2013年10月30日水曜日

平均的な日本人が海を眺めて過ごす一生分の時間は、とっくに見てしまった。飽きるほど見た。そう思っていた。なのに、フェリーのデッキで浮かんだのは、「海」の唄だった。

うみは ひろいなおおきいな つきは のぼるしひがしずむ

うみは おおなみあおいなみ ゆれて どこまでつづくやら

うみに おふねをうかばせて いって みたいなよそのくに

広くて大きな海に比べれば、私はとても小さな存在だ。それが、むしろ心地よい。「君は、小さくてもかまわないのだよ。」そう言われているようだ。背伸びをしないで、肩肘張らずに、生きて行けばいいよね。見上げると、天空に天の川。それに比べれば、海でさえ、狭くて小さい。 海にはどんな船を浮かべよう。よそのくにではなく、行き先があなたであれば良い。

朝、タラップを降りたら、あなたの笑顔が待っていた。ありがとう。

2013年10月28日月曜日

美濃紙破れたり(みのしやぶれたり)

帰路は、門司に寄り道して、巌流島に渡った。次の便まで半時ある。小次郎のようにイライラしなくても、船は時間どおりやって来る。だから、関門海峡を眺めながら、ぼんやり過ごしていた。狭い航路をいくつもの船が行き交う。

今朝、テレビで美濃紙の会見を見た。基本的に成人して働く息子の事件で報道を辞める必要は全くない、と私は考える。ただし、セクハラ問題をヘラヘラとした笑顔で弁明し、「殴るタイプの父親」と自ら公言し、辞めたくないのに「世間の風潮 」のせいでで辞めると世間を悪者にする。彼に報道人としての資格はない。逆に息子を##呼ばわりして、こどもに責任転嫁している。##ヤロウはお前の方だと思う。

辞めたくないなら、しがみついてでも「報道人」として語ればよい。ひょっとして、その自信がないから、語るべき哲学も言葉も始めから持っていないから、報道から去るのではないか、と疑う。もとから、この人が好きではないので、辛口 になる。彼は誰に敗れたのだろう。

門司からフェリーに乗ることにした。船の旅がしたくなったんだ。


2013年10月26日土曜日

時代

田舎の叔父がなくなった。炭鉱夫だった叔父の肺は、じん肺でやられていて真っ黒、もともと状態は良くない。「水がたまって酸素を受け付けなくなっている。長くは持たない」と同級生だったいとこは電話で漏らしていたが、そのあとすぐに逝ってしまったと連絡があった。

「怖かおんちゃん」であった叔父の家は、私の炭住の裏手の土手を上がった隣街にあった。テレビを買ったのは坑内で働く叔父の家が先で、テレビ見たさに遊びに行った。叔父は、叔父なりの荒い言葉で私を可愛がってくれた。親も同然の人だ。

電気技師である父の給料は安かった。しかし炭鉱が斜陽になり閉山すると、つぶしのきかない炭鉱夫は、営業を続ける別の炭鉱に流れ、父は、技術者として大阪で職を得た。田舎に戻りたいと願っていた父は、母を亡くし、私と妹の生活の場所となった大阪を離れることもないだろう。

叔父は、定年後、故郷に家を構えて地元を離れることなく、近くに住む私のいとこである娘に見守られて、生活していた。一昨年、訪ねた時には、私が誰かわからなくなっていたけれど、一族で集合写真をとっていたら、後からやって来て、子どものようにちょこんとフレームのなかに収まっていた。叔父は家族に見守られながら苦しまずに逝ったようだ。良かった。

母を亡くしてからの父は、引きこもるようにして生活している。そして過労死の手前で病気になった今の私。時代には、それぞれの時代の背景がある。その背景は、後から振り返った方が冷静に見えるのか、逆に時が過ぎれば忘れ去られることもあるのか。リアルタイムで見据えた方が正確なのか。幸不幸は、あらかじめ決められているのか、偶然か必然か、努力次第で道は開くのか、そんなことを考えた。

私は、今、故郷に向かう新幹線の中に居る。大切な家族に会いに行き見送る。同時にそれは、ひとつの時代に会い、見送ることなのかもしれない。


2013年10月25日金曜日

正義の味方

詩人で漫画家のやなせたかしさんとCM批評の天野祐吉さんが亡くなった。

悪いこと良いこと、正義と不正義、正しい正しくない、フェアとアンフェア、白黒はっきりつけられないのが世の中だ、だけど「それはそれで、みんなで幸せに生きていこうよ」と彼らは伝えてくれた。むしろ声高な「正義」をあやしみ、正義と不正義の間を誠実に探る人たちだった。

それでも、本人たちは否定するだろけど、この混沌とした時代にあって彼らは、やはり「正義の味方」だった。災害で土地を追われ、命を奪われ、親が子どもを殺し、偉い人がセクハラで開き直り、役人が横領し、警察官が銃を持って消える、それでも、正義はある。希望があり幸福がある。共感があり愛情がある。そのことを信じていた。

2013年10月24日木曜日

エビデンスとストーリー

二人の主治医がいる。それぞれの個性があっておもしろい。検査の数値を眺めて、ほとんど患者の顔も見ないで、処方を決めるクールで美人の内科のドクター、一方で、じっくりと患者の話を聞いて、手探りで処方を決めるワーカーホリックで気分屋の診療内科のドクター。

別の視点から見ると、前者は、診断の根拠となるデータを重視するエビデンスベースドアプローチ医療、後者は、患者の語る物語を大切にするナラティブアプローチ医療。 治療の効果を担保し、保険請求と言う公的な制度を使う以上、治療に客観的で科学的な根拠が必要ではありながらも、合わせて医者のさじ加減と患者の気持ちも大切にしないとね。

古くさい言い方だけど車の両輪のようなものなのだろう。 ところで車の両輪の車ってなんだろう。普通自動車なら四輪。左右で対になっている意味で両輪なのかな。別にたいしたことではないけどね。つまらないことをぼんやり考えるのは楽しい。

一ヶ月、ほとんど引きこもり状態、ネットや携帯も離れ、倦怠感で読書もできなかった。服薬を合わせるのに試行錯誤して、やや、復活の兆しあり。ヤレヤレ。