2011年3月30日水曜日

大きなかぶ


彫刻家の佐藤忠良が亡くなった。福音館書店の「おおきなかぶ」の挿絵を知っている人も多いだろう。作品は、佐川美術館に多く所蔵されている。そう言えば、美術館にもなかなか行けてない。しばらく休みが取れそうにない。

それでも、やるべきことをやる。みんなそうやって生きているのだからね。きっと大丈夫。

2011年3月26日土曜日

レスキュー


カフェで持ち込みの仕事。パソコンに向かって書類を整理しながら、憂鬱な気分になっている。異動に伴って現場のチームを組み直したものの圧倒的に人員が足りない。事務方のトップの前で「これでは事故が起こる」とつい本音が出た。大人げないことよ・・・

自分でもわかるくらい、あまり良い状態ではない。家族にも心配をかけている。心配かけていることがつらい。原発事故の現場で戦うレスキューのニュースが流れていた。彼らにも家族があるのだ。それでも戦うのだね。

良いこともあった。Hさん、おめでとう。

2011年3月23日水曜日

想うだけなら


少し疲れたけれど、仕事は残っている。しかたなく、ミスドで長居して、仕事をこなしている。こんな生活がいつまで続くのかとも思いながらも、仕事があるのはありがたいことなのだろう。ただ、わがままを言わせてもらうなら、現場に戻りたいのが本音だ。

ASKAのセルフカバーアルバム「君の知らない君の歌」を買った。つい、バックにCHAGEの声を想像する。30年、二人のコーラスを聴いていると自然にそうなってしまうのは、しかたないよね。しばらくドライブのBGMにするつもりだ。

ただ、肝心のドライブの時間がないのだよね。空を見上げて、声を出さないまでも、ああ旅がしたいと想う。どこか行きたいと想う。想うだけなのだけれど。

2011年3月19日土曜日

過酷な休日と優雅な仕事


近くのカフェで朝からパソコンに向かっている。職場ではまとまって時間がとれないので、休日に仕事を持ち帰るわけだ。座ってオーダーすれば、食事や飲み物が用意されるのだから、優雅な仕事であるなあ。

しかし、仕事で休みをつぶすのだから、過酷な休日でもある。物事は、視点を変えることで意味が変わるのだね。なんて愚にも付かないことを書いていることが空しくなるけれど、読んでいただいている方もいるのだからね。申し訳ないでござる。

BGMにエルトン・ジョン、ポリス、ブレッドが流れて、少し元気をもらった。

2011年3月18日金曜日

セーフティマネジメント


業界紙の原稿が仕上がったので、今日メールで送った。時間があるからとのんびり構えていたら、正月を過ぎてから、あわただしい日々が続き、手が付けられなかった。休日にも仕事が入るので、なかなかまとまった時間もとれない。

それは言い訳だね。本来私は、勤勉な人間ではない、文句を言われるのがイヤだから、しぶしぶやっている。とにかく締め切り(今日だけど)には間に合った。許されよ。

原稿のテーマは、セーフティマネジメント(リスクマネジメント)なんだけれど、原稿の仕上げにかかっている時に、東日本大震災が発生した。少し複雑な気持ちで原稿に向かうことになる。人の命に向き合うことが多い仕事だから、報道を受けとめながら、しだいに息苦しさを覚える。けれど、見守ることが、私の役目だろう。記憶し、仕事に活かすことが、専門職としての義務なのだと思う。

無力だなんて思うことはない、それぞれのやり方で、向き合うことだ。

2011年3月16日水曜日

読書の時間と祈りの時間


本屋で探したり、ネットで注文した本がたまってきた。深夜に目が覚めて、眠れないままに読むのではなく、日だまりのカフェでゆっくり読みたい。休みの日にカフェで仕事しているようでは、良くないでござるよなあ。

地震後のこの国の様子を見ていると、政治家の危機管理能力に不安を覚えつつも、外国から見れば、むしろ奇異に見えるほど、国民は、冷静に対応している。買い占めに走る人は、いても略奪が起きているとは聞かない。

気がかりなのは、むしろ、みんな気丈すぎることだ。もっと、おおっぴらに泣いても良いのだと思う。みんな、ひっそりと泣いているのかもしれないね、泣くことを忘れているのかもしれないね。相変わらず私は無力だし、伝える言葉も持たないけれど、ただここで祈っていようと思うのだよ。

この国は、まだ大丈夫だと思う。希望を持とう。

2011年3月15日火曜日

水に沈む町


母が逝ってから一月を超えた。同僚が贈ってくれた本「つみきのいえ」は、水の中に沈む町が舞台になっている。以前から欲しいと思っていた絵本だ。励ましてくれているのだろう。ありがたいことだとも思う。

今、テレビの向こうでは、水に沈む町について別のストーリーが止むことなく伝えられている。被害者の数を数字としてではなく、ひとつひとつの物語として、耳を傾けよう。そして残された者は、幸せになろう。ひるむことなく幸せになろう。泣きながらでもしあわせになろう。

そうあって欲しい、心から願っている。誰もが、誰かのしあわせを祈ることはできる。

2011年3月7日月曜日

休日



土曜日は、カフェにこもって会議の資料を作り、日曜日は、職場で仕事。月曜日は当たり前のように仕事だ。どこかで休みが取れると良いのだけれど、そんな時に限って、職場から携帯に連絡が入りそうで、遠出する気にもなれない。

仕事の遅れやミスが多い、何かを言い訳にすることもできないし、誰かのせいにするわけにもいかない。いっそ「もう、どうでもいいや」なんて言えたら良いのに、それを言える度胸もない。

なんだか、色々なことがおっくうになり始めている。あまり、良くない状態なのだろうね。写真は、病室の窓から撮ったものだけれど、その表情に感情移入している。鳥に表情や感情がなどあるはずもないのに、おろかでござるなあ。

2011年3月3日木曜日

EAGLES


京セラドームでEAGLESのライブが行われた。叫び、歌い、充分に楽しんだ。違和感が残ったのは、ドン・フェルダーが脱退していたからだ。彼がプレイしてこその「ホテルカルフォルニア」であり、「呪われた夜」なのにね。バンドには付きもののイザコザがあったのだろう。やれやれ。

ひとときの楽しみも終わり、追い立てられるように仕事をこなす毎日だ、仕事を辞めようかなと、いつも考えている。同僚から「辞めるのか」と訊かれる。顔に出ているのだろう。辞められない理由があるから、続けている。

アンコールの最後の曲、「ならず者」で泣けてきた。数千人の熱気の中で、泣いた。まあ、そんなこともある。そして心のどこかが少しずつ乾き始めている。感覚をなくし始めている。そう、そんなこともある。人間だからね。