2012年11月27日火曜日

浮かぶ月


20年ほども昔の作品だから、作品の洗練度は、格段に低い、低いけれど、たいしたことではない。その時代の空気感といえば大げさだけれど、携帯電話なんてものが日常生活の中に登場しない時代の人と人の距離感だとか、むしろ新鮮だし、今の時代のへの違和感さえ感じるくらいに楽しめている。それが悪いか。

夕方、若い連中が、夕方、勉強会をしていた。おもしろそうなので覗いたついでに、ひとことふたこと、邪魔にならない程度の発言をさせてもらった。いい部下を持ったと思う。仕事でも私は、幸運に恵まれている。

北海道で暴風雪、停電で多くの人が困っている。改めて天気図を見たら、すごいことになっている。札幌辺りでは、ついこの間、雪が遅いというニュースが流れていたのにね。この数年で、気象の変化が過激になっているような気がする。仕事の帰りに見上げる空、関西では、澄んだ空に月が浮かぶ。今日も良い子の気持ちになって、北国の人たちの無事を祈ろう。

2012年11月24日土曜日

見上げてごらん


市内に講演を聴きに出かけた。まずまずの内容で良かった。仕事でお付き合いがあるかもしれないので、講師の先生と名刺交換しておいた。部下たちも何人か来ていたので、会場近くのカフェで、講演内容について意見交換をした。結論としては、課題は一人で抱え込むな、チームで対応しよう、ということ。まあ、当たり前の話。

車で帰るという部下と別れ、私は、近くのデパ地下に寄り道して、すぐに食べられる総菜を夕食に買って帰った。帰りの電車内を見渡すと、幾人かが携帯に向き合っている。みんな一生懸命何をしているのだろうね。私はと言えば、せっかくの電車なので本を読んだ。「ホラ話」という解説どおり嘘を嘘として楽しむことができるSFで、電車に揺られながら読むのに良い。

他にも電車で読書をしてい人が数人いたけれど、私とおなじ、中年男性だ。ふーん、そんなもんかね。

電車を降りてから、見上げた夜空に行き交う機影が6機、旅がしたいなと思うのと同時に、機上の人々の無事を祈った。まあ、そんな良い子の気持ちになる時もあるってことさ。

PS.件のクロワッサンの店から今日は試食の籠が消えていた。まあ、店には店の事情がある。

2012年11月23日金曜日

小川の辺


早朝、用があって神戸を往復し、帰りにそのままいつものカフェで、仕事をした。混んできたので引き上げようと思ったら、あらら、財布がない、車の中だ。マスタが快く「ツケ」にしてくれた。感謝。

夕方、お付き合いのあるところから、コンサートのチケットをいただいたので出かけた。中国琵琶、中国琴、クラッシックギター、ソプラノ、小規模な管弦楽のアンサンブルで、楽曲がジャズ、唱歌、オリジナル、メインはカルメンとバラエティ豊かであったけれど、全員のレベルが同じように高いわけではなかったので、音の流れが切れるたびに、いちいち気になった。ただで聴かせてもらって申し訳ないのだけれど、耳は正直だからどうしようもない、気持ちがふさいできた。

逃げるように帰って、家族が遅いので、ひとりでDVDを視た。藤沢周平の作品は好きだ。昔は良かったなんて、知らない時代のことにあこがれる気はないし、今よりずっと貧しく、理不尽なことも多かったはずだ。けれど、今の時代の政治家たちの振舞いをみていると、藤沢周平の描く武士の潔さと引き比べてしまう。この国は、もっと美しいはずなのに、そんなことを思う。人としての居住まい、私ももう少し、ちゃんとした人間になろう。

2012年11月19日月曜日

たんたん、たんたん、誕生日、たん!


夕方、パートナーが街中に買い物に行こうと誘ってくれた。気持ちもふさいでいたし、迷ったのだけれど、そばに居たかったので、いっしょに出かけることにした。彼女は、デパ地下に行き、ケーキを買おうという。そう、今日は私の誕生日だった。

ケーキを包んでくれるのを待っていると、隣でも別の人が、ケーキを注文している。小ぶりだけれど、ホールのイチゴケーキを選んで、ローソクの数を問われると、「7本」と答えていた。お父さんが、自分の子の誕生日を祝うのだろう。当たり前だけど、その子と私は、同じ誕生日なんだね。おめでとう、君はきっと幸せになれるよ。

ケーキ屋の隣はクロワッサンの専門店で、ショーケースの上、籠の中に試食用のクロワッサンが盛られていた。おもむろに中年の男性が、ひとつを口にくわえ、残りの二つを手に取って、そのまま人込みに紛れた。数分後、別の場所でその男性と出会うことになった、男性は、雑誌の入った袋を自転車の荷台に乗せて、それに乗るのかと思ったのだけれど、自転車も雑誌も残したまま、また人込みに消えた。不思議な行動だなと思うけれど、人には、いろいろな事情があるのだろう。

件のクロワッサン専門店、別の男性も、同じように試食用を3個手にして、去っていった。止める様子もないから、その店ではよくあることなのだろう。店にも店の事情があるのかもね。

パートナーと、文具だとか、本を買って、食事をしても、ふさいだ気分が変わるわけでもないけれど、自分は、幸運な人間だなってことは、よくわかる。こんなに素敵で、愛おしい人がそばに居てくれるのだからね。ありがとう。

2012年11月13日火曜日

紅葉


紅葉のシーズンなのに、ゆっくりカメラを構える時間がない。というのは、半分本当で、半分嘘だ。週1回とは言わないまでも月に1回くらいは、どこかで時間もとれるのだけれど、気持ちが向かない、向けられない、好きなことをするのに、おおげさな言い方だけれど、「勇気」がいる。つまるところ、仕事をするか、何もしないでぼんやりして休日を過ごしている。

だから、時々、「今日は好きなことをする日」と意識的に決めるようにしている。嫌いなこと、例えば、厄介な仕事だとかは、望まなくても向こうからやって来るからね。

そうそう、今日は寝過ごした。薬に体が慣れたのだろう、夜中にいったん目が覚める。しばらくぼんやりして、もう一度寝るのだけれど、睡眠がたりないので・・・と言い訳しておこう。

週末は仕事だ、替わりに何処かで休めないかなとスケジュールを見たら、1日だけ予定がなかった。その日に決めようと思ったら、祝日だった。どうりで・・・

2012年11月11日日曜日

birthday


長崎訓子さんというのは、有名なイラストレーターなんだね。知らなかった、ちょっと変わった漫画を描いていたので買った。おもしろかった。

さて、今日は、パートナーの誕生日だというのに、きちんとお祝いもできなかった。どこかで、改めて時間も取りたいし、プレゼントも用意しないとね。


「birthday」

あなたと出会う前から
その日が来ることを知っていた

あなたが生まれる前から
ずっと待っていたようで

例えば窓の外
雨の風景を眺めながら

待ちわびる時間が長いだけ
なおさらに愛おしく

持ち合わせの言葉を尽くしても
埋めようもないほど待ち尽くして

どれほどそばに居ても
あなたを抱きしめている時でさえ

明日のあなたを待つことが
しあわせな時間なのだ

2012年11月7日水曜日

好きなことをする日



会社を休んだ。代休は、山ほどあるからね。休みはしたけれど、会社から相談のメールや電話が何度も入った。現場が対応に迷っているし、細かい指示を出すより、行った方が早いと判断して、会社に向かった。それが良くないのだね。現場に任せ切るという勇気がないのが、私に欠けている管理者としての資質だ。

頭に来たのは、「休め、水曜日は休みやすい」という当の上司から間接的に案件処理の指示があったことだ。お前が休めと言うから「休んでやったんだ」と、今度言ってやろう。それくらいのことを言ってもばちは当たらないし、まあ、それくらいのことを言って関係が壊れるような心配にもないんでね。まあ、だからこそ頑張ってしまうのだろうけどね。

少し、早めに仕事を切り上げて、遠方で会議のあるパートナーを送って、喫茶店で待っている所、すでに2時間ほど経つけれど、まだ終わらないようだ。その間に自分の仕事を片付けているのが、人間として小さいよね。だけど、好きな人を待ちわびる時間は、貴重で楽しい時間だ。往復のドライブも楽しい。

今日は、好きなことをする日に決めていたんだ。また、どこかで休むことにするよ。

2012年11月5日月曜日

大切じゃないこと


本の題名が分からなくて、うる覚えの「たいせつなこと」でアマゾンを検索したら、山ほどの本のリストが出てきた。この世の中には、とてつもなくたくさんの「たいせつなこと」があるらしい。誰か、「たいせつじゃないもの」のリストを作ってくれた方が早いのではないか。

そう思ったけれど、この世の中にたいせつじゃないものなんてあるのか。どんなものでも、誰かにとっては、きっと「たいせつなもの」なんだろう。

さて、会社の往復にカフェに寄って仕事をするようになった。それが良いことかどうか、よくわからない。しばらく休んでいないな。明後日、休めないかな。

2012年11月3日土曜日

仕事中毒


昨日は、パートナーも受診に付き添ってくれた。主治医は、端的にワーカーホリックだという。ブレーキの効かない心、体は悲鳴を上げている。自分でもわかっている。病院を出てからパートナーと食事をした。心配をかけているのもわかっている、ごめんね。けれど、幸せな時間だと思う。

休めと言われても、誰かが仕事や責任を肩代わりしてくれるわけではない。朝の7時から、カフェで仕事。明日も、笑えるくらいどうにもならないトラブルの対応のために会社へ行く。

疲れた。

2012年11月2日金曜日

きれいごと


「あなたの言うことはきれいごとだ」と言われた。そう、私の言うことは、「きれいごと」だ。しかし、それを守るために、心も体もぼろぼろになっている。命をかけているとまでは言わないが、健康や自分の将来のリスクを犠牲にしている。

うちの会社は、やすらぎとやさしさを売るのが商売だ。そのこには、美しいもの、正しいものをもとめる強い気持ちがなければ、商品の質を落とすことになる。やさしさなんて目に見えにくいものだから、そのことを伝えるのは、難しい。

同時に「きれいごとだ」という私への非難の奥にある気持ちも理解できる。相手の気持ちがわからないで(少なくともわかろうと努力しないで)、人相手のサービスなどできない。

昨日は、スポンサーへの事業説明、別のスポンサーとの打ち合わせ、戻りかけたところにトラブルの電話、笑えるくらいどうしようもないトラブルなので、深夜を過ぎていったん帰宅した。

会社に行くことも、自宅に戻ることも、おそろしい。気持ちを切り替えるために、今日も朝、カフェ。少し、書類に目を通して、ToDoのリストを作って、さて、仕事だ。こんな生活、長く持たないと思う。本来、私は、グータラなのだからね、自分を偽って生きるのは、しんどいじゃないか。