2011年12月31日土曜日

君の揺りかご



逝く人があり生まれ来る命があって、一年が過ぎようとしている。仕事に追われるような一年でもあった。しんどい思いをしながらもやっていけるのは、幸せを売る商売だからかもしれないし、だからこそしんどいのかもしれないし、よくわからない。よくわからなくても時は行き、時は来る、幾重にも重なり、取り返しのつかないような気分が身体に織り込まれてゆく。

失われることの哀しみがあった。それでも、希望はある。絶望の淵に寄り添うようにそれはある。そのことを倦むことなく伝えるのが私の役目なんだろう。

PS.さてとお世話になった皆さんに感謝、ありがとう、それから君に送る詩だ


「君の揺りかご」

君をいとおしむ思いを隠しようもなくさらけだす母
戸惑いながらも君のすべてを引き受けようとする父

あなたを愛する人々の気持ちはやさしく君の心に転写される
そういった心の仕組みがあることを僕らは知っているけれど

あらかじめ定められた決まりごとではなく
君の柔らかな皮膚をとおしてそのことを新鮮に体験する

やがて君は少しずつ身の回りのことから聴き分けて
この世界が傷つきやすいことを手探りで理解するだろう

がれきの街の光景をこの国の記憶として
目にするのはしばらく後になるにしても

君は痛みの気持ちでそれを受け止めることになる
愛はその準備のための揺りかごなのだよ

大みそか


いつものカフェで仕事をしている。今日も会社からSOSの電話があった。現場の担当マネージャーと電話でやりとりをして(お互い休みだから)、対応を指示して、そうやって「休日」は過ぎて行く。最後の確認があるので、夜、現場に行く予定だ。

処理しても処理しても、用意する書類の数やこなすべき仕事の数は減らない。休みだろうがなんだろうが、仕事の電話が入る。パートナーに言わせると「あなたは落ちている仕事まで拾っている」そうだ。誰かが落とした仕事があれば、ほっておけずに、つい拾ってしまうのは、根が貧乏症ということか。違うか。ともかくも、そんな調子では仕事が減るわけないなとは思う。管理職にも向かないと思う。思うけれどね。

絵本を読んだ。そこには不思議な世界がある。忘れていたことを少しずつ思い出すような感覚だ。しばらくこの作家の本を読んでみようと思う。

そろそろ帰るよ、夕食を済ませたら、現場に顔を出す。現場に休みはないからね。大みそかか・・・

Låt den rätte komma


映画館で観損ねたのでレンタルで観た。スウェーデンの映画である。吸血鬼映画としての質は高いと思う。おぞましく、美しく、切ないストーリーだ。あくまでホラー映画なので好みはそれぞれだろう。

色々なことがあった日に、気分を変えるのには役に立つ。少なくとも心のトーンは下がる。

PS.なんて書いているうちに大みそかとなりにけり。

2011年12月30日金曜日

SOS


昨日は、気分を変えようと映画館に足を運んだ。待ち時間の間に会社からSOSの連絡があった。トラブルの状況を確認してから、やっかいな電話を一本かけた。クレーム処理だ。理不尽だとは思っても冷静に対応するしかない。いったん話を伺って翌日面談することにした。相手は、不安な気持ちを受け止めてほしいだけなのだ。それでも、なかなか慣れない仕事だ。

で、今日である。結局、電話だけで話がついて、とりあえず一件落着。そのまま午前中は、現場の応援に入って身体を動かした。気分が良い。その後、書類をいくつか作っている間に、別のクレームが入って、しばし面談。いったんケリをつけた。

ようやく会社を出て、知人宅を訪問、赤ちゃんが生まれたのだよ。抱かせてもらった。とてもかわいい。笑顔で応えてくれるし、しばらくあやしている間に眠ってしまった。よそ様の子供だけれど本当に愛おしい。この小さき者たちがきちんと愛されて、生きる事ができる世界を作るのが私の仕事だ。私は、本質的に無愛想で、無神経な人間だけれど、案外、子どもには好かれるのだよ。不思議だけどね。

夕食をいつものカフェでとって、近くのスーパーで買い物をしていると、会社からまた、SOSの連絡が入った。アドレナリンが分泌される。鼓動が速くなって臨戦態勢になる。冷静でいないといけないのにね。「すぐに行くから」と応えて、出ようとしたら、再度連絡があって、なんとか対応できたそうだ。

で、昨日の映画はReal steel。ボクシング、ゲーム、ロボット、親子愛に関わる過去の映画のオマージュのような作品だった。だいたい主人公のロボットの名がアトムなんだからね。作品の質がどうというより、単純に楽しめる。原作は、映画とはずいぶん趣が違うようだ。さっそくアマゾンで注文した。

PS.・・・と、まあ、こんな感じでさえない中間管理職の年末の「休日」が過ぎて行く。やれやれ、来年が思いやられる。

2011年12月29日木曜日

アドレナリン


休みだからと言って仕事がなくなるわけではない。朝からいつものカフェでいくつか書類を作っていた。夕方近くになって、会社からSOSの連絡が入り、「すぐに行くから」とカフェを飛び出したけれど、すぐに連絡が入った。なんとか現場で対応してくれたようだ。ありがたい。

ただ、いったん放出されたアドレナリンで身体が興奮している。気持ちを休めるために再びカフェに戻った。心と体は、アクセルとブレーキを一度に踏んでいるような具合で、とても気分が悪い。仕事を続けようと思ってパソコンを開いたけれど。飛び出す時にあわててデータを保存したので、ファイルが破損している。修復している間に集中力が切れた。やれやれ・・・

ホットチョコレートをオーダーして一服したところだ。書類を作るのはあきらめて、年明けに会社で小さなプレゼンがあるので、今更ながら、こんなを読もうと手に取った。おもしろそうだなと思いながらも、背中のテーブルで、老夫婦の会話のやり取りが聞こえる。内容までは聞き取れないけれど、仲がよさそうなことだけは伝わる。

PS.そろそろ帰ろうかな。

2011年12月25日日曜日

Innovation


Jobsに影響を与えたとして紹介されていたので読んでみた。10年前の本ではあるけれど、多くの企業が革新的な技術イノベーションが現れる時に必ずしも成功しないのは何故か解き明かしてくれる。優秀な企業ほど、むしろ成功しないという逆説的な論理を事例を基に分析している。

ちゃんとしたマーケティングが必ずしも有効ではないとか、率直に面白かったし、自分の会社に重ねてみると頷くところが多い。うちの会社も従来のマーケットや顧客にこだわる必要はないし、これまでとは違う市場に資源を投入するのも面白い。顧客のニーズやそれに合わせた組織にこだわっていては、企業として生き残れないかもしれない危機感も感じるし、今の仕事から、自分自身スピンオフすることも悪くないのではないかと考えてしまう。

少し真剣に考えてみようと思う。

PS.今日は、あえて仕事を封印して、読書三昧の日にするつもりでいつものカフェで過ごしている。

自分らしくか…



出かけようと考えたのだけれど、どうにも体が重くて起きる事が出来ない。疲れているのだろう。午前中は、ゆっくり過ごすことにした。洗い物をして、洗濯をしているうちに少し体が楽になった。休みのうちに片づけておきたい書類を一本上げた後でクリスマスイブの買い物に出かけた。

夕食を済ませた後で、ぼんやりしたくて手持ちのコレクションの中から選んだDVDは怪奇大作戦だ。40年以上も昔の作品で「特撮」のレベルも低い。けれど科学冒険小説風でどこか江戸川乱歩の世界を連想させる雰囲気は好きだ。

話の続き…

自分らしさについて考える時、運命とは大げさだろうけれど、運、不運というのは確かにある。生まれる環境を選ぶことのできることはできない。裕福な家庭に生まれるとか、平和な時代を経験したことがないとか、何かの病を得るとか、事故や災害、大切な人との出会いや別れ、思うに任せないことが多い。

自分らしく生きるどころか、明日の命さえ見通せない時に、じっくり考えて何かを選びとる余裕などない。だとしたら、まずは、生き残ろう。生き残らなければ、運命を変える事さえできない。そのために、手を貸せることがあれば、わずかでも手を貸すことだ。無理のない範囲で、それぞれの場所で、私にできる事などたかが知れているにしてもね。

また、落ち込みそうだよ・・・

2011年12月23日金曜日

阪急電車


人生のあるいは、生活のささやかな節目で、何かを選択し、決断し、出会い、別れ、言葉を選び、伝え、そういった一つひとつの事がらの積み重ねによって、人は、自分らしさを形作る。

だからこそ、その一つひとつの場面や、出会う人や、起こったことがらときちんと向き合うことが大切なのだと思う。そうやって人生と向き合うことで初めて、人は、他に替えようのない自分らしさを形作る。

そんな事を考えた。

京都へ行こう


   

 

金閣寺を訪れた。鹿苑寺の方丈も特別公開されており、狩野派のふすま絵だとか、聖観世音菩薩を拝することができる。仏閣には詳しくないけれど、庭園を望む陽だまりの濡縁で解説員の話を聴いていると少し賢くなった気がした。

町中に戻って、昼食はカレーうどん。本屋をのぞいて、丸尾末広のパノラマ島綺譚(原作は江戸川乱歩)を購入した。最近気になっている作家だ。お子様向けではない大人のコミックだし、好き嫌いは分かれるだろう。

ついでのことに錦市場をひやかして迎春気分を味わい、平安女子高校のイルミネーションを楽しんんで少しおごそかな気分になり、充実した一日だった。 

2011年12月21日水曜日

Love actually


今日はクリスマスのイベントだった。現場が好きな管理職の私のコスチュームはもちろん、サンタクロースだ。いくつかのプログラムがあり、ユーザーにささやかなプレゼントを配ると、そこには、笑顔がある。よくある諍い、心ふさぐ憂鬱、やり残した仕事、そういったあれこれを一時忘れて、せめて忘れたふりをして、過ごすことができる。

クリスマスだからね。同じように、世界中に、何億、何千万の笑顔があふれていれば良いのだけれど、絶望、飢餓、暴力、孤独そういったあれこれが、一時、消えれば良いのだけれど、多分、クリスマスという言葉を知らない人の方が多いのだろう。

Love actuallyは、好きな映画だ。オムニバス風にいくつかのストーリーがクリスマスの日に重なり合って紡がれる。特に、かつてのロックスター役のビル・ナイが秀逸だ。

2011年12月18日日曜日

Speech


週末は、自宅で持ち帰りの仕事をして、テレビを聞き流し、洗濯をして、思いついたように本を読み、レンタルしたDVDを視て、結局、自宅から一歩も出ることなく過ごした。

何処かへ行くだけの気力も出なかった。まずいな、明日の朝、仕事に出るのがつらくなる、わかってはいるけれど、仕方のないことだ。それでも、予定されている会議の資料もいくつか用意できたし、週明けの仕事が少し楽になるはずだ。

スピーチは難しい。何かを伝える事は難しい。大切にしていることは、情報ではなく物語を伝えることだ。その物語に自信が持てないとスピーチもうまくいかないからね。話が苦手な私が言うのと説得力がないけれど。

PS.パートナーが数日留守にしている。心の半分がどこかに消えたような気分だ。

2011年12月14日水曜日

毎日こども


通院で休みをもらって、急ぐものもあったので、そのままミスドで仕事をして、暗くなったので、久しぶりにレンタルショップに寄って、選んだDVDの一枚。子役の二人が良いし、おもしろかった。

近頃、ドラマや映画で子役と犬が幅を利かせている。演技だかどうだかわからないくらいの演技も含めて、良い演技をするし、プロ意識も高い、それはそれで良いのだろうけど、あの子たちの将来が気がかりだ。大きなお世話だろうけれど、健やかに成長してほしい。まあ、犬のしあわせについては、よくわからないけどね。

2011年12月13日火曜日

Snowman


先日の研修の後で梅田に寄って食事を取ることにした。レストランからホームを臨めるので普段と違う、喩えれば旅ごころのような気分を味わえる。いつものことだけれど、そのままふらりと旅に出たいと思う。そうもいかないよね。


年末のしかも週末の夜だったから、人出も多い。人混みは苦手だけれど、みんなが幸せな顔をしているのを眺めるのも好きだし、ホームに小さく見える一人ひとりの乗客にもそれぞれの暮らしがあることを想えば、健やかに年の瀬が過ぎればよいなと願ってしまう。こんな大きなSnowmanも置いてあったし、クリスマスだからね。年に一度くらいは、僕だって素直で天使のような気持ちになることもある。

PS.デザートのジェラートがおいしかった。お薦めだ。

2011年12月12日月曜日

鬼が棲む


昨日と今日、仕事関係の研修を受けた。基礎的な内容だけれど、専門家の話を直接、聴くのは楽しい。

今朝、起きるのがつらかった。Blue Mondayはいつものことだし、寒さのせいもあるけれど、身体がだるい。考えたら、今月は、まだ1日しか休んでいなかった。疲れもあるのだろう。気分を重くするできごとも続いているし、しかたのないことだね。

人の心のうちには、鬼が棲む。それは、憎悪であったり、狂気であったり、恐怖であったり、在りようは変わるけれど、それは、私自身の中にもある。けれど、むしろその事実にほっとしている。何故だろうね。鬼の足音を背中に、あるいは心のうちに聴きながらも、人は、それでも生きて微笑むことができるのだよ。

2011年12月10日土曜日

ALWAYS 2


仕事の合間にスーパーに寄って、目について、何の迷いもなく購入した写真集。衝動買いだ。ある少女の一年を追って撮影されたらしい。

身体全体からあふれるそのエネルギーに圧倒される。それは、まさに未来そのものだ。彼女と彼女を包む、社会や自然を含めて、それを守ることが大人の役目なんだね。いつだって、こどもは私たちの希望なのだ。

PS.仕事に戻ろうとしてスーパーで急に声をかけられた。私の仕事の都合でデートに行けなくなった当の本人だった。数分をいっしょに書店で過ごして、私は、仕事に戻った。ほっとした。

2011年12月9日金曜日

ALWAYS


映画の公開はまだだけれど、待てない性格で、結末が分からないと不安になる性格なので(厄介な性格だ)、先にノベライズを読んだ。この映画についての賛否はいろいろるだろう、単なるノスタルジーであるとかね。

過去は体験として、心と体に刻まれている。未来はどうだろう、希望もしくは不安として、実態のないイメージとして、それでも確かに心にあり、希望にあふれていれば、体は軽くなり、絶望の淵では、体も重くなる。

過去も未来も、同時に、多少矛盾し、混乱しながらも、つまるところ、たった今(現在)の心と体に存在しているのだと思う。ALWAYSという英語のニュアンスが好きだ。

「Did you love me? (愛してた?)」
「Always. (いつだって)」

たぶんね。大切なことは、いつだって同じということなんだよ。

PS.現場のトラブル対応を待っていつものカフェで待機している。現場でなんとか対応してくれたようだ。最後の仕上げの確認と関係者へのお詫びと挨拶が私の仕事。おかげでデートの約束がつぶれた。ごめんね。

2011年12月3日土曜日

Steve Jobs


休日の前半をいつものカフェで持ち帰りの仕事で過ごした。ある程度、片付いたところで、その後に読んだのはこの本だ。とてもエキサイティングだ。読んでいて楽しかった。

少し触れているけれど、パーソナリティ障がいをうかがわせるエピソードも多い。相当困った性格だったらしいが、その強烈な個性こそが人を魅了する製品を生み出すパワーになったのだろう。

そんな彼に私自身少しあこがれる自分がいる。どこかで他人を嫌いながらも、そのくせ愛されたい自分がいて、それが欺瞞ではないかと感じているからね。彼の徹底して人をこき下ろすやり方にそう快感さえ感じる。振り回される周囲の人間は大変だというのは、経験的に理解できるけどね。

今日は、彼に敬意を表して、黒のハイネックでブルーのジーンズで過ごしている。もちろん体型やルックスが全く違うし、そんなことは百も承知だけれど、それぞれの悔み方があるのだよ。唯一の共通点は、年齢だけか。

2011年11月27日日曜日

葉っぱのフレディ 2


「Freddie the Leaf」が届いた。小さなカットを除けば写真と文章で構成されているので絵本と呼ぶには抵抗のある人も多いだろう。英語は平易なので、何回か辞書を引いたり、訳書と読み比べれば、理解できる。ただ、英語の特性なのかもしれないけれど、情感性の高い和訳より論理的な印象を受けた。

昨日は、報知機や水周りの点検もあったので、職場に行くのはやめて、夜は梅田ですごした。今日も少しゆっくりしようかと思う。本でも読もうかなんて考えるのは、仕事でもしようかなんて考えるのと同じレベルの話で、何かしていないと落ち着かないだけなのだろう。

PS. 結局、自宅で仕事を始めた。書類の修正くらいなので、それほど負担にはならないけれど、できる事は早めに済ませないと不安なのだろうね。

PS.2 ちょっと、興味がわいて、印刷のプロセスの種類についてネットで調べてみた。凸版、グラビア、オフセット、それに版画は、エッチング、アクアチント、シルクスクリーン、リトグラフ。おもしろいし、エッチングは、時間ができたらやってみたいと考えている。いつできるだろうね。

2011年11月26日土曜日

クリスマスシーズン


 
 
 

梅田シティでやっているクリスマスイベントに出かけた。大きなツリーの周辺にクリスマスの飾り、ソーセージ、ワイン、ビール、クッキーの屋台が並んでいる。ドイツのクリスマスと銘打っているけれど、マトリョーシカまで並べてあるから、よくわからないね。

子どもやそれを見守る家族の笑顔、恋人たちの熱い気配、友達のおしゃべり、まるで幸せそのものを売っているかのような職人の腕、そういったものがまぜこぜになって、会場全体をあたたかく包んでいる。

クリスマスだからね。僕らはそう言った言葉を時々口にしたり、聴いたりする。心の垣根のようなものが少し柔らかくなるような気がする。イベントは、クリスマスの日までやっているので、みんな行けると良いね。そう、クリスマスだからね。

2011年11月20日日曜日

Drive & Art


誕生日のプレゼントにNAVIをもらった。ずっと欲しかった。きっと高いのだと思う。さっそく、試してみようとドライブに出かけた。プレゼントの主は疲れているようだったので、ひとりで出かけることにした。いっしょに行きたかったけれどね。

職場の同僚が勧めてくれたので三重県立美術館に出かけた。ドイツで活躍しているイケムラレイコ展にも魅かれた。

近代の合理性や物質性から離れた、命そのものを写したような作品だった。ぼやけた描線と塑像の空虚な空間は、むしろ肉体の存在さえあいまいにして、命の霊性を際立たせる。そこでは生と死がむしろ近しいものとしてあって、当たり前のように重なり合っている。うん、それらしい美術評論的な感想になったかな。

しかし、その受け止め方は、あながち間違っているとは思っていない。そのあとで訪問した。奈良県立万葉文化館での日本の印象派の作品と比較すると、生きることへの執着や肯定感もあって対照的だ。それは、どちらがよいという話ではない。ただそんな風に感じてしまうということだ。楽しめた。

   

昼食は、少しぜいたくをして、美術館の中にあるフランス料理(だと思う)のランチをいただいた。おいしかったのだと思う。デザートはミカンのプリンだ。これもおいしかったのだと思う。慣れない味なので、戸惑った。

結局、いつもの味が恋しくなって、帰りにいつものカフェで夕食をいただいているところ。こちらは単純においしいと思う。少しほっとする。誕生日のプレゼント(謎)までいただいた。感謝。

今日は関西の美術館のほとんどが無料の日だった。行ってから気が付いたんだ。知っていれば、もう一つくらいどこかへ行ったのにね。

プレゼントの主は、少し元気になったのか、お出かけのようだ。良かった。ありがとう。

PS.NAVIに向かって、「指示のタイミングが悪い」と悪態をついても彼女(女性のクールな声だった)は腹を立てない。えらいよね。

2011年11月19日土曜日

葉っぱのフレディ


昨日は父の誕生日だった。会いにゆけなかったので、電話でおめでとうを伝えた。今日は、早朝から小さなトラブルをやっつけて、いつものカフェで過ごしている。たまっている書類をいくつか片付けることができて良かった。休日なのにね。おかげで京都の美術展に行く予定がまた飛んだ。いつ休んだんだっけ。

いまさらながらこんな本を読んだ。少し涙があふれる。命について考えた。考えあぐねて、整理が付かないまま、ぼんやりしている。多分、こんな気分で誰かと話をするのが怖いのだろうね。もう少ししたら帰ることにしよう。そう宣言しておかないと、いつまでもここを動けそうにないからね。

PS.自分へのご褒美にこの本の洋書を注文した。

長い追伸

昨日の夢に母が出てきた。あなたは逝ってしまったはずなのにと伝えたけれど、にこにこ笑っているだけだった。それも良いかと思い、しばらく夢の中でいっしょに過ごした。昨日は父の誕生日だったし、今日は私自身の誕生日だった。

そういえば、私の誕生日には、母は、必ず電話をくれた。めったに顔を見せない親不孝な息子だったのにね。電話の代わりだったのかもしれないね。

目が覚めた時に涙が出ていた。母さん、もう一度いっしょに食事をしたかった。それが心残りなんだ。

2011年11月18日金曜日

自分らしく



明日休日出勤することになった。いつから休んでいないのだろう。予定もキャンセルだ。怒りにまかせて職場の備品を蹴飛ばした。壊れない程度にね。そうやって怒りはコントロールすれば良い。しかし、少しずつ心のどこかが乾いてゆくような気がする。

小説としての完成度については、いろいろ意見もあるようだけど、自分にはないものがあるという点において、この本の主人公、ススキ野の名もない探偵「俺」にあこがれる自分がいる。

「自分らしく生きたい」というのは、よくきかれる言葉だけれど、不思議で仕方がない。何故、そんなに自分に縛られたがるのだろうね。自分らしく生きるなんて簡単なのに・・・。

PS.明後日は休むことにしよう。

2011年11月16日水曜日

イライラ禁止 2


深夜に目が覚めて、怒りで眠れなくなった。仕事をしていれば、腹の立つこともけれど、ふだんは、できるだけ、顔に出さないようにしている。例外はあっても感情をストレートに出しているだけでは、仕事が回らないし、何より自分の仕事のスタイルから外れることになるから。

それでも、こうして夜中に眠れなくなることもある。久しぶりに休みをとってゆっくりしたいところに、それを邪魔するような出来事があれこれ起きた。よほど、気持ちが高ぶっていたのだろう。先日のイベントの資料を夢の中で作っていた。笑えない話だ。

もともと極めて感情的な人間が、そうでないように振舞っているのだから無理がある。最近、頭に鈍い痛みが続いている。人の体は正直だ。文字どおり頭の痛い日々が続く。

PS.ハリー・ポッターの最終作を買った。

2011年11月14日月曜日

希望


思い立って選んだ「ガリバーの宇宙旅行」は、1965年作品で、おそらく東映漫画まつりで上映されたのだと思う。アニメーションの滑らかさをほめる人もいるけれど、理屈から考えて今風のCGで作った方がはるかに滑らかだ。むしろそのぎこちなさが、想像力を広げるのだと思う。

貧しさの中にも社会が変わってゆくことを感じられた時代、ためらいもなくその中のセリフのように「僕には希望がある」と言葉にできた時代だった。子どもたちや若者たちに「希望」という言葉が届いているのか気がかりだ。

小さなイベントを無事こなして、緊張が解けたせいか、眠い。疲れもあるのだろう。今月、完全に休んだのは1日だけだった。今日は早めに休むとしよう。

2011年11月13日日曜日

イライラ禁止


職場で資料を整理した後、いつものカフェで引き続き仕事、昨日もデートの前に職場でひと仕事したので、完全休養の日が遠のいている。厄介な仕事を乗り切るために先延ばししてきた仕事をやっつけないといけなのだね。やれやれ。

ブログで紹介されていたので、仕事の前にいつものように斜め読みした。怒りのコントロールについてすぐに役に立つヒントが多いし、文章も平易なのでわかりやすいと思う。認知を変えるとか、ストレングスの視点とか、業界のルーキーにも読んでほしいと思う。

明日は小さなイベントがある。初めての取り組みなので、うまく行くかどうか。初めての事には、誰しも不安があるし、外野からあれこれ言われたりもするけれど、やってみる事にするよ。イライラしないようにね。

World Festa

 


パートナーに誘われて松原市役所で行われた「ワールドフェスタ」に出かけた。エジプト、スリランカ、アフリカ、モンゴル、トルコその他各国のグルメの模擬店、国際ボランティア団体のスポット、日本の文化紹介など、ワールドワイドな雰囲気が楽しかった。

メインのイベントは、道を挟んだ公園で行われてる「松原マルシェ」らしい。そちらの方が会場も広くて、南河内周辺の食の博覧会風で、とてもにぎやかだったけれど、ワールドフェスタの方が面白いし、自分の視野を広げてくれるような気がする。

にぎやかな場所は苦手だけれど、お祭りの中の笑顔を観るのは好きだ。児童の就労廃止の支援を行っているボランティア団体のポストカードを買った。そこにも子どもたちの笑顔があるのだね。そして痛みがあるのだね。

2011年11月11日金曜日

初恋 2



少女時代の第3集を購入した。パッケージのデザインには付いていけないけれどね。ドライブのお供にちょうど良い。さて、大切な人の誕生日だったのでね。ちょっとしたプレゼントとともに、感謝の言葉を贈ろう。


「初恋 2」

あなたに恋して変わったこと

ただぼんやりとあなたをみつめることや
なんでもない場所をなんでもなく歩くことが好きになり

会ったこともない誰かのしあわせを祈ることや
自分のまかないの範囲で誠実であることを疑わず

あらかじめ定められたやり方に倣うより
そのあやふやさをおかしむことを学んだ

それがあなたに恋して変わったこと

2011年11月6日日曜日

完全休養 後半


プライベートな用事を済ませて、大宇陀に車を向けた。古い町並みを散策するついでに遅い昼食をとった。近くの道の駅は何かのイベントもあってにぎやかだったけれど、こちらは静かだ。なんだか呼吸が楽になるような気がするよ。町並みの中の森野旧薬園を覗くのも良いのだけれど、今日はパスして早めに帰った。ふと、どこかへ行きたいと思った。このまま旅に出たいと願った。

完全休養


仕事がひと山越えても昨日は休日出勤、明日から始まる過酷な日々に備えて、今日くらいは完全休養しようと三重県まで足を伸ばした。お気に入りのカフェで朝食を済ませたところだ。プライベートな用事もあったし、何も考えずに車も流したかったのだよ。

2011年11月5日土曜日

中年時代2

厄介な仕事がひとつ終わった。少し高揚した気分で家に戻り、その気分をぶつけるように家族と話をして(聴いてもらって)、疲れて眠ったけれど、すぐに深夜に目が覚めた。そのままパソコンを開いて、こうしてブログに書き込んでいる。明日、というより今日も休日出勤しないといけないのにね。

仕事では厄介なことは多いけれど、私は部下に恵まれている。彼らの協力がなければ、今回の仕事も乗り切れなかったと思う。あらためて感謝したい。

少女時代のアルバムを買った。歌唱力が高いので安心して聴くことができる。韓国語だからよくわからないけれど、時々はさまれる英単語を聴く限り、シンプルな歌詞なのだろう。ドライブのBGMにはほどよい軽さで心地よい。

PS.さてもいちど寝ることにするよ。


2011年11月3日木曜日

「FLOTSAM」(漂流物)

休日の朝、職場で仕事をやっつけて、いつものカフェで明日の仕事のために資料を読み込んでいる。よそのブログを読んでいて、考えたのだけれど、私は、人生の軌道修正が苦手なタイプなんだろう。流されるままに流されるというのか、あてもなく漂流している気分だ。おかげで、先月も公言するのをはばかる残業時間と持ち帰りの仕事の山・・・。

さて、「FLOTSAM」(漂流物)という絵本を買った。精緻な画風は、アメコミみたいで、あまり好みではないけれど、おもしろかった。絵だけでストーリーが進むので英語版でも問題ない。

PS.明日の仕事は、少々やっかいだ。ありがたいことに、そいつが終わったら、別のやっかいな仕事が待ってくれている。仕事があるのは、ありがたい。ありがたくて、涙が出る。拝みたくなる。


2011年10月29日土曜日

ルーキーズ


先日、顧客サービスプランについて会社のルーキーたちに研修をした。今年の新人は、なかなかレスポンスが良いのでこちらも教えがいがある。グループでのワークショップ形式なので、始めに伝えたことは、「違うということは素敵なことだ」ということだ。チームの中のいろいろな考え方が自分の視点を広げ知恵になるのだね。知恵を集めて良いプランを作ってくれた。彼らがうちの会社の将来を担ってくれる。そのことに希望を持とうと思う。

相変わらず仕事がきつい。気が付いたらしばらく休みがなかった。部下が体調を気遣ってくれる。ありがたいことだと思うと同時に、彼らのために頑張ろうと思う。そうして今日も休日出勤だ。せめて定時に仕事を切り上げていつものブックカフェで夕食を取っている。山ほどある本が手招きする中で選んだのが、東野圭吾だ。適当な軽さが心地よい。

ここに来るまでに仕事の帰り顧客の見舞いに伺った。その途中、車を流しながら、ふと母の事を考えた。そうして気が付くと、頬が濡れていた。ようやく、哀しむことに慣れてきたのかもしれない、上手に泣けるようになったのかもしれない。ようやくだね。

PS.母さん、ごめんね、うまく哀しむことができなくて、さみしいです。

2011年10月24日月曜日

夕やけの日


いつものカフェで朝から仕事をして、あれこれ過ごしていると、夕方になった。西の空がほんのり染まり、このまま何事もなく休日が終わるのだと思っていたけれど、深夜に連絡が入った。職場に向かって、あれこれと対応を済ませたところだ。

もっとも、私のやることは、「ありがとう。 良くやってくれました。」と現場にメッセージを伝えるだけで、あまり役には立たないのだけどね。

PS.気が付けば夜明けが近い、星が美しい。オリオンがくっきりと見える季節になった。

2011年10月20日木曜日

見送ること


見送るということを考えた時に唐突に思い出した小説だった。誰かを見送ることについて、私たちはどんな覚悟を持てばよいのだろう。あるいは、見送ることさえできなかった時に私たちのその心の処しかたをどうすればよいのだろう。事故、災害、その時に私はいつもたじろぐ。自分に何の覚悟もできていないということにね。

見送ることができなかった。その責任の一端が自分にあるのか、整理できないまま、怒りと不安がないまぜになったまま心に残る。それは誰に対する怒りなのか、何に対する不安なのか、せめて、その覚悟のなさをできれば小さな刺のように、あるいは、痛みのように私は持ち続けようと思う。そして、今やるべきことをやろうと思う。

逃げるわけにはいかないのだよ。命というものを引き受ける仕事なんだよね。逃げるわけにはいかないのだよ。

2011年10月15日土曜日

勉強中


児童虐待の研修に出かけた。講演は、Dr. フランク W. パトナム氏。初日のテーマは、「トラウマが子どもの発達に及ぼす影響と長期的な結果-その結果を変えるために何ができるか」で、特に目新しい内容ではないにしても、考え方の整理もできたし、虐待はもちろん、環境からの逆境によって生まれたトラウマが子どもに与える影響と政策論も含めたその対策について少し広い視点で学ぶことができた。

英語による講演で通訳はしてくれるものの、もどかしさがあるし、訳すより英語の方が正確なニュアンスが伝わる。もう少し英語の聴き取りができればよいのだけれどね。とにかく楽しかったよ。

講演の後で会場で出会った知人と近くのカフェで意見交換ができたのが、とてもラッキーだった。これまで言葉をを交わしたことがなかったのだけれど、とても勉強になった。別れた後で、川沿いのマクドナルドで行き交う船を眺めながら、ハンバーガーを頬張る。普段と違う時間が流れて心地よい。

PS.30年前、学生の頃にちゃんと勉強していれば、もっと賢くなったのにね。残念だ。

2011年10月9日日曜日

初恋



大切な日を忘れていたので、敦賀の小さな雑貨屋に足を伸ばした。イベントの準備でオープンしていなかったのだけれど、親切にも中に入れていただいた。その人に似合いそうな小さなプレゼントを買い、帰り路は、峠を越えて琵琶湖に出た。

水鳥が眺められるカフェがあったので、しばし休憩。以前から行ってみたかったのだよ。ついでの事に佐川美術館によって歌川国芳展を観ている。先週から後期の展示に変わったので、これも楽しみにしていた。

さてと、大切な日だったからね。


「初恋」

車窓に映るあなたを見送った あの日 僕は恋をした

言葉ではなく あなたを心で呼びかけるようになり

気に留めていなかったできごとが 見えるようになり

そのことに 戸惑いながら はじめましてと挨拶をする

あなたが 僕のその戸惑いを 花でも摘むように

ゆっくり 解いてくれたのは それからしばらく後のこと



PS.一緒に行けなくてとても残念だった。

2011年10月6日木曜日

マッキントッシュ


ジョブズが逝った。マシンに対する思い入れという点でウィンドウズは、ただの賢いビジネスツールにすぎない。そもそもマッキントッシュがなければ、パソコンを始めることもなかったと思う。仕事を辞めたらまたマックに戻るよ。彼が天国で作るのは、どんなマシンだろうね。楽しみだ。