2011年12月31日土曜日

君の揺りかご



逝く人があり生まれ来る命があって、一年が過ぎようとしている。仕事に追われるような一年でもあった。しんどい思いをしながらもやっていけるのは、幸せを売る商売だからかもしれないし、だからこそしんどいのかもしれないし、よくわからない。よくわからなくても時は行き、時は来る、幾重にも重なり、取り返しのつかないような気分が身体に織り込まれてゆく。

失われることの哀しみがあった。それでも、希望はある。絶望の淵に寄り添うようにそれはある。そのことを倦むことなく伝えるのが私の役目なんだろう。

PS.さてとお世話になった皆さんに感謝、ありがとう、それから君に送る詩だ


「君の揺りかご」

君をいとおしむ思いを隠しようもなくさらけだす母
戸惑いながらも君のすべてを引き受けようとする父

あなたを愛する人々の気持ちはやさしく君の心に転写される
そういった心の仕組みがあることを僕らは知っているけれど

あらかじめ定められた決まりごとではなく
君の柔らかな皮膚をとおしてそのことを新鮮に体験する

やがて君は少しずつ身の回りのことから聴き分けて
この世界が傷つきやすいことを手探りで理解するだろう

がれきの街の光景をこの国の記憶として
目にするのはしばらく後になるにしても

君は痛みの気持ちでそれを受け止めることになる
愛はその準備のための揺りかごなのだよ

大みそか


いつものカフェで仕事をしている。今日も会社からSOSの電話があった。現場の担当マネージャーと電話でやりとりをして(お互い休みだから)、対応を指示して、そうやって「休日」は過ぎて行く。最後の確認があるので、夜、現場に行く予定だ。

処理しても処理しても、用意する書類の数やこなすべき仕事の数は減らない。休みだろうがなんだろうが、仕事の電話が入る。パートナーに言わせると「あなたは落ちている仕事まで拾っている」そうだ。誰かが落とした仕事があれば、ほっておけずに、つい拾ってしまうのは、根が貧乏症ということか。違うか。ともかくも、そんな調子では仕事が減るわけないなとは思う。管理職にも向かないと思う。思うけれどね。

絵本を読んだ。そこには不思議な世界がある。忘れていたことを少しずつ思い出すような感覚だ。しばらくこの作家の本を読んでみようと思う。

そろそろ帰るよ、夕食を済ませたら、現場に顔を出す。現場に休みはないからね。大みそかか・・・

Låt den rätte komma


映画館で観損ねたのでレンタルで観た。スウェーデンの映画である。吸血鬼映画としての質は高いと思う。おぞましく、美しく、切ないストーリーだ。あくまでホラー映画なので好みはそれぞれだろう。

色々なことがあった日に、気分を変えるのには役に立つ。少なくとも心のトーンは下がる。

PS.なんて書いているうちに大みそかとなりにけり。

2011年12月30日金曜日

SOS


昨日は、気分を変えようと映画館に足を運んだ。待ち時間の間に会社からSOSの連絡があった。トラブルの状況を確認してから、やっかいな電話を一本かけた。クレーム処理だ。理不尽だとは思っても冷静に対応するしかない。いったん話を伺って翌日面談することにした。相手は、不安な気持ちを受け止めてほしいだけなのだ。それでも、なかなか慣れない仕事だ。

で、今日である。結局、電話だけで話がついて、とりあえず一件落着。そのまま午前中は、現場の応援に入って身体を動かした。気分が良い。その後、書類をいくつか作っている間に、別のクレームが入って、しばし面談。いったんケリをつけた。

ようやく会社を出て、知人宅を訪問、赤ちゃんが生まれたのだよ。抱かせてもらった。とてもかわいい。笑顔で応えてくれるし、しばらくあやしている間に眠ってしまった。よそ様の子供だけれど本当に愛おしい。この小さき者たちがきちんと愛されて、生きる事ができる世界を作るのが私の仕事だ。私は、本質的に無愛想で、無神経な人間だけれど、案外、子どもには好かれるのだよ。不思議だけどね。

夕食をいつものカフェでとって、近くのスーパーで買い物をしていると、会社からまた、SOSの連絡が入った。アドレナリンが分泌される。鼓動が速くなって臨戦態勢になる。冷静でいないといけないのにね。「すぐに行くから」と応えて、出ようとしたら、再度連絡があって、なんとか対応できたそうだ。

で、昨日の映画はReal steel。ボクシング、ゲーム、ロボット、親子愛に関わる過去の映画のオマージュのような作品だった。だいたい主人公のロボットの名がアトムなんだからね。作品の質がどうというより、単純に楽しめる。原作は、映画とはずいぶん趣が違うようだ。さっそくアマゾンで注文した。

PS.・・・と、まあ、こんな感じでさえない中間管理職の年末の「休日」が過ぎて行く。やれやれ、来年が思いやられる。

2011年12月29日木曜日

アドレナリン


休みだからと言って仕事がなくなるわけではない。朝からいつものカフェでいくつか書類を作っていた。夕方近くになって、会社からSOSの連絡が入り、「すぐに行くから」とカフェを飛び出したけれど、すぐに連絡が入った。なんとか現場で対応してくれたようだ。ありがたい。

ただ、いったん放出されたアドレナリンで身体が興奮している。気持ちを休めるために再びカフェに戻った。心と体は、アクセルとブレーキを一度に踏んでいるような具合で、とても気分が悪い。仕事を続けようと思ってパソコンを開いたけれど。飛び出す時にあわててデータを保存したので、ファイルが破損している。修復している間に集中力が切れた。やれやれ・・・

ホットチョコレートをオーダーして一服したところだ。書類を作るのはあきらめて、年明けに会社で小さなプレゼンがあるので、今更ながら、こんなを読もうと手に取った。おもしろそうだなと思いながらも、背中のテーブルで、老夫婦の会話のやり取りが聞こえる。内容までは聞き取れないけれど、仲がよさそうなことだけは伝わる。

PS.そろそろ帰ろうかな。

2011年12月25日日曜日

Innovation


Jobsに影響を与えたとして紹介されていたので読んでみた。10年前の本ではあるけれど、多くの企業が革新的な技術イノベーションが現れる時に必ずしも成功しないのは何故か解き明かしてくれる。優秀な企業ほど、むしろ成功しないという逆説的な論理を事例を基に分析している。

ちゃんとしたマーケティングが必ずしも有効ではないとか、率直に面白かったし、自分の会社に重ねてみると頷くところが多い。うちの会社も従来のマーケットや顧客にこだわる必要はないし、これまでとは違う市場に資源を投入するのも面白い。顧客のニーズやそれに合わせた組織にこだわっていては、企業として生き残れないかもしれない危機感も感じるし、今の仕事から、自分自身スピンオフすることも悪くないのではないかと考えてしまう。

少し真剣に考えてみようと思う。

PS.今日は、あえて仕事を封印して、読書三昧の日にするつもりでいつものカフェで過ごしている。

自分らしくか…



出かけようと考えたのだけれど、どうにも体が重くて起きる事が出来ない。疲れているのだろう。午前中は、ゆっくり過ごすことにした。洗い物をして、洗濯をしているうちに少し体が楽になった。休みのうちに片づけておきたい書類を一本上げた後でクリスマスイブの買い物に出かけた。

夕食を済ませた後で、ぼんやりしたくて手持ちのコレクションの中から選んだDVDは怪奇大作戦だ。40年以上も昔の作品で「特撮」のレベルも低い。けれど科学冒険小説風でどこか江戸川乱歩の世界を連想させる雰囲気は好きだ。

話の続き…

自分らしさについて考える時、運命とは大げさだろうけれど、運、不運というのは確かにある。生まれる環境を選ぶことのできることはできない。裕福な家庭に生まれるとか、平和な時代を経験したことがないとか、何かの病を得るとか、事故や災害、大切な人との出会いや別れ、思うに任せないことが多い。

自分らしく生きるどころか、明日の命さえ見通せない時に、じっくり考えて何かを選びとる余裕などない。だとしたら、まずは、生き残ろう。生き残らなければ、運命を変える事さえできない。そのために、手を貸せることがあれば、わずかでも手を貸すことだ。無理のない範囲で、それぞれの場所で、私にできる事などたかが知れているにしてもね。

また、落ち込みそうだよ・・・

2011年12月23日金曜日

阪急電車


人生のあるいは、生活のささやかな節目で、何かを選択し、決断し、出会い、別れ、言葉を選び、伝え、そういった一つひとつの事がらの積み重ねによって、人は、自分らしさを形作る。

だからこそ、その一つひとつの場面や、出会う人や、起こったことがらときちんと向き合うことが大切なのだと思う。そうやって人生と向き合うことで初めて、人は、他に替えようのない自分らしさを形作る。

そんな事を考えた。

京都へ行こう


   

 

金閣寺を訪れた。鹿苑寺の方丈も特別公開されており、狩野派のふすま絵だとか、聖観世音菩薩を拝することができる。仏閣には詳しくないけれど、庭園を望む陽だまりの濡縁で解説員の話を聴いていると少し賢くなった気がした。

町中に戻って、昼食はカレーうどん。本屋をのぞいて、丸尾末広のパノラマ島綺譚(原作は江戸川乱歩)を購入した。最近気になっている作家だ。お子様向けではない大人のコミックだし、好き嫌いは分かれるだろう。

ついでのことに錦市場をひやかして迎春気分を味わい、平安女子高校のイルミネーションを楽しんんで少しおごそかな気分になり、充実した一日だった。 

2011年12月21日水曜日

Love actually


今日はクリスマスのイベントだった。現場が好きな管理職の私のコスチュームはもちろん、サンタクロースだ。いくつかのプログラムがあり、ユーザーにささやかなプレゼントを配ると、そこには、笑顔がある。よくある諍い、心ふさぐ憂鬱、やり残した仕事、そういったあれこれを一時忘れて、せめて忘れたふりをして、過ごすことができる。

クリスマスだからね。同じように、世界中に、何億、何千万の笑顔があふれていれば良いのだけれど、絶望、飢餓、暴力、孤独そういったあれこれが、一時、消えれば良いのだけれど、多分、クリスマスという言葉を知らない人の方が多いのだろう。

Love actuallyは、好きな映画だ。オムニバス風にいくつかのストーリーがクリスマスの日に重なり合って紡がれる。特に、かつてのロックスター役のビル・ナイが秀逸だ。

2011年12月18日日曜日

Speech


週末は、自宅で持ち帰りの仕事をして、テレビを聞き流し、洗濯をして、思いついたように本を読み、レンタルしたDVDを視て、結局、自宅から一歩も出ることなく過ごした。

何処かへ行くだけの気力も出なかった。まずいな、明日の朝、仕事に出るのがつらくなる、わかってはいるけれど、仕方のないことだ。それでも、予定されている会議の資料もいくつか用意できたし、週明けの仕事が少し楽になるはずだ。

スピーチは難しい。何かを伝える事は難しい。大切にしていることは、情報ではなく物語を伝えることだ。その物語に自信が持てないとスピーチもうまくいかないからね。話が苦手な私が言うのと説得力がないけれど。

PS.パートナーが数日留守にしている。心の半分がどこかに消えたような気分だ。

2011年12月14日水曜日

毎日こども


通院で休みをもらって、急ぐものもあったので、そのままミスドで仕事をして、暗くなったので、久しぶりにレンタルショップに寄って、選んだDVDの一枚。子役の二人が良いし、おもしろかった。

近頃、ドラマや映画で子役と犬が幅を利かせている。演技だかどうだかわからないくらいの演技も含めて、良い演技をするし、プロ意識も高い、それはそれで良いのだろうけど、あの子たちの将来が気がかりだ。大きなお世話だろうけれど、健やかに成長してほしい。まあ、犬のしあわせについては、よくわからないけどね。

2011年12月13日火曜日

Snowman


先日の研修の後で梅田に寄って食事を取ることにした。レストランからホームを臨めるので普段と違う、喩えれば旅ごころのような気分を味わえる。いつものことだけれど、そのままふらりと旅に出たいと思う。そうもいかないよね。


年末のしかも週末の夜だったから、人出も多い。人混みは苦手だけれど、みんなが幸せな顔をしているのを眺めるのも好きだし、ホームに小さく見える一人ひとりの乗客にもそれぞれの暮らしがあることを想えば、健やかに年の瀬が過ぎればよいなと願ってしまう。こんな大きなSnowmanも置いてあったし、クリスマスだからね。年に一度くらいは、僕だって素直で天使のような気持ちになることもある。

PS.デザートのジェラートがおいしかった。お薦めだ。

2011年12月12日月曜日

鬼が棲む


昨日と今日、仕事関係の研修を受けた。基礎的な内容だけれど、専門家の話を直接、聴くのは楽しい。

今朝、起きるのがつらかった。Blue Mondayはいつものことだし、寒さのせいもあるけれど、身体がだるい。考えたら、今月は、まだ1日しか休んでいなかった。疲れもあるのだろう。気分を重くするできごとも続いているし、しかたのないことだね。

人の心のうちには、鬼が棲む。それは、憎悪であったり、狂気であったり、恐怖であったり、在りようは変わるけれど、それは、私自身の中にもある。けれど、むしろその事実にほっとしている。何故だろうね。鬼の足音を背中に、あるいは心のうちに聴きながらも、人は、それでも生きて微笑むことができるのだよ。

2011年12月10日土曜日

ALWAYS 2


仕事の合間にスーパーに寄って、目について、何の迷いもなく購入した写真集。衝動買いだ。ある少女の一年を追って撮影されたらしい。

身体全体からあふれるそのエネルギーに圧倒される。それは、まさに未来そのものだ。彼女と彼女を包む、社会や自然を含めて、それを守ることが大人の役目なんだね。いつだって、こどもは私たちの希望なのだ。

PS.仕事に戻ろうとしてスーパーで急に声をかけられた。私の仕事の都合でデートに行けなくなった当の本人だった。数分をいっしょに書店で過ごして、私は、仕事に戻った。ほっとした。

2011年12月9日金曜日

ALWAYS


映画の公開はまだだけれど、待てない性格で、結末が分からないと不安になる性格なので(厄介な性格だ)、先にノベライズを読んだ。この映画についての賛否はいろいろるだろう、単なるノスタルジーであるとかね。

過去は体験として、心と体に刻まれている。未来はどうだろう、希望もしくは不安として、実態のないイメージとして、それでも確かに心にあり、希望にあふれていれば、体は軽くなり、絶望の淵では、体も重くなる。

過去も未来も、同時に、多少矛盾し、混乱しながらも、つまるところ、たった今(現在)の心と体に存在しているのだと思う。ALWAYSという英語のニュアンスが好きだ。

「Did you love me? (愛してた?)」
「Always. (いつだって)」

たぶんね。大切なことは、いつだって同じということなんだよ。

PS.現場のトラブル対応を待っていつものカフェで待機している。現場でなんとか対応してくれたようだ。最後の仕上げの確認と関係者へのお詫びと挨拶が私の仕事。おかげでデートの約束がつぶれた。ごめんね。

2011年12月3日土曜日

Steve Jobs


休日の前半をいつものカフェで持ち帰りの仕事で過ごした。ある程度、片付いたところで、その後に読んだのはこの本だ。とてもエキサイティングだ。読んでいて楽しかった。

少し触れているけれど、パーソナリティ障がいをうかがわせるエピソードも多い。相当困った性格だったらしいが、その強烈な個性こそが人を魅了する製品を生み出すパワーになったのだろう。

そんな彼に私自身少しあこがれる自分がいる。どこかで他人を嫌いながらも、そのくせ愛されたい自分がいて、それが欺瞞ではないかと感じているからね。彼の徹底して人をこき下ろすやり方にそう快感さえ感じる。振り回される周囲の人間は大変だというのは、経験的に理解できるけどね。

今日は、彼に敬意を表して、黒のハイネックでブルーのジーンズで過ごしている。もちろん体型やルックスが全く違うし、そんなことは百も承知だけれど、それぞれの悔み方があるのだよ。唯一の共通点は、年齢だけか。