2013年6月28日金曜日

誕生日


北の友人へ、誕生日おめでとう

「鏡」

この空を愛しく思う
緑の恵みを愛しく思う

大地と大気はそんなあなたを
大切に守ってくれる

あなたのために祈ろう
あなたのために笑おう

あなたのためにあることは
私が生きるのと同じ重さだ

愛することは鏡のように
自分を照らす

2013年6月21日金曜日

家族と憲法



大切な人が、突然に居なくなくことがあるのだ。大震災は、その事を教えてくれた。家族の絆という目に見えないはずのものが、失われたときに見えるというのは、不思議だ。

自民党の憲法改正草案に「家族の助け合い」がうたわれるそうだ。憲法の役割は、元首や権力者の横暴を抑制し、健全な立憲政治を担保することにある。

正社員は、家族と過ごす時間もないほど働き、非正規社員は家族を作るだけの賃金をもらえない、シングルマザーが子どもと孤立し、避難所では、年寄りが死ぬ。

この国の為政者には先にやるべきことがあるだろう。必要なら法律は変えるべきだ。ただし、誰が何のために変えようとしているのか、きちんと見極めたいと思う。

2013年6月19日水曜日

見える景色


ドラマのBGMに使われていて、気になったので、衝動買いした。ケルト系のグループで心が震えるような美しい曲が多い。活躍したのは、1980年代でベテランのアーティスト。ファーストアルバムだけエンヤが参加していたそうだ。買ってよかったと思う。

新しいことや楽しいことに気持ちが向かない。それでも、少しずつ歩いて行こうと思う。散歩するような早さでね。去年までは、深い崖っぷちの横をを全力疾走するような生活(仕事)だったから。スピードを落とすと目に入ってくる景色が違う。

P.S.今から思うと、よく崖から落ちなかったなと思う。良かった。もっと早くスピードを落とせば良かったのが反省。

2013年6月14日金曜日

心と体の持ち方


最近は、午前中、一時間ほどのウォーキングの間にカフェでの二時間ほどの読書をはさんで過ごせるようになった。引きこもり生活から少しずつ、リハビリが進んでいる。コンスタントに体を動かせるようになったのが効果をあげているのだと思う。病気のついでに病気のことも含めて、色々な勉強もできるようになった。病気も悪くないね。

認知や脳、統計学と数学、カウンセリング、コーチング、研修の進め方、人相手のサービス業には役に立ちそうだ。もちろん小説もね。人相手の仕事に限らないとは思うけれど、提供するサービスが適切であるか、その質を担保する根拠が必要である。技術、理論、とかね。

同時に、人相手のサービスには、エモーショナルであまいな要素があったり、価値観や倫理まで視野に入る。だからこそ時には、ユーザーの背景にあるストーリー、同時に提供すべきサービスのストーリー、言わば物語が大切になる。まあ、それだけの理由で小説を読むわけではないけどね。

午前中の生活のリズムが安定してきたら、午後も外で過ごすようにしていきたい。今日は、思いきって、飛鳥の駅前にあるカフェまでドライブをした。もっとも、大好きなはずのドライブなのに心の底にずっと、抑うつ感が付きまとっている。やれやれだ。

ぼちぼちいこか、と言うのが関西人の決まり文句。

P.S.最近のスポーツ会の幹部の不祥事への対応を見ていると、リスク管理の勉強になる。ただ、その事より、気がかりなのはスポーツにおけるフェアの精神だ。子どもたちに向き合うとき、大切なのはフェアであることだ。私の経験では、子どもたちは、「ズルい」ということに敏感で、大人や社会や集団が本来フェアであるべきだということを本能的に理解できるのだと思う。

2013年6月10日月曜日

美の響演


午前中、いつものカフェで読書して、午後、パートナーが中央公会堂で研修だったので、私は、国立国際美術館に足を伸ばして、関西の美術館のコレクションを集めた「美の響演」展を観た。印象派以降から近現代の前衛アートまで、とても楽しめた。


待ち合わせの時間まで美術館近くのカフェで読書。残念なことにコーヒーが癖が強くて馴染めずに気分が悪くなった。体調もよくなかったのだと思う。店の責任ばかりではないだろう。中央公会堂まで京阪電車で二駅。乗客もほとんどいなくて、新しいホーム、静かな車両。ホッとした。

P.S.ピカソの評価や功績を素人の私がどうこう言えないけど、この時代の色のバランス、デッサン、すごいなと思う。

2013年6月8日土曜日

検索と思索


小説以外のビジネス関係の本を読み始めた。今日の本、邦題だけ読むと、センスを疑うけれど、インターネットが、文化、ライフスタイル、読書、最終的には脳に与える影響について真面目にかかれた本。ネタ元はコラムだけれど、脳科学、心理学などの調査や知見をベースにしたきちんとした内容だ。

Googleなどで、欲しい情報をすぐ手に入れられる環境のなかで、情報は膨大な量で錯綜し、読み手は、注意散漫になる。おまけに、あなたの欲しい情報はこれですか、と余計なアドバイスまでしてくれる。じっくり考える沈黙の時間を奪った。といったお話。

「検索」が「思索」を奪った。脳は、使われ方によって、変化(成長)することは、今では常識になっているけれど、だからこそ、これから、普及が進むデジタル機器の使い方と、どう折り合いをつけるのか、考えさせられる。

教室に情報端末を持ち込むと言う話もある。今後、デジタルリテラシが必要なことは理解できるし、デジタル機器が脳のある部分を活性化することも事実だろうけれど、じっくり考えたり、学んだり、新たな気づきを促すことには向かないよね。

テレビゲームもよいけど、子どもたちには、活字の本も読んで欲しい。

2013年6月6日木曜日

研修に出掛けた


エバーノートと言うデータ管理ツールの研修に出掛けた。電車に乗って街中に出るのは、久しぶりだ。会場は、最寄り駅が仕事で頻繁に通っていた場所なので、出掛けるのは不安だったけれど、薬の力も借りて、リハビリを兼ねて行くことにした。

費用対効果、機能とセキュリティ、うちの会社に導入するのはむずかしそうだ。内容は、期待以上でも以下でもなかったと言うところかな。参考になる話も聴けたし、リハビリのハードルをひとつ越えられたような気がする。ハードルを越えた翌日は、体調がよくないことも多いので、無理をしないようにしよう。

2013年6月2日日曜日

日本海へ行こう


しばらく、引きこもり生活が続いた。調子がよいと判断して、出掛けたら数日、動けなくなったりするので、バランスをとるのが難しい。しんどいからといって、出掛けないのも、好ましいことではないからね。自分の体が思う通りにならないというのは、もどかしい。

京都から丹波に抜ける自動車道の一部が通したので、出掛けた。頭痛はあったし、体もだるいけれど、薬の力を借りて出掛けることにした。体調を崩してから、運転は、パートナーに任せている。申し訳ない気持ちと羨ましい気持ちが半々。自分で愛車コペンを転がしたい。



ついでだから、天橋立まで行こうと言うことになって、日本海を眺めた。ついでだから、モーターボートに乗ろうと言うことになって、クルーズを楽しんだ。ついでだから、文殊様でみくじをひいた。あとは団子を食べて、地ビールを買った。


「大吉」だった。神様の方でもなにか、ついでがあったのだろう。運が向いてきたと考えるべきか、運を使い果たしたと考えるべきか。普通は、前向きに考えるところだろうから、うれしくて踊った。嘘だけど。


ついでだから、「船屋」建築のある伊根まで足を伸ばした。暮れなずむ入り江の穏やかな波、道のはたでぼんやり座り込んでいる年より、旅人にとっては、情緒に溢れる風景だ。

「また行こうね。」と約束してドライブが終わりましたとさ。 楽しかった。少し自信がついたので、また、出掛けたいと思う。

「ボクがテスト用紙だったころ」

「ボクがテスト用紙だったころ」

気がつくとボクは、教室の机の上にいたんだ。カリカリと鉛筆の芯がボクの体を滑る音を聞いた。そして、そのとき初めて見たその子の少し真剣な眼差しにドキドキした。ボクの額の辺りには、さくら台中学校中間テストというタイトルがあって、その下にはには、設問1「次の文章の数式の空白をうめなさい」と続いているけれど、その子は、その子は少ししかめっ面でため息までついて、ボクのせいで悩んでいるようだった。「ボクにもわからないよ」と小声で伝えたけど、聞こえなかったみたいだ。そうボクは、テスト用紙だ。

「あっ」というその子の声がして、ボクは初めて、自分の体が宙に浮いていることに気がついた。そのままボクは、開け放つ窓に吸い込まれてしまい、つまり運動場に飛び出してしまった。気まぐれな風は、「ごめん、ごめん」なんて言いながら、ちっとも謝っている様子ではなくて、なにか言い返してろうと思っているうち、ボクの体を巻き上げたのは、別の風で、「どうしたの」なんて逆に聞かれる始末だ。

その子の驚いたような、怒ったような顔をボクは、一瞬視界にとらえたけど、自分の力では、教室に戻ることもできなかった。ボクは、一枚の紙切れだったからね。仕方なくボクは、自分でも望んでいない旅に出ることになった。だけど驚いたことに、ただひとつだけ素敵なことが起きたんだ。ボクは、自分で自分を書き換えることができるようになった。多分、学校の先生に、「ルールを守れ」なんて言われずにすむようになったからだと自分では、思う。

試しに書いてみた。設問1「ボクは、どこへ行くのですか」、町外れの楠のじい様は、長い間、生まれてからずっと、そこにいるだけなので、「どこかに行く」ことの意味さえわからない。設問2「ボクの大切なものはなんですか」、ひばりの父さんは、生まれたばかりの雛を守るのに忙しいようで、答えてくれない。設問3「ボクは、誰ですか」、小さな雲は、大きな入道雲になり、雷鳴と雨の激しさのなかで「生まれてから一時も同じかたち同じ自分でいたことがない」と嘆いていた。

仕方なくボクは、気ままな風たちや楠のじい様、ひばりの父さんや雲たちと話したことを物語にして、自分に書いて行くことにした。他にも星の瞬くわけや落葉の旅や、ボクの心を揺らすお話を書き加えていった。

そしてある日、自分と同じように、空を舞うものたちに囲まれていることにボクは、気がついた。例えば、とても強い波に洗われたような子どもの写真、角が少し焼け焦げた手紙、見えないけれど伝えきれなかった「ありがとう」の声、カラフルな像の絵、そういったものが、ひとつひとつの物語が、はじめは降り始めた雨粒のように、しだいに波のような流れになって、しまいには大きな渦になり、ボクは、そのまま渦のなかに引き込まれてしまった。

気がつくとボクは、教室の机の上にいるとだと思った。きっと夢でも見たんだろうと思った。だけどボクは、自分の体のなかにたくさんの物語を詰め込んだ、少しだけ重さを増した一冊の本になって、小さな図書館の書棚にいたんだ。もちろんすごく少し驚いた。そしてある日、ボクのページが開かれて、その時、ボクの目の前にあったのは、ボクがよく知っている眼差し、少し大人びた光に満ちたその子の眼差しだった。そして、ボクはやっぱり、ドキドキしたんだ。ボクは聞いてみた。「君はどんな物語が好き」、その子にはボクの声は聞こえないらしい。でも、その代わりとびきりの笑顔で次のページをめくって、ボクの物語を静かに読み続けた。