2013年5月28日火曜日
光媒の花
2013年5月27日月曜日
正義と希望
2013年5月25日土曜日
「感嘆符」
ああ、朝だと思う 毎日のことなのに
日差しがまぶしとか
雨が息を湿らせるとか
小さな違いがあっても 繰り返される
ああ、驚きと戸惑いが混じった 感嘆符
仕事のちょっとした手順を 違えたり
忘れ物に気がついたり
小さな違いはあっても またかと笑う
ああ、秘密めいた気づき その感嘆符
誰かに伝えることが嬉しかったり
秘密は秘密のままに 暖める
小さな違いはあっても ドキドキする
ああ、喜びや悲しみの 感嘆符
大切なものを守ることができるが 誇らしくあり
大切なものをなくしてしまうことに 怯え
小さな違いはあっても 体を締め付ける
ああ、今日だと思う
自分が生まれた日
大切な誰かが生まれた日
小さな違いはあっても いちばん新鮮な一日なんだ
2013年5月23日木曜日
誰かをしあわせにする才能
西加奈子の「肉子」を読んだ。おもしろくて一気に読み上げた。誰かをしあわせにする才能を持っている人って居るのだろうと思う。その人は、きっと、どこか不器用にさえ見えるくらいぱっとしなかったり、逆に微笑むだけで人を安らかにしたりするんじゃないか。人を感動させる作品を産み出してくれる人とかね。それぞれの才能で人をしあわせにしてくれる。
声高でこれ見よがしの言動や、正義と損得勘定を他人に押し付ける、そんな人ではないと思う。匿名で誰かを誹謗中傷したり、誰かの大切にしているものをこわすとかね。その人たちは、自分自身は、しあわせなんだろうか。
私に、人をしあわせにする才能はないけれど、そんな人たちをサポートできる人間でいたいと思う。そんな仕事がしたいと思う。
2013年5月21日火曜日
「しあわせのシェフ」
「しあわせのシェフ」
初めて覚えた野菜の名前は 忘れてしまった
だけど知らない野菜には いつか私の指先が挨拶をする
初めてナイフを使ったとき おどおどした記憶はない
手首のスナップはすでに 刃先の加減とつながっている
レシピを舌先で転がし その日の気分と折り合いをつける
変えないために変えること それがポイント
生きることの方が よほど容易い
誰かを愛することができれば やりなおせるから
ふりむくと 作りかけの鍋
火を止めるタイミングと 秘密の隠し味
ああ しあわせには目に見える形があるらしい
おまけに 臭いと味までついてくる
私がしあわせのシェフになった日から
書きかけのレシピは まだ終わらない
2013年5月20日月曜日
「世界の片隅」
戦場の兵士も
路上の子どもも
人間ひとりが寝転がっても
せいぜいふかふかのベッドか
夜営のハンモックか
がれきのひとかたまりもあれば足りるだろう
誰もが世界の片隅で たったひとりの自分を生きて居る
親も子も 男も女も
敵も味方も 白も黒も
友達もそうでないやつも
生まれたばかりでも 死の間際でも
たったひとりの自分で生きて居る
たったひとりで居ながら
誰かとよりそって居る
ひとりだからよりそって居る
どこかで互いに結ばれて
世界はしだいにつながれる
人間の取り分をわきまえて
花には花の 虫には虫の 場所を譲り
慎ましく生きよう
自分の都合ばかりを言い立てて
まるで自分だけが世界の真ん中に居るような
そんな声高に叫ぶやつを 私は信じない
2013年5月18日土曜日
ダメな息子
母さんから「今日は弁当の要らない日」と言われたのに、ボクは自分で弁当箱にご飯を詰め込んで幼稚園にいった。幼稚園にはあらかじめ注文されたパンがちゃんと届いていた。ランドセルが自分だけが茶色だった。当時、ランドセルは男の子は黒と決まっていたのに恥ずかしかった。あとからその事について聴いたら。ボク自身が茶色にすると言ってきかなかったそうだ。そんなきかん気の子どもだったのにボクはしかられた記憶がない。
一度だけ、夜に社宅を飛び出した。何かで叱られたのかもしれないけど覚えていない。飛び出すと言っても小さなこどものことだ、暗いし、心細いし、裏の土手をウロウロしているだけだった。その時、母さんはこっそりボクを探しに来ていた。
高校を卒業して東京で暮らしたいといったら、反対されなかった。一浪して、一年余分に大学に行き、卒業してしばらく無職でいたのに、そのことでなにか言われたこともない。
母さんは、他人のことを他愛もない話題であげつらうことは多かった。「あそこの店はどうだ」とかね。だけど、ボク自身のことをどうこう言うことはなかったし、それが当たり前のことなんだと思っていた。自分の息子には口うるさい今のボクとは違う人だった。
母さんの病気が助からないところまで来ているということをボクは気がつかなかった。母さん自身も知らなかったし、知らないままで亡くなった。入院し、意識の混濁が始まり、意識がなくなるまで、本当に短い時間に起こったことだ。 最後の十日ほどの時間を病院で寝泊まりしながら、不思議と辛いとか悲しいとも思わなかった。もちろん、病気に気がつかなかった不甲斐なさはいまも心にある。だけど、病院で母さんと過ごした時間は、不思議と楽しかったんだ。
「母さん、小さな船がたくさん見えるよ」「母さん、窓に小鳥が来てる」「母さん、今日は雪だ」伝わるはずのない母さんにボクは伝えた。ボクは、その時、母さんと旅行に来て駅のホームで迎えの列車を待っているような気分だった。母さんと二人きりでこんなにゆっくり旅をするのも初めてだったし、その頃のボクは忙しすぎる仕事にうんざりしていたからね。不謹慎だけど楽しかった。
お迎えの列車はなかなか来なかった。医者は毎日のように「今日が峠です」と言いながら、なかなかその時が来ないので、しまいにはなにも言わなくなった。母さんは、医者まで黙らせた。すごいね。
母さんが最後の息をひきとる時、ボクは食事をとるのに妹に少し時間を代わってもらった。病室を出て、ほんの10分ほどで妹から呼び出しがあった。病室に戻ったら妹は泣き叫んでいた。葬儀は決められた手順で進み、その時も悲しいとか辛いとは感じなかった。ただね、ボクは初めて母さんに叱られたような気がした。肝心な時にそばに居なかったんだからね。「ダメな息子だね」
母さん、ボクは母さんにとっていい子でしたか。さみしいです。
2013年5月17日金曜日
美しい人
息苦しく辛い小説だった。本来なら、私の今の体調で読むのに適切ではないのかもしれないけれど、適切なことばかりしている方がよほど息苦しい。そんなことを教えてくれた物語だった。
うまく言えないのだけれど、気持ちが疲れたときに自分で自分の感情のスイッチを切ることがある。そうでないと感情が暴動し自分をコントロールできなくなりそうな不安があるからだ。感情のスイッチを切ると言っても、見た目はぼんやり過ごすだけだ。
ある程度込み合って、長居してもうるさくいわれないカフェなんかが環境としてふさわしい。一人だけで過ごしていると、むしろ自分の感情に向き合ってしまうからね。
そう言いながら、次に読もうと考えているのがベストセラー「会話がとぎれない話し方 第2弾」なのだから、笑える。会話が苦手な人間だと思う。仕事の話や何かの議論をすること、研修の講師をすること、何十人の前で歌うこと、誰かの相談に乗ること、数十ページの書類を書くこと、それは、苦にならない。私が苦手なのは、他愛もないおしゃべりだ。
それは、生きる上で私に欠けている重要な要素だと思う。不器用だから、それをノウハウとして学ばないといけないのだね。やれやれ。そうやって、適切な本を選ぶ私。
2013年5月16日木曜日
まこと
まことは、同じ歳の幼なじみだった。まことは、肌が白く、ブロンドの髪で、茶色の目をしていた。通っていた幼稚園の近く街の外れ、炭鉱から出たボタで埋め立てた窪地に自宅があった。ボクの家から幼稚園には歩いて通える距離だったので、まことの家で一緒に遊ぶことが多かった。 母親は働いているのか姿をみかけることは少なかった。父親のことは、どんな人物か知らなかったし、聞いたこともなかった。まことの髪の色に関わりがある人なのだと思うのだけれど、ボクにとっては想像の外にあったし、まことと遊ぶことに必要なことでもなかった。
佐世保まで船で1時間、島の経済はその頃にはすでに斜陽になりつつある炭鉱で支えられていた。ボクの自宅は、同じ設計の長屋が並ぶ炭鉱の社宅だった。まことの家は、そういった規格とは違う民家だったので、炭鉱で糧を得ていたのではないのだろう。ボクは、そんなまことの家を少し羨ましく思っていたような気がする。
ボクたちが生まれる数年前には、朝鮮戦争もいったん休戦状態になっていたけれど、佐世保には、米軍が駐留し、佐世保の街でGIが闊歩することが当たり前の風景であった。彼らの存在に何かの意味を見いだすには、ただのおろかな田舎の子どもだった。
まこととは、そのころ流行っていたGI.ジョーで遊ぶことが多かった。その米兵を模したフィギュアとまことの父親のことを結びつけて考えたこともなかったし、現実にそうだったのかも確認したことはない。ボクにとって、まことの父親のことなど、日常を過ごすことになんの影響も与えることではなかった。まことにとってどうだったのか、今になって考えてみるみるけれど、考えることの意味や答えを得ることができるとも思えない。
GI.ジョーで遊びながらも、自動小銃から発射された弾丸が空気を切り裂く音や、手榴弾のウロコ模様が破片となって兵士の肉体を削ぐこと、首から下げた認識票の最後の使われ方も知らない。無邪気な子供の想像力ではつかまえることのできないことだ。
小学校に上がってまことは、一度、姓を変えた。担任からクラスに伝えられたのだと思う。姓が変わった訳は知らない、ボクにはすでに興味のないことだった。そのころにはボクも別の友達と遊ぶことも増えたし、一人で好きな絵を描くことも多くなった。まことと遊ぶ時間は減っていた。
まことが島を離れたときのことを覚えていない。炭鉱では、急に家族が別の生活を求めていなくなることは、ごく当たり前だった。ボク自身がその数年後には、見知らぬ土地で過ごすことになるのだから。
まことがそのあと、どんな人生を過ごしたのかも知らないし、生死も含めて確かめることもできない。苦労したのか、幸せなのか、想像してもなにも見えない。ボクは、いまでも想像力の足りない子どものままだ。
わかっているのは、まことの家で、まことと遊んでいた時間は、とても楽しかった。たとえそれが、兵士に見立てたフィギアで殺しあう遊びであったとしてもだ。遊びの中では、兵士は何度も生き返る。だけど、まことと過ごした時間は、楽しかった記憶として、ボクの心の底に、ぽっかり穴を開けたままだ。その穴は、この先も埋まることがない。
2013年5月15日水曜日
もうひとつの街
2013年5月9日木曜日
電子ブック
2013年5月7日火曜日
「円卓」
昨日、いつものカフェで「横道世之介」を読み終えた。学生時代の友人とは、なかなか会う機会が少なくなった。なかにはすでに故人となっているやつもいる。けれど、学生時代、その時に出会えたこと、言葉を交わし、瞳の奥の情熱や屈託を見つめ、ともに遊び、その事が今の私の心の一部になっている。そして、知らない間に、自分が恥ずかしい人間になってはいないか、その心の一部が教えてくれそうな気がする。
今日は、カフェまで歩いた。30分ほどでたいした距離ではない。リハビリにちょうど良い。西加奈子の「円卓」を選んで読んだ。生きていくことの覚悟は、子どもにだって、求められる。その覚悟のありようもひょっとしたら「個性」と呼ばれるのかね。その「個性」一つひとつが愛しい。その「個性」が円卓を囲む。スリリングだ。