2014年10月28日火曜日

詩人の時間 詩集「monologue by a-jack」

ネットプリントで発注した、詩集「monologue by a-jack」が届いた。この世で一冊だけの本、初版本だよ。(笑) 今日は、いつものブックカフェでゆっくり読んでみるつもり。実際には、これから校正や順番の入れ替えとか、修正作業が必要だけどね。さあ、これから詩人の時間だ。

2014年10月6日月曜日

歌声喫茶ケサラ

昨日10月5日(日)午後、名古屋市守山区のコープ小幡の2階で行われた「歌声喫茶ケサラ」に四畳半ポップグループ「あまのじゃく」としてゲスト出演しました。ライブの様子はMP3データをアップしましたのでダウンロードして聴いて頂ければ嬉しく思います。

10月5日(日)あまのじゃく歌声喫茶サララLIVE

久しぶりにオリジナル曲を人前で歌うことになりました。緊張感がなかったのは会場の和やかな雰囲気のおかげです。とても気持ちよく歌えました。ただただ、主催のケサラのみなさんと会場の皆さんに感謝いたします。ありがとうございました。

しかし、マイクの使い方、プレーヤーの出すサインを自然に読み取ること、音のモニタリング、まだまだ感覚を取り戻せていないようです。会場の皆さんの応援、この数十年の音響機器機の高性能化、なによりバンドのメンバーのおかげでなんとかやり遂げることができただけなんですね。

「空気を読む」といいますが、場の雰囲気を理解するという慣用句としてだけでなく、音がどんなふうに伝わっているのか、音をどんなふうに聴くのか、マイクにどうやって空気を投げるのか、ライブはまさしく「空気を読む」行為なのですね。歌いながら頭の隅っこでそんなことを考えていました。

次回のライブは、今月末10月26日(日)10時〜、名古屋市瑞穂区享栄高校の講堂です。私学協会(愛知県の私立高校の父母の会です)主催のオータムフェスティバルのプログラムのひとつに出演します。ぜひお越しください。

はい!?告知です。


2014年8月30日土曜日

君たちが悪いのではない

日本に、世界に、イジメられている子どもたちがどれだけいるのだろう。ちょっと変わっているという理由で、あるいは普通だからという理由で、辛い思いをしているしている子どもたちは?

虐待で身も心も傷ついている子どもたちは、どれほどだろう。貧困の中にある子どもたちは、日本で、世界で。戦禍の中にある子どもたちは、ときに自分自身が兵士となる子どもたちは?どうだい。

君たちが悪いのではない。

いじめを問うアニメ「今でもなお」
http://youtu.be/3M6-TW-lWLs

2014年8月24日日曜日

「新」ライブだぞ!

ようやく、仕事のことを考えないで済むようになってきた。今さらか、ようやくか、それはともかくとしてもね。やりたいことをやれというのがドクターの指示だから良いことなのだと思う。

で、10月にライブをすることになった。30数年ぶりに学生時代のメンバーとオリジナルをやる。今度は、キーボードとベースも加えて、サウンドに厚みが出る。リズムは、ドラムではなくパーカッションを使うので、ちょっと大人の雰囲気になる。昨日は大須のスタジオで練習したんだけど、体がゾクゾクするほどの快感だ。本番も楽しみだけど、音を作るプロセスが楽しい。

名古屋の常宿(大学受験の時に泊まった)で一泊して、今日は、学生時代一日の大半を過ごしたかつて「あすなろ」と呼ばれた喫茶店に寄った。面影はあるもののかつてはシックだった外装内装ともにカントリー調のデザインになっていた。もちろん好きだったウインナ珈琲も全く別物だ。感傷に浸るつもりはない。それだけの時間があったのだからね。

店を出て清須市はるひ美術館を訪れた。ベーシストお薦めのグラフィックデザイナーのブルーノ・ムナーリ展が見たかった。子どもたちとのワークショップ作品も展示していたり、いわく「視覚言語的」作品はユーモアと意外性で楽しませてくれる。確かにお薦めだ。しかけ絵本「夜の闇に」を買った。

いつもならそのまま西名阪国道から直帰するところだけど、名張にそれていつものブックカフェでランチをとった。昨日の練習の音をヘッドホンで聴きながらね。ちょっと行儀が悪いけど至福である。




2014年7月21日月曜日

ライブだぞ!

雁道商店街でのライブが終わった。衣装はブルースブラザーズ風。コンセプトは「おじさんの、おじさんによる、おじさんとおばさんのための、昭和JPOP」。松田聖子、サザン、中島みゆきetc.8曲を7分間にまとめた荒業のメドレー。ギターとパーカッションの技量のおかげだ。感謝。

主催は愛知県の私学の連絡会と商店街。メインプログラムは著名な講師による講座であるサマーセミナーだけど、私学の保護者だけではなく現役の高校生が実行委員で商店街の模擬店やプログラムを支えてくれている。それに学生のころ、この商店街には本当にお世話になった。感謝。

ライブには、ダンス、太鼓、アカペラ、地域や高校生のグループが参加していて、元気をもらった。その最後に商店街の広場いっぱいに色々な学校の高校生が広がってスマップのJOYを踊るのだけど、その前向きなエネルギーに感動したんだ。この国の未来には希望があると、そう思える。感謝。

そうそう、時間が押して演奏できなかったけど、アンコールもあったのだよ。まあ、サクラのおかげみたいなものだけどね。サクラさんも含めてバンドの仲間とプログラムの後で食事をした。互いの近況や音楽の話だとか他愛もない内容だけど、本当に楽しい時間だった。感謝。

さて、バンド活動を再開。ライブと合わせてオリジナルのレコーディングも始める。最後になったけど、告知。バンド名は「あまのじゃく」。オリジナルからリミックスまで何でもやります。御一報いただければ、どこでも参ります。(笑)

2014年7月15日火曜日

バンドやろうぜ

先日、バンドの練習のために名古屋へ行った。宿はかつての母校の近くの和風旅館。ここには母校を受験するために泊まったことがある。四畳半の和室、共同便所と共同浴室。40年前にはどんな気分で泊まっていたのだろう。覚えているのは、同じ日に泊まった奴が後日、同じクラブに所属することになった。これは偶然か必然か。

40年の経過の中で商店街にある喫茶店シャモニーは、変わらない風景の一つ。わたしは喫茶店あすなろに通っていた。教室にいる時間より、そこか部室で過ごしている時間の方が長かった。それも今はない。

夜、友人と待ち合わせて居酒屋で飲んだ。互いの容貌は変わっても40年前と変わらない空気がある。相手を理解しようというような関係ではない。少なくとも私はね。本音だとかそうでないとか、別にねえ。ただね、一緒にいると明日を信じられるような気がする。

さて、こんどの20日(日)名古屋市瑞穂区雁道商店街、18時15分よりライブやらせていただきます。スリーアミーゴによる「70年代J-POPremix」てな感じでございます。ちなみにライブやらせていただけるなら、何処にも参ります。オリジナルでもコピーでもご要望に応じます。(笑)

2014年6月9日月曜日

学生街の喫茶店

この街を訪れたのは何年、数十年ぶりか。母校であった大学は、今は山手の広々とした場所に移転している。宿泊した旅館は大学を受験するために40年前にも利用したことがある。

早朝、近くを散歩した。かつての母校は私 立高校になって朝練の学生が自転車で門をくぐっている。大学前の喫茶店は、閉じられたようだ。下宿の跡地には、綺麗なアパートが建っている。かつて一杯のコ ーヒーで粘って詩を書いていた喫茶店はステーキ屋に代わっていた。なんだか自分だ けが取り残されたような気がした。そのくせそれがとても心地よい。不思議だな。

来月、大学の正門からダラダラと下がってゆく商店街の催し物でライブをすることになった。奇遇だけどその大学の跡地に立った高校との共催らしい。複数のグループが参加するので、持ち時間はほんの10分程度だけど、ギター、パーカッション、ボーカルだけの昔のメンバーで出ることになった。

オリジナルをやりたいところだけど、ベース、キーボード、サイドを集めてやる時間の余裕もなかった。それでも短い時間で聴き手に楽しんでもらうために、今回のライブは70〜80年代のヒット曲をメドレーにすることにした。今回はその打ち合わせだ。選曲、つなぎのコード、あれこれ考えるのは楽しい。自分で選曲しておいてなんだけど、「赤いスイトピー」とかだからね。

オリジナルは、少し時間をかけて録音しようと考えている。メンバーもそれなりの年齢になったのに不思議だけど、声をかけるとすぐにかつての音楽少年や音楽少女に戻る。楽しみだ。


2014年5月21日水曜日

平和ボケ その2


この国が平和ボケだと云う議員は多い。言い方を変えると平和ボケじゃない国を目指そうということなんだろう。その平和ボケじゃない国とはどこだろう。

世界の警察を自認しながら結果的に世界にテロの芽をバラまいた米国か、民族の分離独立を理由にウクライナの一部を併合したロシアか、航空識別圏、国境の拡大を図る覇権主義の中国か、反日を国是として国民の安心と安全に目を向けない韓国か、他国民を拉致し核で他国を脅す北朝鮮か。

EUは、NATO傘下で集団的自衛と戦略組織となり、永世中立国スイスの軍隊は「時間外」にはスクランブルしないらしい、アフリカでは内戦とテロで子どもたちの命は軽い、南米では麻薬と汚職が当たり前で、国連の常連理事国は核保有国だ。

この中のひとつくらいは、きっとこの国のモデルになってくれるのだろうけど、具体的にはどのへんを参考にすれば良いのか識者に教えてほしいと、平和ボケの僕は教えてほしいと思う。

外交というのは「大人」の流儀だ。笑顔と握手の裏で駆け引き、腹の探り合い、妥協、策略を巡らせる。単純に軍事力だけで解決できるわけもない知恵のゲームだ。政治、経済、文化との合わせ技による高度な戦略を求められる。

脱「平和ボケ」。この国の政治家は、どうも子供にもわかるような単純な論法でこの国の舵取りをしているように見えるのだ。
先日、神様に「そこらへん、どうなんでしょう」なんてことをきいてみたけど、答えてもらえなかった。もう少し考えてみるよ。

2014年5月5日月曜日

友達の日



学生時代の山の友達と音楽の友達。大津でまちあわせて、名古屋から来た二人を駅でひろってドライブを楽しんだ。手始めに紫式部ゆかりの石山寺。こじんまりとしているけど歴史の重さを感じさせる。琵琶湖畔のカフェでオーガニック料理のラ ンチで腹ごしらえ。雨模様だけれど、琵琶湖の圧倒的な水量を感じるにはちょうど良 い。

近江八幡に車を走らせて、秀次の山城跡までロープウエイ。修復もしているのだろうけど立派な石垣だ。山を降りて「たねや」と「クラブハリエ」でおみやげを買った。時代劇のロケでも使われる八幡堀をちょっと覗いて、ヴォーリス設計の元小学校、現観光案内所を見学すると観光にふさわしい時間を過ぎた

ダメモトで車を転がして「ケイオン」で有名になった豊郷小学校に着いたら、閉館の時間だった。米原まで二人を送りそこで別れた。また遊ぼうと約束してね。

私は渋滞する名神高速道路を避けて琵琶湖畔道路を大津に戻った。陰鬱な雲の垂れ込 める琵琶湖は、むしろ、心を落ち着かせる。やがて琵琶湖の闇の中に対岸の街あかりが灯る。美しい。大津からは高速に乗って純粋に車と対話する。

先日、唐突に「会わないか」とメールがあって、「いいね」と話がまとまって会うことになった。私の体調を案じてくれたらしい。「十七年ぶりか」なんて話やバカ話や家族や健康の話、私らの年齢にふさわしい話題だ。山と音楽をいっしょにやろうなんて約束もした。少しワクワクする。

尊敬できる人間が友人であることは幸運なことだ。良い友との良い一日だった。感謝

2014年4月30日水曜日

時代


録画していた「北の国から'98時代」を見た。純とシュウの危うく切ない恋、蛍と正吉の結婚、草太の死、いろいろなエピソードに絡んで、農家の苦労だとか、若者の就労、離婚や出産、社会の在りようが物語として紡がれる。

この物語にはいつも励まされてきた、富良野の風景や自然に励まされてきた。なんとか生きて行けるよね、生きていることは正しいよね、そう思える。

正吉がかっこいいな。それからシュウのテーマ曲が切ない。時間ができたら北の国へ行こうかなんて考え始めている。行こうかなと思う。そうして自分を取り戻すのだよ。

2014年4月20日日曜日

パートナーが居ない午後

パートナーは、友人と旅に出た。私は、所在なく県境を二つ超えて車を飛ばし、とあるブックカフェに居る。「君は僕の太陽だ」というのは切実な話だ。定点観測する太陽がなければ、自分の位置がわからないし、自分が誰だかわからない。かと言って、自分が何者かでいようなんて、退屈だし疲れる。

そうこうしているうちに窓の外は雨。冷たい雨に打たれたら、自分の輪郭ぐらいは、わかるかもね。「空気のような人」という喩えだって、もし空気がなくなれば、僕は死んでしまうのだから、ことは緊急を要する。何だか、息苦しくなってきた。

大切な人がそばに居ないだけなのに。

2014年4月6日日曜日

散歩と統計学

「この世で一番おもしろい統計学」は、コミック形式で統計学の本当に必要なポイントをわかりやすく伝えてくれる。統計の基本的な考え方を理解できるから、データの集め方も参考になる。考え方さえわかればデータ処理そのものはエクセルとかでやってくれるから、難しい数式は要らないと思う。

桜並木の道は散歩コース。今日は誰もいないけれど、昨日の同じ時間には10人ほどが歩いていた。平均すると5人だ。しかし、経験的に毎日それだけの数の人に会うことはない。せいぜい一人か二人。つまり2日間だけではデータとなる母集団が少ないし。週末で桜の時期だから、サンプルそのものが無作為ではない。

おそらく、年間を通して同じ時間に集計するとかなり精度の高いデータになるだろうし、10人と出会う確率は、5パーセント以下だろうなんて推測もできる。まあ、歩きながらそんなことを考えましたとさ。


2014年4月5日土曜日

繋がる力


いつものカフェで読書、集中しようと思ってパソコンは開かずに、読みかけのも含めて3冊の本を読んだ。ひとつは幸福学、ひとつは子供の貧困、ひとつは震災のレポート、共通するのは、幸せは、だれかとちゃんと繋がることで生まれるというテーマだ。

震災では多くの繋がりが断ち切られたけれど、その悲しみを軽くするのは誰かとのつながりだ。貧困を背景に家族の繋がる力が失われ、子どもたちに貧困と孤立の連鎖を生む、その現場で子どもたちに繋がろうとするひとたちがいる。

誰かのために自分の財産や時間を使おうとする人は、より幸福感を感じるという幸福学の知恵がある。私は今、繋がりすぎて少し壊れた自分の心に、エネルギーを溜めているところだ。その準備がないと、仕事が続かない。

優しさと幸せを売るのが私の商売だからね。大して難しい商売じゃない。誰かと繋がって誰かのために頑張るのは案外、簡単なことなんだ。人類にはそういうDNAが組み込まれているらしい。手始めに、まず、自分に笑顔を取り戻そう。(笑)

2014年3月12日水曜日

昨日のニュース

昨日は、ニュースを見るのが怖くて、自宅のテレビで録画していたドラマを流していた。津波の映像を見るたびに、悲鳴が聞こえるような気がする。二万人分の悲鳴に耐えられそうにない。祈りの日に、何を祈ればよいのかわからない。戸惑っている。

僅かだけど、私は私で、自分の場所で誰かに親切にしよう。

2014年2月18日火曜日

京都




週末を京都で過ごした。パートナーが用事で出かけるのにくっついて行った。パートナーが用を済ませる間、私は、ホテルで、絵を描き、論文を書き、優雅に過ごした。近くを散歩したけれど、雪はすでになく、御所のベンチに溶け残った雪だるまが、もののあわれを誘う。正アグネス教会は、イギリス国教会で平安女学院に併設されている。その近くの護王神社は、猪を祀っているのがユニークだ。京都は不思議な街だな。

翌日は、ホテルに車を置いてパートナーと二条城を巡った。将軍様の京の住まいはさすがに広い。お女中や老中の控室、別々になっている外様と譜代大名の目どおりの間、映画のセットみたいだ。前日に飲んだ佐々木酒造の冷酒がとても美味であったので、近くの酒屋で手に入れた。普段アルコールを口にしない私にも飲みやすかった。

先週は、大津の研修に始まり、業界の知り合いが先生になったというので学校へ見学に行ったり、母の命日もあったし、週末は京都、刺激が多かった。刺激があれば、その反動でぐったりして引きこもる。その繰り返しで徐々に体を慣らすリハビリテーションだね。

ああ、お酒と絵は、お世話になっているいつものカフェのマスターにお土産にした。お返しに、コーヒーとホットチョコレートをいただいた。いつものカフェからぼんやり冬の曇り空を眺めると、心がリセットされる。感謝。

2014年2月13日木曜日

雪の日


母の命日だった。父は、「辛かったやろな。早く(癌だと)わかってたらな。」と繰り返す。私は、それに応えて「しかたなかった。」と繰り返す。そのくせ、私もこっそり自分自身を責めている。

母をきちんと見送って、私は仕事に打ち込んだ。自分を追い込むことで、言い訳でもしてたつもりか。病気になれば、許されるとでも思ったか。だとしたら、あさましいことだな。パートナーは、泣くべき時に泣かなかったとも言う。泣くわけにいかなかった、そう思っていた。泣く資格だってあったかどうか。

ドラマでは「私の気持ちが他人にわかるはずがない」という。よく聞くセリフだけど、案外、自分でも自分のことなんかわからない。私は、母を愛していたのだろうか。よくわからない。けれど、母は、私のことを愛していてくれた。不思議なことにそのことには確信がある。思い出すのがすべて笑顔だからかな。

「雪の日」

母さん 雪だよ
ふっくらと 雪が降りてくる
柔らかく 世界を埋めてゆく

雪は ほっこりしてるのに
人のぬくもりに 触れたら
冷たく 肌を刺す

雪は きっと淋しいのだろう
人のぬくもりに 触れたら
涙に 姿を変える

母さん もう眠った
僕は まだ眠れない
もう少し 起きているよ

2014年2月10日月曜日

アフター研修



午前中に少しヘビーな内容の研修を受けて、終了。午後は、パートナーと滋賀県立近代美術館で福島県にある「諸橋美術館コレクション展」を楽しんだ。印象派からシューリアリズムまで、ダリの作品をメインにしたコレクションだ。

ルノアール、シャガール、マチス、佐伯、名前を上げるときりがない。画面の構成、筆の流れ、絵の具の載り、本当に感動する。「自分が絵の具になったみたいだ」と感想を漏らすと、パートナーは怪訝な顔をする。

お詫びに?以前から行きたいと思って探しておいた茶房その名も「藤村茶房」を訪れた。失恋した藤村が石山寺に「ハムレット」を納めたのが店の名の所縁らしい。お店の人は、和装の女給さん風で、和風のメイドカフェか、なんて失礼なことを想像した。

帰りの高速では、疲れたのだろう助手席でパートナーは眠っている。大切なものを横に乗せて走る。私が一番好きな時間だ。BGMは、カーペンターズだ、先日のカレンの命日にゆっくり聴けなかったからね。

琵琶湖雪景


研修の二日目、琵琶湖は雪景色だった。積雪は心配することもなくすでに午後には溶け始めている。それでも、行き帰りに苦労した人も多いだろう。

午後は、ワークショップ形式で数人のグループで輪になって研修を受けた。話の内容も進行もとても参考になったので、うちの会社でも試してみたい。研修の講師を引き受けることも多い。若い人たちに伝えたいこともたくさんある。だからこそ、伝え方にも工夫しているし、伝えるだけでなく、フロアのレスポンスを活かしながら、すすめるようにしたいから、こんな機会にアイデアをいただく。

大切なのは、知識を持ち帰ってもらうこともそうだけど、自分で考える自信を持ってもらうこと、なによりうちの会社や業界で希望を持って働いてもらえるようになることなんだと思う。

リハビリと体調の確認も兼ねてフォーラムに参加してみた。手応えは感じているし、人材育成についての論文やテキストにも手を付けている。私自身がこの仕事に希望を持たないといけないね。

研修のあとで、たまたますれ違った時に同じグループの人数人に声をかけていただいた。みなさん遠くから来られている。それぞれがんばっておられるお話を聴くと、とても元気になる。うちの業界は、人のつながりこそが、サービスのキーでありパワーだからね。感謝。

小室等の音楽夜話


業界のフォーラムに参加するために、大津に来た。専門の講座をメインに、映画祭、ハンディキャプの人たちの作品展、二泊三日で夜中過ぎまで充実したプログラム 。その中で行われたライブはホテルの中の小さな部屋、最前列正面のかぶりつきで見た。

小室等と娘さんのデュオに、ピアノが谷川健太郎(俊太郎ジュニア)、サックスに坂田明。神様のライブだ六文銭『誰かが風の中で(木枯し紋次郎のテーマ)』、谷川俊太郎の詩に小室さんが 曲をつけたもの、圧巻は、坂田明の泣けるようなサックスが小室さんの唄に絡む『ひ まわり』『星に願いを』、心がどこかに持っていかれそうだ。

時々、言葉の持つ力を疑いそうになる。ネットには誰かを傷つける言葉があふれ、私 自身が誰かを傷つけたこともある。でもね、小室さんのライブなんか聴いてると、もう少し言葉の力を信じてみようと思う。もう少し歩いてみようと思う。

フォーラム専用の朝食の会場で同席のグループが坂田さんの『ミジンコと生命について』の基調講演を話題にしていた。面白いけど変わった人だね・・・なんて話で、どうも彼がどれほど偉大なサックス奏者か知らないらしい。そのことをおせっかいにも伝えると「ネットで調べよう」だって。もっとも本業の音楽でも相当、面白くて変わった人だけどね。

2014年2月4日火曜日

ハロー!カレン

カレンの命日、音楽を聞く気分ではないけど、君のために祈るよ。

2014年1月23日木曜日

祭りの前の幸福論


撮りためたままのドラマを見た。

舞台は東京オリンピック前夜、建設現場での過酷な労働で死んだ出稼ぎの兄、兄のおかげで東京の大学生となった弟。東京の繁栄のために命を失う人夫の多くは、電気さえ満足にない北国の田舎からくる。弟はオリンピック開催を人質に爆弾事件をくりかえす、という話。原作の奥田英朗は、少しひねくれた視線から、けれどむしろ優しく人間を描く。この作品もおもしろかった。

オリンピックを待ちわびる今の時代の空気と似ているのかもしれなけれど、子どもだった頃に感じていた気分と、分別のついた今の私の気分では違いもあるだろうし、昔のことは多くの場合美化されるからね。よくわからない。

ドラマを見て考えたことがある。人は、自分が幸せであることに気づくのと、不幸せであると気づくのと、どちらが苦手なんだろう。自分が幸せであるのか不幸せであるのか、あの頃の日本人は考えていたのだろうか。少なくとも小学生の私がそんなこと考えてはなかった。少しワクワクした気分はあったろうな。

今はどうだろう。みんな自分の幸せについて考えているかな。

2014年1月20日月曜日

詩人 吉野弘


詩人の吉野弘さんが亡くなった。最も影響を受けた人だった。少しドキドキしている。言葉を奪われた世界のことを想像した。胸が苦しくなった。

2014年1月19日日曜日

平和ボケ



声高に「平和ボケの日本人」と叫ぶ人がいる。ちょっとまて、この国の人々は、日々を自堕落に過ごしているわけではない。汗して働き、周囲の人々をいたわり、信頼する。喜びと悲しみを分かち、萬の神々を敬う。年に一度はクリスチャンにさえなれる。

思想信条は別としても警察官や自衛隊に敬意を払うくらいのことはする。見張る人もいない場所に無人販売所があり、行列にはきちんと並ぶ。この国の人々は、ただ平和の素晴らしさを体験し体感しているだけだ。日常の中で平和を行動として体現してるのだ。一人ひとりがコミュニティPKOなんだ。

先の震災で人々は奇跡と呼ばれるほど整然と対応し協力した。死の間際まで防災放送を続ける職員がいた。その行動こそが平和の尊さを知っていることの証左だ。

カフェでデッサンのレッスンをしていたら、隣の席の女の子が、興味を持ったのか、こちらをチラチラ振り返るので描いてみた。この子がこうやって元気に生きているのは、親はもちろん、社会全体がこの子を毎日サポートしているからなんだ。

2014年1月17日金曜日

震災から


19年が過ぎた。この災害は、社会に大きなインパクトを与えた。生活の有り様や価値観にも影響があった。それは、同時にうちの業界のあり方を問うことでもあった。

復興住宅では高齢者が孤立している。震災前から、家族の機能や地域社会の機能が変化していたけれど、震災はその矛盾を修復できないほど破壊した。824人が孤独死した。地域社会への貢献、地域との連携は、うちの会社のミッション(使命)でもある。できることは何か。考える。

日テレの某ドラマに批判が集まっている。赤ちゃんポストや児童福祉施設への偏見を助長するという意見だ。私自身はまだ見ていない。録画したものの見るだけの心の用意がない。

原則的に表現の自由は犯すべきではないと考えている。同時に、それに対する反論もまた尊重されるべきだ。ただ、メディアは権力としての側面を持つ、情報力という点で圧倒的なパワーを持っている。

日テレに、この問題についてのディスカッションの場所を番組として別に組むくらいの度量があれば、まだしもフェアだと思う。それに問題に蓋をするより、コンフリクト(葛藤や軋轢)に正面から向き合うほうがはるかに健全だ。

この問題もうちの会社のミッションを問われる。こういったことを自分の問題として真摯に考えることができる人材を育てたい。それが今の私自身のミッションだろう。

2014年1月6日月曜日

世界の端っこで



アイスランドと聞いて浮かべるイメージは少ない。言われてみて、火山の噴火で北欧航路に影響が出たとか、過剰な投資(あとから考えれば)が金融破綻で国家的なダメージがあったとか、そんなことだ。

その土地の空気の肌触りといったもののごく一部でも理解するには、小説を読むことも大切だと思う。実際、とても面白かった。題材は、DV、虐待、家庭崩壊、とても暗い。それでも最後まで引きつけられる物語だ。

ネットで話題の「反日」も、韓国や中国の小説を読むと違った空気があるのかもしれない。歴史的・政治的背景は別にしても、ナマの生活感みたいなものを感じられるかもしれない。僕らは多分、知らないことの方がはるかに多い。少なくとも僕はそうだ。

それから、年末にふと思ったんだね。人生は、予め期間は分からないにしても、必ず期限あるレンタルなんだね。宇宙の気まぐれか、進化の阿弥陀クジか、神様のマーケティングか、それはわからないけど。

いっとき借りて返却する。自分自身もね。魂が永遠だという人もいるけど、亡くした人は、記憶として残るか、脳の一時的なショートで幻想として見える程度だ。幽霊を見た人は多いけど、捕まえた人はいない。

大切な家族や友達さえ、いっときの借り物だ。つまり、自分の所有物でも専有物でもない。たまたまそばに居てくれるけれど、いずれどちらかが先にさよならしないといけない。人生は借り物だ。だからこそ大切にしないとね。

そのために。僕は、世界の端っこで小説を読む。自分に足りないものを思い出せるようにね。それから、おめでとう。今年もよろしくお願い致します。