2013年5月28日火曜日

光媒の花


「光媒の花」には、切ない物語が、登場人物が少しずつ繋がりながらオムニバス風に綴られている。物語の登場人物は、むしろ不器用で、そのくせ愛しい。

先日、天満橋の小さなマンションで、ミイラ化した親子が発見された。「いっぱい食べさせてあげられなくてごめんね」とメモがあったそうだ。冷蔵庫は空で、残っていたのは食塩だけ、生活に困っていたのだと思う。

母親には、子を死なせた責任がある。しかし、死因が特定できないほど、長い間、誰にも気がつかれないままで亡くなってた。誰とも繋がらないまま、誰にも頼れないまま生活していたんだね。どれほど追い詰められていたのか。

生きていれば、親子でもっと素敵な物語を作ることができたのではないか、メモに溢れる母親の気持ちが、そう思わせる。

なぜ、学ぶことが大切か、もうひとつ、理由がある。生きる力を身に付けること、そして、つまり、しあわせになる力を身に付けることなんだ。母親には、それが、ほんの少し足りなかった。回りも伝えることができなかった。ほんの少しの繋がればあれば、と思う。

2013年5月27日月曜日

正義と希望


川上未映子の「ヘブン」という小説を読んだ。「正義」について考えた。絶対的な正義というものを提示することは、難しい。国や地域、宗教や文化、属する集団、年齢や経験、おそらくいろいろな要素がからむと、同じできごとにでも、正しい、正しくないの判断は変わることになるからね。「テロ」の正義と非正義、少年犯罪のプライバシー保護、死刑制度、銃の所有、例をあげれば、キリがない。ネットの世界では「人殺し」は容認され、昨日までの正義が容易く変わる。

子どもたちに伝えたい。「正義」とはなにか自分で考えるために、勉強が大切だし、物事の筋道をきちんと追うことができたり、論理的な判断をするために大切なことを知り、心を揺さぶるような話を理解したり、その意味では学校はとても役に立つ。同時に矛盾するようだけれど、学ぶ場所は学校だけではないということも含めて学んでほしい。「正しい」ことが本当に正しいのか、見極める力を身に付けてほしい。

何のために勉強するのか、「正義の味方」になるためだよ、と伝えたい。心が折れそうなときでも、ちゃんと立っていられるように、学んでほしい。子どもたちがちゃんと学べるようにすることが大人の役割だ。そことは、憲法にきちんとかいてある。

何度でもいう。子どもたちは、常に、この国の、この世界の希望なんだからね。

2013年5月25日土曜日

「感嘆符」

ああ、朝だと思う 毎日のことなのに
日差しがまぶしとか
雨が息を湿らせるとか
小さな違いがあっても 繰り返される

ああ、驚きと戸惑いが混じった 感嘆符
仕事のちょっとした手順を 違えたり
忘れ物に気がついたり
小さな違いはあっても またかと笑う

ああ、秘密めいた気づき その感嘆符
誰かに伝えることが嬉しかったり
秘密は秘密のままに 暖める
小さな違いはあっても ドキドキする

ああ、喜びや悲しみの 感嘆符
大切なものを守ることができるが 誇らしくあり
大切なものをなくしてしまうことに 怯え
小さな違いはあっても 体を締め付ける

ああ、今日だと思う
自分が生まれた日
大切な誰かが生まれた日
小さな違いはあっても いちばん新鮮な一日なんだ

2013年5月23日木曜日

誰かをしあわせにする才能


西加奈子の「肉子」を読んだ。おもしろくて一気に読み上げた。誰かをしあわせにする才能を持っている人って居るのだろうと思う。その人は、きっと、どこか不器用にさえ見えるくらいぱっとしなかったり、逆に微笑むだけで人を安らかにしたりするんじゃないか。人を感動させる作品を産み出してくれる人とかね。それぞれの才能で人をしあわせにしてくれる。

声高でこれ見よがしの言動や、正義と損得勘定を他人に押し付ける、そんな人ではないと思う。匿名で誰かを誹謗中傷したり、誰かの大切にしているものをこわすとかね。その人たちは、自分自身は、しあわせなんだろうか。

私に、人をしあわせにする才能はないけれど、そんな人たちをサポートできる人間でいたいと思う。そんな仕事がしたいと思う。

2013年5月21日火曜日

「しあわせのシェフ」

「しあわせのシェフ」

初めて覚えた野菜の名前は 忘れてしまった
だけど知らない野菜には いつか私の指先が挨拶をする

初めてナイフを使ったとき おどおどした記憶はない
手首のスナップはすでに 刃先の加減とつながっている

レシピを舌先で転がし その日の気分と折り合いをつける
変えないために変えること それがポイント

生きることの方が よほど容易い
誰かを愛することができれば やりなおせるから

ふりむくと 作りかけの鍋
火を止めるタイミングと 秘密の隠し味

ああ しあわせには目に見える形があるらしい
おまけに 臭いと味までついてくる

私がしあわせのシェフになった日から
書きかけのレシピは まだ終わらない

2013年5月20日月曜日

「世界の片隅」

大統領も
戦場の兵士も
路上の子どもも
人間ひとりが寝転がっても
せいぜいふかふかのベッドか
夜営のハンモックか
がれきのひとかたまりもあれば足りるだろう
誰もが世界の片隅で たったひとりの自分を生きて居る
親も子も 男も女も
敵も味方も 白も黒も
友達もそうでないやつも
生まれたばかりでも 死の間際でも
たったひとりの自分で生きて居る
たったひとりで居ながら
誰かとよりそって居る
ひとりだからよりそって居る
どこかで互いに結ばれて
世界はしだいにつながれる
人間の取り分をわきまえて
花には花の 虫には虫の 場所を譲り
慎ましく生きよう
自分の都合ばかりを言い立てて
まるで自分だけが世界の真ん中に居るような
そんな声高に叫ぶやつを 私は信じない

2013年5月18日土曜日

ダメな息子

母さんから「今日は弁当の要らない日」と言われたのに、ボクは自分で弁当箱にご飯を詰め込んで幼稚園にいった。幼稚園にはあらかじめ注文されたパンがちゃんと届いていた。ランドセルが自分だけが茶色だった。当時、ランドセルは男の子は黒と決まっていたのに恥ずかしかった。あとからその事について聴いたら。ボク自身が茶色にすると言ってきかなかったそうだ。そんなきかん気の子どもだったのにボクはしかられた記憶がない。

一度だけ、夜に社宅を飛び出した。何かで叱られたのかもしれないけど覚えていない。飛び出すと言っても小さなこどものことだ、暗いし、心細いし、裏の土手をウロウロしているだけだった。その時、母さんはこっそりボクを探しに来ていた。

高校を卒業して東京で暮らしたいといったら、反対されなかった。一浪して、一年余分に大学に行き、卒業してしばらく無職でいたのに、そのことでなにか言われたこともない。

母さんは、他人のことを他愛もない話題であげつらうことは多かった。「あそこの店はどうだ」とかね。だけど、ボク自身のことをどうこう言うことはなかったし、それが当たり前のことなんだと思っていた。自分の息子には口うるさい今のボクとは違う人だった。

母さんの病気が助からないところまで来ているということをボクは気がつかなかった。母さん自身も知らなかったし、知らないままで亡くなった。入院し、意識の混濁が始まり、意識がなくなるまで、本当に短い時間に起こったことだ。 最後の十日ほどの時間を病院で寝泊まりしながら、不思議と辛いとか悲しいとも思わなかった。もちろん、病気に気がつかなかった不甲斐なさはいまも心にある。だけど、病院で母さんと過ごした時間は、不思議と楽しかったんだ。

「母さん、小さな船がたくさん見えるよ」「母さん、窓に小鳥が来てる」「母さん、今日は雪だ」伝わるはずのない母さんにボクは伝えた。ボクは、その時、母さんと旅行に来て駅のホームで迎えの列車を待っているような気分だった。母さんと二人きりでこんなにゆっくり旅をするのも初めてだったし、その頃のボクは忙しすぎる仕事にうんざりしていたからね。不謹慎だけど楽しかった。

お迎えの列車はなかなか来なかった。医者は毎日のように「今日が峠です」と言いながら、なかなかその時が来ないので、しまいにはなにも言わなくなった。母さんは、医者まで黙らせた。すごいね。

母さんが最後の息をひきとる時、ボクは食事をとるのに妹に少し時間を代わってもらった。病室を出て、ほんの10分ほどで妹から呼び出しがあった。病室に戻ったら妹は泣き叫んでいた。葬儀は決められた手順で進み、その時も悲しいとか辛いとは感じなかった。ただね、ボクは初めて母さんに叱られたような気がした。肝心な時にそばに居なかったんだからね。「ダメな息子だね」

母さん、ボクは母さんにとっていい子でしたか。さみしいです。

2013年5月17日金曜日

美しい人


息苦しく辛い小説だった。本来なら、私の今の体調で読むのに適切ではないのかもしれないけれど、適切なことばかりしている方がよほど息苦しい。そんなことを教えてくれた物語だった。

うまく言えないのだけれど、気持ちが疲れたときに自分で自分の感情のスイッチを切ることがある。そうでないと感情が暴動し自分をコントロールできなくなりそうな不安があるからだ。感情のスイッチを切ると言っても、見た目はぼんやり過ごすだけだ。

ある程度込み合って、長居してもうるさくいわれないカフェなんかが環境としてふさわしい。一人だけで過ごしていると、むしろ自分の感情に向き合ってしまうからね。

そう言いながら、次に読もうと考えているのがベストセラー「会話がとぎれない話し方 第2弾」なのだから、笑える。会話が苦手な人間だと思う。仕事の話や何かの議論をすること、研修の講師をすること、何十人の前で歌うこと、誰かの相談に乗ること、数十ページの書類を書くこと、それは、苦にならない。私が苦手なのは、他愛もないおしゃべりだ。

それは、生きる上で私に欠けている重要な要素だと思う。不器用だから、それをノウハウとして学ばないといけないのだね。やれやれ。そうやって、適切な本を選ぶ私。

2013年5月16日木曜日

まこと


まことは、同じ歳の幼なじみだった。まことは、肌が白く、ブロンドの髪で、茶色の目をしていた。通っていた幼稚園の近く街の外れ、炭鉱から出たボタで埋め立てた窪地に自宅があった。ボクの家から幼稚園には歩いて通える距離だったので、まことの家で一緒に遊ぶことが多かった。 母親は働いているのか姿をみかけることは少なかった。父親のことは、どんな人物か知らなかったし、聞いたこともなかった。まことの髪の色に関わりがある人なのだと思うのだけれど、ボクにとっては想像の外にあったし、まことと遊ぶことに必要なことでもなかった。

佐世保まで船で1時間、島の経済はその頃にはすでに斜陽になりつつある炭鉱で支えられていた。ボクの自宅は、同じ設計の長屋が並ぶ炭鉱の社宅だった。まことの家は、そういった規格とは違う民家だったので、炭鉱で糧を得ていたのではないのだろう。ボクは、そんなまことの家を少し羨ましく思っていたような気がする。

ボクたちが生まれる数年前には、朝鮮戦争もいったん休戦状態になっていたけれど、佐世保には、米軍が駐留し、佐世保の街でGIが闊歩することが当たり前の風景であった。彼らの存在に何かの意味を見いだすには、ただのおろかな田舎の子どもだった。

まこととは、そのころ流行っていたGI.ジョーで遊ぶことが多かった。その米兵を模したフィギュアとまことの父親のことを結びつけて考えたこともなかったし、現実にそうだったのかも確認したことはない。ボクにとって、まことの父親のことなど、日常を過ごすことになんの影響も与えることではなかった。まことにとってどうだったのか、今になって考えてみるみるけれど、考えることの意味や答えを得ることができるとも思えない。

GI.ジョーで遊びながらも、自動小銃から発射された弾丸が空気を切り裂く音や、手榴弾のウロコ模様が破片となって兵士の肉体を削ぐこと、首から下げた認識票の最後の使われ方も知らない。無邪気な子供の想像力ではつかまえることのできないことだ。

小学校に上がってまことは、一度、姓を変えた。担任からクラスに伝えられたのだと思う。姓が変わった訳は知らない、ボクにはすでに興味のないことだった。そのころにはボクも別の友達と遊ぶことも増えたし、一人で好きな絵を描くことも多くなった。まことと遊ぶ時間は減っていた。

まことが島を離れたときのことを覚えていない。炭鉱では、急に家族が別の生活を求めていなくなることは、ごく当たり前だった。ボク自身がその数年後には、見知らぬ土地で過ごすことになるのだから。

まことがそのあと、どんな人生を過ごしたのかも知らないし、生死も含めて確かめることもできない。苦労したのか、幸せなのか、想像してもなにも見えない。ボクは、いまでも想像力の足りない子どものままだ。

わかっているのは、まことの家で、まことと遊んでいた時間は、とても楽しかった。たとえそれが、兵士に見立てたフィギアで殺しあう遊びであったとしてもだ。遊びの中では、兵士は何度も生き返る。だけど、まことと過ごした時間は、楽しかった記憶として、ボクの心の底に、ぽっかり穴を開けたままだ。その穴は、この先も埋まることがない。

2013年5月15日水曜日

もうひとつの街


舞台はプラハ、主人公が偶然「もうひとつの街」に紛れ込んでしまう。そこは混沌の世界であり、言語や論理、物理法則さえ異なる。現実の街との境界がも次第に曖昧になって行く。表現された文章もほとんど理解できない。もう一度読み返してみても理解できないだろう。けれど、主人公とともに、その街をさまよううちに、次第に引き込まれて行く。

最後に主人公は、その街に向かう「路面電車」に乗るのだけれど、読み手は見送るしかない。読み手は、しばらくの間、現実の世界で自分の「路面電車」を探すはめになる。

読みながら考えた。どこに行っても、ある場所から別の場所に移動しても、自分の肉体や精神から逃れることはできない。もし変わったと感じたのなら、それは空間ではなく、自分自身の細胞そのものが入れ替わることではないか。そんな妄想のようなものも産み出す小説だった。わからない、けれど面白い小説。

2013年5月9日木曜日

電子ブック


本は持っているけれど、電子ブックで99円だったので、衝動買いした。コミックならタブレットでも読みやすい。著作権の切れた古い小説の無料版も読んだけれど、そちらはなじめなかった。本の厚みがないのは落ち着かない。読書や思考は、身体感覚や刺激のと密接に関わっているからだろう。小さい頃からタッチパネルに馴染んでいれば、違和感がないのかもしれない。

テーマになっているのは、原爆の話だ。原子力、遺伝子、テクノロジーの究極的な発達は、人間の通常の自然な営みから「神の領域」に足を踏み入れることにもなる。科学の発達を否定する気はない。ただ、人間は、自然に対する畏敬の念や謙虚さを失ってはならないと考えている。

私自身、情報機器を使いながら、どこか現在の情報化社会に違和感を感じている。確かに便利だし、パソコンが発明されなければ、私なんか役立たずの不器用なおっさんであったと思う。それでも、やはりどこかで、漠然とした違和感を感じている。

2013年5月7日火曜日

「円卓」



昨日、いつものカフェで「横道世之介」を読み終えた。学生時代の友人とは、なかなか会う機会が少なくなった。なかにはすでに故人となっているやつもいる。けれど、学生時代、その時に出会えたこと、言葉を交わし、瞳の奥の情熱や屈託を見つめ、ともに遊び、その事が今の私の心の一部になっている。そして、知らない間に、自分が恥ずかしい人間になってはいないか、その心の一部が教えてくれそうな気がする。


今日は、カフェまで歩いた。30分ほどでたいした距離ではない。リハビリにちょうど良い。西加奈子の「円卓」を選んで読んだ。生きていくことの覚悟は、子どもにだって、求められる。その覚悟のありようもひょっとしたら「個性」と呼ばれるのかね。その「個性」一つひとつが愛しい。その「個性」が円卓を囲む。スリリングだ。

2013年5月6日月曜日

神戸


せっかくの連休だし、神戸に出かけた。六甲アイランドの湾岸にあるカフェは、久しぶりだ。海を眺めながら、アールグレイを楽しんだ。先日読んだ、村上龍の「55歳からのハローライフ」に困ったときには、とりあえず紅茶だね、と書いてあったから。(そう意味のこと)

パートナーは、こんなときにも「電動シャボン玉」を持っている。晴れた空にシャボン玉は飛ぶ前に風に吹き飛ばされたけれど、この人にはいつも驚かされる。


次は海から山へ、六甲山のハーブガーデンまでロープウェイに乗った。お腹が空いたのでいただいたのはハーブをたっぷり使ったソーセージとワインジュース。


神戸は、海と山が一度に楽しめるし、洋館、美術館、カフェ、エキゾチックな街だ。


下りは、途中までよく整備された花壇の中を歩いておりた。たくさんの観光客が、家族連れ、恋人、友人、子どもや妊婦、みんな笑顔だ。笑顔を眺めるのは好きだ。そのくせ、その一つ一つの笑顔の背景にある人生を想像すると、なにか大きな洪水のなかに放り込まれたようで、圧倒された。

そんなもの想像なんかしなけりゃいいのにね。まあ、しかたないね。とにかく、楽しかった。

2013年5月3日金曜日

ふくわらい


読み終えた。奇妙な登場人物たち、誰かを理解しようとすることは、困難でむしろ不遜であるかもしれ ないけれど、それは、とても不思議な体験、体まるごとで感じる素敵な出来事だ。だからこそ誰かを 知ることは、自分を知ることになる。おもしろかった。

2013年5月2日木曜日

「優先座席」



「優先座席」

世界には哀しいことや辛いことであふれ
厄介ごとや悩ましいことにもきりがない
プリンセスは憂いの心で笑顔を返しプリンスは静かに拳を固める
敵と味方はリバーシブルで加害者と被害者は互いに孤独だ
思いが語られ耳を傾ける人がいる
自分の世界ばかりが広がると互いに窮屈だ
ちっぽけな自分でいようと思う
タンポポの黄色とツツジの紅
美しいものたちに少し席を譲 ろう
ちっぽけな自分でいようと思う
空の青と木々の緑
美しいものたちに少し席を譲ろう

2013年5月1日水曜日

図書館


隣町の図書館に出掛けた。近くの図書館より、設備も整っていて、蔵書の数も多いようだ。それでも、新刊をいつでも読むというわけにはいかないので、自分のコレクションから選んだ。駐車場は二時間まで無料だし、根をつめるのもよくないと考えて、一時間半で140ページで止めた。よいペースになってきたなと思う。

そのあとスーパーで買い物をして帰宅したら、体がだるい。午後から、もう一度図書館に戻って続きを読もうと考えてたのだけれど、無理をしないことにした。以前は一日に三冊も読んでいたのにね。もっとも、そんな読み方のほうが変わっているのだという人も多い。

一年前のブログを読むと、「一ヶ月近く休みがない」とか「残業時間が三桁」だとか、ああ、なるほどあまり健康的な生活ではない。今のほうがましなのかもしれないね。

五月だ。そう言えば、五月病なんて言葉があったっけ、病気も悪くないのじゃないかな。たまにはね。家族や会社には迷惑かけるけど、元気になったら、お返しすることにしよう。