2013年8月29日木曜日

迷路

渋谷のホテルには、高層階にメンバーズフロアがあって、ドリンクフリーでゆったりとした椅子がある。滞在中は、そこで一日読書して過ごした。夕方は、フリーのカクテルタイムでアルコールもある。普段は飲まないのだけれど、こんなときはパートナーと過ごす。

昼間の東京は、見渡す限り街並みが広がる。それが果てしない迷路のようで、足を踏み入れると迷子になりそうだ。みんなどこへ行くのだろう。ゴールはあるのだろうか。曲がり角を選びながら、そこに正解はあるのか。

わかることは、その選択の迷いや揺らぎのトレースが、その人らしさなのだろうということだ。今の私は、その曲がり角の路傍のベンチで、立ち止まって、のんびり本を読んでいる。本を読み終えたとき、どちらの道を選ぶのだろう。少し楽しみだ。


2013年8月24日土曜日

東京

パートナーの自己研鑽の研修に付いてきた。雷雨で予定延の便が遅れてホテルに到着したのは深夜になった。住んでいた40年前とは街並みも様変わりしているけれど、喧騒のなかで感じていた疎外感はそのままだ。年齢のぶんだけ穏やかに受け止められる。

10日ほど、自宅にこもって過ごした。久しぶりの外出だけれど、そこが大阪でも東京でもあまり別に意味はないのだと思う。34階の部屋から見た夜景も無機質な箱庭のようだし、生活感のない部屋の刺激のなさに、感情のスイッチが自然に切れる。

2013年8月6日火曜日

桜の国の品格

つい、読んでしまった。目頭が熱くなる。心が弱っているのだろう。マズローの自己実現についての本を読んでいる。テーマのひとつにシナジー(相乗効果)がある、力をあわせるとその和以上の効果を生む。連想したのは、東日本大震災で日本人がパニックを起こさずに整然と行列を作った、ということ。

一人一人の小さな我慢が全体の利益を生む。こうした文化を持つ国は、成熟しているのだ。マズローがシナジーで指摘することのひとつといって良い。この国の品格というものを私は愛している。愛国心といって良い。しかし、何度も言うけど、ナチスを引き合いに出して、憲法を議論しようとする人の愛国心とは、違う。

ただね、誰かの死を、例えば、被爆や、震災の。そのことを自分のせいにしてほしくない。自分の喜びは誰かの喜び、そうだね。誰かの悲しみは自分の悲しみ、間違いじゃないかもしれない。でも、それは、自分のせいではないからね。絶対違うからね。


2013年8月5日月曜日

子どもたちへ

昨日、子どもたちにプレゼントを渡すために知人宅を訪れた。「ボクが先、ワタシが先」まだ幼い兄妹たちがじゃれるように遊ぶ。仲の良い兄妹だと思う。ふと、この子達の未来を考える。のびのび健やかに育ってほしい。また会いに行こうと思う。

世の中には、大人の顔色をうかがうような生活を強いられている子どもが大勢いる。その子達は、そんな生活を強いられていることに、気づくこともない。それを強いている大人にも自覚がない。今日は、気分が晴れない。そんなこと考えるからだろう。やれやれ、私は、人間が苦手だ。

明日は、広島に原爆が投下された日だ。「父と暮らせば」は、数年前、たまたま広島の映画館で見た。ヒロシマやナガサキに限らず、事故や事件で理不尽にも失われる命がある。東日本の震災にしても、取り返しのつかないこと、取り戻せないことを、その時に生まれる思いを人はどうやって、受け止めるのだろう。よくわからないままだ。そのことを考えることと子どもたちの未来を考えることは、同じことなのだと思う。

広島へは、用事もあるし、近いうちに行きたいと思っている。賢くなりたい。

2013年8月4日日曜日

小説忌憚



いつものカフェで企業戦略に関する本を苦い薬を飲み込むように読んだ。良薬は口に苦し。示唆に富む内容で、触発されたことをメモにした。これまでのメモも、まとまった形のレポートにしようと思う。これもリハビリだ。

そのあとで、カフェの本棚から読みやすそうな小説を選んだ。読みはじめて驚いたことに、嵐のように感情が溢れてきた。物語の中の色々な思いが、自分の心を巻き込んでしまう。ドキドキして、少し疲れた。人間の心はやわにできている。あれ、私だけかな。

それでも一冊読み終えることができたのは、このカフェのおかげだと思う。たくさんの本があって、落ちつけるテーブルがあって、ほどよい堅さの椅子があって、美味い珈琲があって、親切なマスターとマダムがいて、感謝。わたしは、たくさんの人に助けられている。

2013年8月3日土曜日

そうだ、美術館へ行こう。


琵琶湖畔の佐川美術館、安野光雅展に出掛けた。作品に描かれる色々なモチーフが、人も、風景も、静物も、動物も、自然もすべてが同じ重さ だ。それが勝手におかれているようにみえて、あるべき場所にきちんと納まって、ひとつの世界を作っている。そして結局、世界は勝手に動き出す。蟻の世界の美しい統一感、それを連想した。



そのまま、滋賀県立近代美術館に足を伸ばした。佐々木マキ展、物語の登場人物は誰もが孤独なのに、そのことに頓着していないように見える。愛し合うことの孤独さえ受け止める。ひ ょっとすると「自分は何者か」なんて問わないのだろう。そういう人間は、よくも悪くも 強い。そして案外、相手に優しい。


お茶をするのに、信楽に場所を変えた。陶芸の森の手前、住宅街の中にある。メニューはその日の豆、煎り方の違いがあるだけだ。サイドメニューにチーズケーキが数種類。極めてシンプル。カウンターにマスター独りなので、そんなやり方で良いのだろう。

昨日は、ほとんど自宅で過ごしたいた。今日は楽しい一日だった。付き合ってくれたパートナーに感謝。

2013年8月2日金曜日

そうだ、学校へ行こう


小説「しおかぜ荘の震災」は、東日本大震災をモチーフにしているけれど、内容は、うちの業界の大きな課題をテーマにしている。考えさせられるというか、常に考えていることなので、架空の小説として読むのは難しい。

じゃあ、うちの会社が、どうあるべきか、私ひとりの考えでどうこうするつもりはないけれど、限られた時間の中で私にできることをやってゆこう。

読書を続けている。この歳になっても学ぶべきことは多い。大学では、あまり良い学生ではなかった。もういちどちゃんと勉強したいと考えている。通信教育を受けてみよう。費用や時間のことなどクリアすべきことは多いけれど、思ったんだ。そうだ、学校へ行こう。

またひとつ、やりたいことができた。今日は少し体がだるい。夕方から出かけようと考えていたのだけれど、どうなるかな。

2013年8月1日木曜日

芸術花火





去年も思ったけれど、花火そのものより、空を見上げて歓声をあげる人々の表情の方が楽しいい。一時、何万人が嫌なことも忘れて、時を過ごす。すごいことだよね。

環境によっては、動画が表示されません。ごめんなさい。