2014年1月23日木曜日

祭りの前の幸福論


撮りためたままのドラマを見た。

舞台は東京オリンピック前夜、建設現場での過酷な労働で死んだ出稼ぎの兄、兄のおかげで東京の大学生となった弟。東京の繁栄のために命を失う人夫の多くは、電気さえ満足にない北国の田舎からくる。弟はオリンピック開催を人質に爆弾事件をくりかえす、という話。原作の奥田英朗は、少しひねくれた視線から、けれどむしろ優しく人間を描く。この作品もおもしろかった。

オリンピックを待ちわびる今の時代の空気と似ているのかもしれなけれど、子どもだった頃に感じていた気分と、分別のついた今の私の気分では違いもあるだろうし、昔のことは多くの場合美化されるからね。よくわからない。

ドラマを見て考えたことがある。人は、自分が幸せであることに気づくのと、不幸せであると気づくのと、どちらが苦手なんだろう。自分が幸せであるのか不幸せであるのか、あの頃の日本人は考えていたのだろうか。少なくとも小学生の私がそんなこと考えてはなかった。少しワクワクした気分はあったろうな。

今はどうだろう。みんな自分の幸せについて考えているかな。

2014年1月20日月曜日

詩人 吉野弘


詩人の吉野弘さんが亡くなった。最も影響を受けた人だった。少しドキドキしている。言葉を奪われた世界のことを想像した。胸が苦しくなった。

2014年1月19日日曜日

平和ボケ



声高に「平和ボケの日本人」と叫ぶ人がいる。ちょっとまて、この国の人々は、日々を自堕落に過ごしているわけではない。汗して働き、周囲の人々をいたわり、信頼する。喜びと悲しみを分かち、萬の神々を敬う。年に一度はクリスチャンにさえなれる。

思想信条は別としても警察官や自衛隊に敬意を払うくらいのことはする。見張る人もいない場所に無人販売所があり、行列にはきちんと並ぶ。この国の人々は、ただ平和の素晴らしさを体験し体感しているだけだ。日常の中で平和を行動として体現してるのだ。一人ひとりがコミュニティPKOなんだ。

先の震災で人々は奇跡と呼ばれるほど整然と対応し協力した。死の間際まで防災放送を続ける職員がいた。その行動こそが平和の尊さを知っていることの証左だ。

カフェでデッサンのレッスンをしていたら、隣の席の女の子が、興味を持ったのか、こちらをチラチラ振り返るので描いてみた。この子がこうやって元気に生きているのは、親はもちろん、社会全体がこの子を毎日サポートしているからなんだ。

2014年1月17日金曜日

震災から


19年が過ぎた。この災害は、社会に大きなインパクトを与えた。生活の有り様や価値観にも影響があった。それは、同時にうちの業界のあり方を問うことでもあった。

復興住宅では高齢者が孤立している。震災前から、家族の機能や地域社会の機能が変化していたけれど、震災はその矛盾を修復できないほど破壊した。824人が孤独死した。地域社会への貢献、地域との連携は、うちの会社のミッション(使命)でもある。できることは何か。考える。

日テレの某ドラマに批判が集まっている。赤ちゃんポストや児童福祉施設への偏見を助長するという意見だ。私自身はまだ見ていない。録画したものの見るだけの心の用意がない。

原則的に表現の自由は犯すべきではないと考えている。同時に、それに対する反論もまた尊重されるべきだ。ただ、メディアは権力としての側面を持つ、情報力という点で圧倒的なパワーを持っている。

日テレに、この問題についてのディスカッションの場所を番組として別に組むくらいの度量があれば、まだしもフェアだと思う。それに問題に蓋をするより、コンフリクト(葛藤や軋轢)に正面から向き合うほうがはるかに健全だ。

この問題もうちの会社のミッションを問われる。こういったことを自分の問題として真摯に考えることができる人材を育てたい。それが今の私自身のミッションだろう。

2014年1月6日月曜日

世界の端っこで



アイスランドと聞いて浮かべるイメージは少ない。言われてみて、火山の噴火で北欧航路に影響が出たとか、過剰な投資(あとから考えれば)が金融破綻で国家的なダメージがあったとか、そんなことだ。

その土地の空気の肌触りといったもののごく一部でも理解するには、小説を読むことも大切だと思う。実際、とても面白かった。題材は、DV、虐待、家庭崩壊、とても暗い。それでも最後まで引きつけられる物語だ。

ネットで話題の「反日」も、韓国や中国の小説を読むと違った空気があるのかもしれない。歴史的・政治的背景は別にしても、ナマの生活感みたいなものを感じられるかもしれない。僕らは多分、知らないことの方がはるかに多い。少なくとも僕はそうだ。

それから、年末にふと思ったんだね。人生は、予め期間は分からないにしても、必ず期限あるレンタルなんだね。宇宙の気まぐれか、進化の阿弥陀クジか、神様のマーケティングか、それはわからないけど。

いっとき借りて返却する。自分自身もね。魂が永遠だという人もいるけど、亡くした人は、記憶として残るか、脳の一時的なショートで幻想として見える程度だ。幽霊を見た人は多いけど、捕まえた人はいない。

大切な家族や友達さえ、いっときの借り物だ。つまり、自分の所有物でも専有物でもない。たまたまそばに居てくれるけれど、いずれどちらかが先にさよならしないといけない。人生は借り物だ。だからこそ大切にしないとね。

そのために。僕は、世界の端っこで小説を読む。自分に足りないものを思い出せるようにね。それから、おめでとう。今年もよろしくお願い致します。