろう。でも、会うのがこわいこともあるかもしれないね。誰かに会うというのは、つきつめると自分自身に会う、あるいは自分自身を知るのと同じ重さなんだね。

さて、今日は運動会に来賓として出席した。子どもたちの懸命さに思わず声援を送った。がんばれ、そう、がんばれ子どもたち、がんばった分だけ、君たちの希望の空は大きくなるような気がするんだよ。

綱引きにも参加した。来賓だからね。チームリーダーだった。来賓だからね。ホントは数が足りなかったからだけど。結果は、1対1の引き分けに終わった。ちょっと悔しい。明日、天気が良ければ、別の運動会にも呼ばれているのだけれど、台風が思ったより早く来そうだ。子どもたちは楽しみにしているのにね。

私は子どもたちのために生まれてきたのかもしれないと思っていた。だけど、逆だった。私のために子どもたちは生まれてきてきてくれたのかもしれない。だって、子どもたちの姿は、私にあふれるほどの希望を伝えてくれる。だから、ありがとうの言葉を伝えるためにできること。子どもたちの喜びをこの空に伝えることができる。子どもたちの哀しみをこの空の代わりに泣くことができる。そんなことを考えた日だった。

2012年9月25日火曜日

みをつくし


小説のみをつくし料理帖がテレビドラマになった。実際の料理が映像になって視れるので、それだけでも楽しい。

今日は、一日ずっとしゃべりっぱなしだった。楽しい話ばかりではない。身を尽くし、心をつくし、言葉を尽くし、どこまで行けば、私は空っぽになるのだろう。空っぽになって、止まることができるのだろう。そんなことを考えた。

さて、導眠剤の効果はある。眠ろうと思ったら、眠ることができるから、とても楽だ。

2012年9月22日土曜日

労働者諸君


昨日、主治医と相談した。ストレス障害(PTSDとは異なる)のひとつだろう、休んだ方が良い、との診断だった。自分の見立てと同じだったので、良かった。(良かったのかのかどうか)かといって、休みがもらえる状態でもないし、今、私が休んだら、他の誰かが倒れることになる。休んでも、仕事は残っているし、支えてやらないといけない部下も多いからね。

休めない、辞められないとなったらどうする、と主治医から言われた。そう訊かれてもね。それができないから相談しているのに。まあ、とにかく、せめて、あと半年、持たせてくれと頼んだ。

とりあえず、導眠剤で、睡眠の質を高めて、疲労感を軽減しようということになった。極めて、まっとうな処方だ。抗うつ剤をどうしようかと主治医といっしょに考えたのだけれど、抗うつ剤で元気になったら、元気になった分、よけいに働いてしまう(自分の性格を考えるとね)だけのことだから、使わないことにした。試してみたい気持はあったので、残念だけどね。

それに主治医が言うには、「深夜であろうが、そんだけ本を読める元気があるなら、うつ病ではないだろう」だとさだ。確かにそうかもね。

そして、導眠剤デビューに感動した。比較的、楽に眠れたし、驚いたのは、深夜に目が覚めた時に、体が重く固まったような感じで、自分が、常温で凍っているような感じだったんだね。初めての感覚に感動した。まあ、こうやって、自分の病気に感動している間は、大丈夫だろう。

ということで、よく眠れた分、休日の今日もいつものカフェで仕事をしている。明日の日曜日も会社で仕事、来週の土日も会社で仕事、再来週は、土曜日が仕事、いやあ、休みがないではないか。週明けにメンタルヘルス対応の会議がある、私は、そのアンケートの担当者だ。皮肉なもんだな。本当に笑ってしまう。

労働者諸君死ぬんじゃないぞ、生き残れよ。

2012年9月19日水曜日

敵情視察


いつものカフェが休みだし、しんどいし、腹は減ったし、でも仕事はあるし、しかたなく、某珈琲チェーンで仕事をしている。ここは、本店のある名古屋人には馴染みの店で、「コメダ珈琲行こみゃー」というのは、普通の会話だった。特に、可もなく不可もないという店構えとメニュー。私自身は、下宿の近くにあった、「あすなろ」という喫茶店にいつも入り浸っていたから、あまり行ったことはなかった。

今は亡き「あすなろ」、イケメンのマスターとセクシーなウエイトレスの関係が実際どうだったのか、結局わからずじまいだったな。

で、OB会もあったし、車で聴いているのは、さだまさしとか井上揚水だ。青春だね。

2012年9月17日月曜日

いつかある日


眠れないまま、二日目の朝を迎えた。山用の簡易コンロで、お湯を沸かし、珈琲をいただく、美味い。こんな朝に飲めば美味いに決まっている。ハムとパンとスープで軽い朝食をとる、そういえば、合宿の時は、食糧係が一週間とか十日分のメニューを決めて、出発の前日に、スーパーで買い出しに出かけたっけ。

今回は会えなかった先輩の一人に電話をかけた。無性に声が聞きたくなったんだ。やんちゃできかん気の私を気にかけてくれていた人だ、いっしょにネパールに行こう、そんな話をした。いつかある日、そんな時が来るとよい。その人がリーダーで私がサブになって、良いパーティを作るのが、私の夢なんだ。

怪我をした先輩のもとには、家族が向かってくれることになった。同期の先輩が病院で迎えるために先に病院に行くので、見送る前に記念写真を撮った。そこには、年齢を重ねても、変わらないままの面々が映っていると思う。

残ったメンバーは、隣の池田牧場まで散歩して名物のジェラートをいただいた。そこでひとしきり、おしゃべりをして、おしゃべりをしている間に、せっかくだから永源寺に参拝することにに決まった。そこでもおしゃべりをして、おしゃべりをしている間に、鈴鹿の山を越えたところにある温泉に行こう、行くか、行こう、そういうことになった。車に乗りあって、車の中でおしゃべりをして、おしゃべりをしているあいだに到着した温泉で、一休みした。

そう、そういえば、合宿の後には、山を下りてから、風呂に入ることもあったっけ。なにせ、十日くらい風呂に入らないのは、当たり前で、当時のうら若き乙女にとっては、辛かったろうなと思うけど、前日の飲みっぷりを見ていると、そんなことを心配する必要もなさそうだけどね。

私は、帰りのこともあるので、温泉の前にあるベンチで、少し横になった。数分だけれど、睡眠をとったので、少し楽になった。その間も、おしゃべりは続いていて、私は私で、眠気覚ましの珈琲を流し込みながら後からおしゃべりに加わった。鈴鹿の山からクマザサが無くなってはげ山になったとか、そんなさみしい話もした。

名残惜しい気持ちを残しながら、名古屋方面に帰る連中とはそこでお別れすることにした。また会おう、という約束をしてね。私は、単身赴任のご主人を訪ねる同期の友人を一人乗せて関西方面に向かった。温泉からしばらくは、鈴鹿山脈を右手に見ながら走る。山頂は雲に隠れているけれど、とても楽しいドライブだった。おしゃべりをしているうちに到着した目的地で友人をおろして、別れた。

鈴鹿の山から戻った時は、たいがい、全員で駅前の飲み屋で食事をしてというか飲んで、酔っ払って、バスに乗って、途中で別れながら、最後は、ひとりで下宿に戻った。そんなことを思い出した。

このOB会の準備をしてくれた幹事の連中に感謝したいと思う。こんな気持ちのいい連中と、時間を過ごせたこと、いまでも過ごせること、本当に感謝したい。私には、幸せを祈ることができる、これほどたくさんの友人がいる。私は、つくづく幸せな人間だと思う。

燃えろよ燃えろ


クラブのOB会に出かけた。1日目、午前中に仕事を済ませて、2時間ほどで、滋賀県内の会場のキャンプ場に着くと、先輩諸氏は、すでに酒盛りを始めている。夕食が始まると、互いの仕事のこと、家族のこと、古い写真も飛び交い、相手を変えながら、おしゃべりが続く、何人かの還暦の宴も兼ねていたり、いい加減、みな酔いも回っているし、とにかくわけがわからない状態で、食事も片付かない。

ようやく始まったキャンプファイヤーも一時間ほど予定が遅れている。炎を囲みながら山の歌を歌い、盛り上がっているところに、先輩の一人が溝に転落して倒れたと声が聞えた。酔っ払って足をとられたのだろう。それでも、深い溝だし、始めは、意識もなかったので、すぐに119をコールした。仕事がら、救急車を呼ぶのには慣れている。意識は戻ったけれど、救急搬送されて、入院することになった。やれやれ、こんな所まで来て、危機管理だ。

なんとなく私がやることになっていたスタンツ(と呼んでいるゲームみたいなもの)も仕込みまでしたのに、さすがに中止だ。そのまま、炎を囲みながら、怪我の具合を案じたり、合宿の思い出を語り、星を眺め、付き添った先輩からの連絡を待った。うちのクラブは、上下関係がわりとフランクで、互いのニックネームで呼び合い、基本的に敬語は使わないし、あんまり、バリバリの体育会系の雰囲気はない。怪我をした先輩には悪いけれど、それはそれで、心地よい時間が流れて行く。

ロッジに引き上げて、付き添った仲間を待っていると、深夜を回っている。何人かが、酔いつぶれたり、疲れて床に入り、徐々に静かになって行く。結局、怪我をした先輩は、入院することになった。

体育会系のノリはないけれど、それでも後輩はかわいい、歳の差が意味のないくらい互いに年をとっても、幸せに暮らしている表情や、苦労しながらも笑顔を見せてくれると、本当に愛おしい。逆に、かわいがってくれた先輩にとって、私は、聞かん気でやんちゃな後輩のままなのだ。心配してくれているのがよくわかる。

結局、あれこれ考えている間に夜が明けて、熟睡はしなかった。最近、良い睡眠がとれていないから、仕方ないのだけれど、眠れないことが不思議と嫌な感じはしない。それほど、特別な夜だったんだ。

2012年9月13日木曜日

旧友は夏の終わりに


夜中に目が覚めて、読むのにちょうどよい。結局、二晩くらいで読んでしまった。すぐに眠れないので、むしろ気持ちを切り替えて、深夜に楽しむ読書、健康的とは言えないのだろうけど、気分に任せるしかないね。

上司は、指示を出すことも仕事だけれど、相談にのって、相手が自分の考えをまとられるようにすることもある。話し終えて、少しすっきりした顔で部屋を出る後ろ姿を見ると、役に立ったのかと思う。部下に限らず、ほかのチームからも、電話だったり、メールだったり、すれ違いざまの立ち話、時には、「まだ、いるかと思って」と姿をみせたり、相談されることもある。

直属の上司でないのが、親に話すより、近所のおじさんに話すような気安さがあるのだろう、愚痴だったり、専門的なアドバイスを求めたり、来てくれることもある。立場があって、あまり突っ込んだ話も、相手の上司に気兼ねもあるのだけれど、まあ、こんな私でも役になてるというなら、ありがたいことだ。

さて、明後日の夜は、旧友に会える。来週までに用意する書類がいくつかある。ぎりぎりまで仕事をしてゆくことになりそうだけれど、楽しみだ。

2012年9月10日月曜日

研修の旅


業界の研修に来ている。会場は、神戸の著名なホテル。懇親会に参加して、部屋に戻ったところだ。懇親会(夕食)と宿泊は、自費だ。業界の付き合いもあるから、しかたがないね。空き時間に資料を読み込んで、昨日の原稿に手を入れて、明日の研修を終えたら、神戸でのんびりしたいけれど、すぐに会社に戻らないといけない。せいぜい往復のドライブを楽しむことにする。

少し、頭が痛い。パソコンも開いたし、もう少し原稿に手を入れたいのだけれど、迷うなあ

PS.シングルがなかったのだろう。ツインの部屋になった。見晴らしは悪い。ま、それだけ。

2012年9月9日日曜日

火星ダーク・バラード


昨日は、一日体を休めていた。しかし、家でゴロゴロしていても疲れがとれない。立ち上がるとめまいがする。仕事しているほうが、むしろ疲れを感じない。そして、ゴロゴロしたついでに、読んだのがこの本だ。この人の本は、読み始めて日が浅いので(3冊目かな)、あくまで印象なのだけれど、全体に切ない。喪失と再生がテーマだからだろう。

今日は、いつものカフェで書類を作っている。内容は、業界の初心者向けのテキストのようなもので難しいものではないけれど、引用も含めて2万2千字だから、思ったよりボリュームはある。今の段階では、極めてラフだけれど全体のイメージやコンセプトが分かるくらいの所まで出来上がったので、次は、専門家の先生に監修してもらうことになる。たくさんダメ出しされるのだろうね。まあ、そのために予算を組んでいるのだから、皮肉ではなく、ありがたく意見をもらうことにする。勉強になるからね。

そろそろ帰ろう。明日からまた仕事だ。

2012年9月5日水曜日

東亰異聞


浮世離れをしたい時には、恐ろしの世界に浸るに限る。けれど、この小説は、ホラーと見せかけたミステリーだ。初めて読んだ人だけれど、ファンが多いのだね。

世の明ける前に目が覚めた。トラブルの始末で、一日忙殺されることも分かっていたし、今日が〆切の仕事もある。さっさと起きて、朝の5時から仕事をすることにした。始業までに、〆切の仕事を済ませた後は、ほとんど途切れることなく、あちらこちらに電話をして、調整し、相談にのり、報告して一日が終わった。

で、ひとりごとというのは、少なくとも私の場合、純粋のひとりごとではなく、周囲の人間に聞えよがしに言っていることがほとんどだ。ひとりごとで自分のお疲れオーラや忙しオーラを周囲に伝えているわけだ。ひとりきりの時にひとりごとは、あまり言わない。言わなかった。

ところが、今朝、通勤途中のだれもいない薄暗い歩道で「死んでしまうかもね」とつぶやいている自分に気がついて驚いた。いやあ、ほんとにびっくりだ。ほとんど、不謹慎だけれど、感動した。人の心の仕組みは、おもしろい。何度も言うけど感動する。

身体症状に、体のふらつきと動悸が始まった。いよいよ病気のクライマックスか。記録を続けよう。

2012年9月2日日曜日

時間よ止まれ


いつものカフェで仕事をしている。明日までに提出する書類とか、とっくに期限を過ぎた書類とか、これから時間をかけて作る書類とか、つまりは、常に時間に追われながら作る書類のいくつかを処理している。そのうちに会社から電話があり、対応を指示して、休日が過ぎて行く。

読み込んでおきたい専門書もいくつもあるのに、背中が痛み、頭痛もする。帰ることにしようと思うのだけれど、家に帰るのが怖い。家に帰りたいのに、いったん家に帰ると、明日の朝、仕事に行かないといけない。毎朝、仕事に行くくらいなら、ずっと会社で仕事をしている方がましだと思う。毎朝、仕事に行かなくて済むからね。このまま時間が止まると良いと思う。不思議だし、非論理的だし、矛盾しているけれど、病気の入り口に立っている時の気持ちというのは、そのようなものだと思う。そうしているうちに、病気は重くなってゆくのだけどね。

人の心というのは、ほんとに面白いと思う。しばらく、記録を続けよう。

ドライブの日


目覚めると、体も心もだるかった。だからこそ、外に出ようと決めて、パートナーを誘って滋賀県にあるキャンプ場に向かった。今月、OB会を開く予定の会場で、下見と言うほどのことでもなく、近くに永源寺もあるし、行ったことがなかったので、行ってみた。初めての場所は、おもしろいからね。

キャンプ場の近くに牧場がやっている食事処があって、ランチを済ませた後で、永源寺を参拝した。方丈は、葦ぶきで、見事なものだ。その回廊でぼんやりしていると、心地よい風が吹いている。思わず、しばらく横になって過ごした。

信楽にうまい珈琲をのませるカフェがあるので、そこに向かった。今日のお薦めの深煎り豆は、コロンビアで、えぐみのない良い味だった。帰ろうという時間になって、もと来た道を戻るのもつまらないので、新名神から三重県に抜けて亀山経由で戻った。夕暮れの雲がとても美しかった。きれいなものをきれいだねと語り合える人が、そばに居る。

けれど、せっかくの気分を裂くように、会社から連絡が入った。自宅に戻る途中だったし、現場で対応してくれるというので、任せることにした。処理が終わったと報告があったのは、深夜だった。お疲れ様、ありがとう。

最後はともかく、大好きな人と、好きな音楽を聴きながら、車をゆったり流して、おいしいものを食べて、きれいなものを眺めて、幸せなんだなと思う。