2011年4月30日土曜日

そうだ京都へ行こう


連休が始まった。仕事をやる気になれなくて(休みだから当たり前だけれど)、家族で京都へ出かけた。第二京阪のおかげでアクセスが良くなったし渋滞も避けることができる。市役所前には、八重桜の仲間だと思うけれど満開の桜にアゲハ蝶が羽を広げていた。

カレーうどんのうまい店があるからと選んだ京都だけれど、少し辛めのカレーうどんをいただいた後、三月書店という小さな書店から始まって、通りがかりの古本屋、恵文社、、ジュンク堂まで本屋のハシゴを楽しんだ。とても贅沢な時間だなあ。チェーン店も含めて、その店によって微妙に品揃えも異なる。その店なりのこだわりがあるのだろうね。

若い人の読書離れが言われて久しいけれど、本屋に若い人がたくさんいるのを見ると、少し安心する。あらためて、京都は学生の街だと思う。


雑貨屋をひやかしたり、歩き回った後で少し休憩しようと言うことになって、入ったのがフローズンヨーグルトの専門店だった。ソフトクリームのような味を期待したのだけれど、少しも甘くならない。最初から最後まで酸っぱかった。ヨーグルトだから当たり前なんだけどね。

楽しい一日だった。

2011年4月26日火曜日

Nobody's Perfect


早めに職場を出て、用を済ませた後で、カフェに寄った。読みたかった本を一気に読んだ。「完璧な親なんていない」は、カナダの子育てテキストで、児童虐待を生まないためには、「無理なくあたりまえの育児をしようということ、そして、完璧な親なんていないのだから、自分だけで抱えこまないこと。」とアドバイスをくれる。

良い本なので、子育ての世代だけでなく、色々な人に読んで欲しい。もちろん仕事にも役立つ。

職場から電話があった、心配もしたけれど、大事にならずに済みそうだ。

2011年4月24日日曜日

Everybody's Fine.



眠れないまま、映画を観た。「Everybody's Fine」父親であるロバートデニーロが子どもたちの家を訪ねる物語だ。デニーロは成長した子どもたちを幼い頃の姿に重ねる。親にとって子は、成長してもやはり子どものままなのだろう、子どもの方が親をいたわるようになってもね。

母は、病室で見る夢の中で私に会ってくれていただろうか。その時の私は、幼い姿のままなのだろうか。私を誇りに思ったくれたろうか。ふとそんなことを考えた。思い浮かべるのは、実家から帰るとき、玄関先まで見送ってくれる少し寂しげな母の笑顔だ。今日、母を納骨する。僕は大丈夫だよ。母さん。Everybody's Fine.


1年前に解散したチームの集りがあった。退職した職員を送る会であり、正規職員に採用された仲間のお祝いの会だった。うちの会社は、大きな変革の時期にある。将来の見通しも不透明だし、社員の中に漠然と不安を抱える者も多い。

それでも、彼らとともに過ごした日々は私が仕事をする上での覚悟のようなものになっている。戦いと言えるほどの過酷な日々であったのに、個性的な仲間がそれぞれの力を合わせることで、乗り切ることができた。

彼らの存在が、彼らとの絆が、どれほど私自身を支えてくれていることか。いくら感謝しても足りないくらいだ。ありがとうございました。

今日の集まりでも話題になったのは、大震災のことだ。そこから連想したのは、三崎亜記の「失われた町」だった。町が丸ごと失われるSF的な筋立てと実際に起こった地震とでは状況が異なるのだけれど、それまであった絆や繋がりが唐突に理不尽に切られることがあり得ることなのだ。

その危うさの中で生きることを僕らはどう受けとめようか。この小説に答えがあるわけではないけれど、その哀しみに共感する手助けにはなるかもしれない。それにしても好き嫌いが分かれる作者と作品だ。私は好きだし、とても楽しめる。

2011年4月20日水曜日

IL Y A LONGTEMPS QUE JE T’AIME


あまり体調も良くないので、少し早めに仕事を切り上げて、取引先に寄った後で直帰した。定時を少しまわった時刻だけれど、それでも明るいうちに帰るのは気分がいい、文房具を買って早めの夕食済ませてから、レンタルのDVDを観た。

IL Y A LONGTEMPS QUE JE T’AIME(邦題「ずっとあなたを愛してる」)」は、ある家族の小さくて重たい物語だ。痛みと怒りと哀しみの物語だ。少し明るめの優しい旋律のテーマ曲が物語の全体を包んでいる。

体調が悪いといいながら、引き込まれるように最後まで観てしまった。

2011年4月16日土曜日

電話があった その2


電話があった。職場からだ。仕事関係の訃報だ。今年に入って、何人見送ったことだろう。あなたの責任ではないと言われても、そう単純に気持ちの整理ができるものではない。人の生活に関わるサービス業だから、人の生死に向き合うこともある。哀しいわけでもない、哀しくないわけでもない、そのどちらとも言えない、よくわからない、この手のわからないことは、そのまま置いておくことにしよう。そのうち答えも見つかろうよ。

チームを組んでいた同僚が「おめでた」だ。当たり前だけれど、逝く者と、一方で生まれ来る命があって、この世界が紡がれる。その世界を大切にしたいと思う。小説の「津軽百年食堂」は、そんな世界が紡がれる話だ。

で、おめでとう、Hさん。

電話があった その1


電話があった。一年上のクラブの先輩からだ。20年ぶりだろうか、「正月はどこそこの山だった」「・・・が震災でこっちに戻っている」「・・・が亡くなったと聞いた」「・・・は仕事で来れない」とか、一瞬で、その隔たった時間が消える。

4月の末に鈴鹿の麓でOB会を開くことになった。母校の移転もあって、廃部になって久しい山のクラブだ。それでも60人くらい集まるらしい。

今はもうない学生会館の4階にあった部室からは、フィールドである鈴鹿の山を望むことができた。特に夕日が山の端に沈む時間は、見飽きることないほど美しい。元の母校は隣の中学より狭かった。移転した母校は、新しい上にとてつもなく広いけれど、私の母校ではない。なにより見える世界が違う。 

あのころ私は、生意気で、未熟で、やっかいで、おろかで、情けなくて、本当に困ったやつだったんだ。そんなやつでもクラブの仲間は、後輩としてかわいがってくれたし、先輩として慕ってもくれた。あの時間と場所と仲間が、それからの私の人生に希望を与えてくれた。

OB会に行くかどうか迷っている。休みをつぶすことも多くて予定が立てられないことも理由だけれど、あのころの自分に向き合うことや、同時に変わってしまった自分に向き合うのを怖がっているのかもしれない。単なる自意識過剰だけれどね。

どうしよう、どうしようか、本当に迷っている。今の私は、多少なりとも大人のふりをしているけれど、根っこのところでは、少しも変わってはいない情けないままなんだろう。

2011年4月13日水曜日

春なのに


うちの会社は、隠れた桜の名所だ。今日は天気も良くて、現場を巡回しながらも、少し花見気分だった。愛機(カメラ)をじっくり構えたいところだけれど、そこまでやると趣味になるので、携帯のカメラを使った。

次の休みには、桜も散っているのだろうね。残念。

2011年4月11日月曜日

ちゃんと生きるということ



政府の危機管理能力の無さは、もはや絶望的だ。政府が被災者に未来への「希望」を語り、伝えることができていない。人は、「希望」があれば、堪え忍ぶことができるのに、やりきれない気分のまま一ヶ月が過ぎ、そのままの気分で生きろというのか。

ならば、一人ひとりが、今いる場所で、自分にできることをやろう。ちゃんと働こう、ちゃんと育てよう、ちゃんと学ぼう、そしてちゃんと遊ぼう。そのために必要な時に手を貸そう、手を借りよう。誰かを好きになろう。愛してみよう。時には涙を流そう、笑うことも大切だし、歌うことも楽しい、当たり前に生きよう。人を人として生きよう。人が人として生きる社会を作ろう。

2011年4月9日土曜日

ゆきむすめ


しばらく休みがなかったので、きちんと休むことにした。雨模様の中、お気に入りの琵琶湖の湖岸道路に車を向けた。長命寺を過ぎて、湖岸のカフェで休憩するころには、日が差し始めたけれど、肌寒い。比良山の頂上や谷間には少し雪が残っている。桜も咲き始めたばかりだ。

その後、近江八幡で少し遅い昼食を取って、水郷の街並みを散策(デート)した。街中の桜は、見頃を迎えている。「おいしいね」とか、「きれいだね」とか言葉を交わす人が隣にいることが、本当にしあわせなことだと思う。


帰りに佐川美術館に寄った。先日亡くなった、佐藤忠良の追悼展があったのだよ。彼の作品には一種の凛々しさを感じる。平山郁夫の特別展も開催されていて、これも良かった。奥の細道や熊野古道などの古い道をスケッチした作品が展示されていて、とても楽しめた。

ゆきむすめ」というロシアの民話の絵本も佐藤忠良の作品だそうな。哀しく美しい話だ。

近江八幡で買ったお土産を同僚に届けた。言わばヘッドハンティングでうちの会社に来てもらったのでせめてものお礼だ。かたじけないでござる。

2011年4月8日金曜日

チーム


同僚から、きつく責められた。改めて想う、責任者とは、責めを任された者だとね。確かに耳に痛い言葉であったけれど、それでも、その言葉はありがたかった。苦労はするけれど、私は、いつも良い同僚に恵まれていると思う。

私たちは、チームである。それに応えるだけのリーダーでありたいと思うのだ。なんとかがんばってみるよ。


2011年4月5日火曜日

希望


ドライブのBGMに選んだのは、これもASKAのセルカバーアルバム。いつステアリングを握れるだろう。

さて、今日は、会社の新人研修の日だった。2時間ほど時間をもらって、現場で仕事をする上で大切にすべき専門的な視点や価値観について、できるだけ分かりやすく伝えた。(つもり)

最後に伝えたのは、次の時代を作り上げるのが彼らであり、その意味で、彼ら自身が、うちの会社の「希望」そのものであることだ。

彼らの心に響いてくれると良いのだけれどね。彼らにも伝えたのだけれど、人は人に思いを伝えることができる、人は人の思いを理解できる、そう信じて欲しいのだ。そう信じていれば、いつか必ず伝わるのだから。

彼らと話ができて、少し元気をもらった。ありがとう。

2011年4月4日月曜日

ドライブ


土曜日の休日、午前中に少し仕事を済ませて、自宅に戻りながら思い立って、久しぶりに遠出することにした。しばらく、休みも取れそうにない生活が続くし、少しくらい自分を甘やかさないと、心が持ちそうにないからね。

車のトップを開けて風を受けていると少し気分が解放される。BGMは、買ったばかりのASKAのセルフカバーアルバムだ。名張の青蓮寺湖に車を向けて、先日、休みでは入れなかったカフェ「YUNO」を訪ねた。家具工房が併設されて、雑貨類も置いてあるので、お好きな方は、行かれよ。

半日の休みを終えて、日曜日も仕事。次は、いつ休めるだろう。