2013年12月31日火曜日

世界で一番良い子

間もなく、今年が終わる。たった今私は、ほんの一瞬だけ、世界で一番良い子になって、世界の人々が幸せであることを祈る。

2013年12月22日日曜日

絵本の神様



早朝に散歩を済ませて、家族のランチを作ったあとで、家族も出かけたので、独りでドライブすることにした。薄いシャツの上に革ジャンの袖を通す。下はジーンズ。こういったことは、型から入らないとね。

自動車専用道路を奈良に向けて走った。天気が不安定で屋根を開けることはできなかったけれど、先日いただいたCDをBGMにして加速すると良い気分だ。

奈良の市街地のハズレに車を駐めて、奈良町に足を伸ばして散策した。暖を取る代わりに、奈良町にある古民家の展示施設をゆっくり見学した。京都の古民家に似て狭い間口に、細長い吹き抜けの土間の台所、坪庭があって奥座敷に続く。

箱階段を登ると二階間もかなり広い。写真を撮りながら気がついたけれど、立っているより座っている方が、民家の居住まいが美しい。おそらく、意図的にか経験的にか、美しさのフレームが民家の設計に埋め込まれてきたのだろう。おもしろかった。

そこからしばらく歩いて、奈良の駅前近く、記憶をたどるように小さな路地を入る。最近、お気に入りになった絵本カフェがある。マスターは旅好きで、マダムは絵本好きのようだ。二人ともまだ若く見える。夫婦だと思うけど確かめたわけではない。

ランチのトマトカレーをいただいて、店内をスケッチし、何冊か絵本を読み、とても落ち着ける。はじめのうち、客は私だけだったからね。とても良い時間を過ごした。絵本の神様がいれば、きっと気にいるだろう。

2013年12月12日木曜日

三枚返し



いつものカフェに本を届けた。お返しにCDを3枚もらった。「三枚返し」だ!!! ありがたく頂戴した。感謝。100枚返しなら「土下座」だ。(笑)

カフェの本棚から、重松清の「おかあちゃん」を選んだ。ページを開いて、途中まで読みかけていたことに気付いた。いつか続きを読もうと思ってそのままになっていたんだね。子どもと母、罪と贖罪についての連作集だ。感じることや考えることが多い物語で、読み終えて少しぼんやりした。

子どもは、いろいろな思いが自分の中にある。それを言葉や行為に、どう表してゆくのだろう。折れたり、倒れたり、そして立ち上がる。この世は生きるに値する、向き合うに値する。そう伝えて受け止めるのが大人の役目なんだね。

2013年12月11日水曜日

倍返し



自宅には多分、自分だけでも500冊以上、家族の分を入れると1000冊以上の本があると思う。狭い家だから置き場所に困る。売ることも考えたし、図書館に寄贈することも考えたけれど、いつものブックカフェに引き取っていただくことにした。

本好きの集まる場所だし、面倒な手続きもいらないのが良い。処分してもよさそうな200冊の中から、ゆったり読めるようにと比較的手軽な内容のものを選ぶことにした。

ザックに詰めてやや登り坂の道を30分かけて運ぶと、良いウエイトトレーニングにもなるから。それも気分が良い。そのままカフェで本を読んで、研修用のメモをまとめて昼過ぎまで過ごしたら、良いリハビリにもなった。

カフェでは中古CDも販売してるのだけど、気に入ったものを持って帰っていいよ、とマスターに言われ、ミスチルと安室奈美恵を選んだ。

おお、倍返しだ!! マスターに感謝。

2013年12月10日火曜日

トヨタ博物館




先日天気が良かったので、以前から走りたいと考えていた名古屋の湾岸道路に向かった。大阪の湾岸道は、港町神戸に向かう少し観光気分を味わえる道だけれど、こちらは工業地帯を抜けて東名に抜けるので、もっと実用的な印象だ。

ついでだから端まで走って、長久手のトヨタ博物館を訪れた。クラッシックカーがズラリと並んでいる。丸みを帯びたデザイン、個性的な表情が観ていて楽しい。

写真の白い車は愛車コペン。帰りはオープンにして走った。開放的な気分を味わえるけれど、凍えた。(笑)

2013年12月8日日曜日

絵本のある風景



奈良に出かけた。新薬師寺の十二神将に会いたかった。穏やかな眼差しの本尊ではなく荒々しい表情の神々の方が、むしろ感覚をクリアにしてくれる。新薬師寺を出ると木の実でいっぱいの袋をかかえる保育園児の集団に出会った。知ってか知らずか門前で手を合わせている。立派なものだ。

だけど「えんきりでらって書いてる、それ何!」だってさ。笑った。私のカメラに向かってピースサインを送るから、思わずシャッターを切った。

少し色あせた紅葉の中、飛火野から浮見堂を巡って、駅前近くの絵本カフェを訪ねた。初めての場所で間口が一メートルの程の路地を入るのに少し迷った。ゆっくりできそうな雰囲気だったので、ランチのトマトカレーを頂いて、絵本を数冊読んで、おまけにスケッチまでした。とても良い時間を過ごせた。店主夫婦に感謝。

その後、奈良の街を離れ大阪市内までパートナーを迎えに行った。本当に良い一日だった。

美しきものへ

神戸市立博物館で開催されていた「プーシキン美術館展」を楽しんだ。素晴らしいコレクションだ。セザンヌの「パイプをくわえた男」のバランスの取れた色彩と構図、ロートレックのデッサン力に感動を覚え、シャガールの愛は喪失の漆黒にありながら人に希望を与える。


会場を出て、異人館に向かった。お気に入りは、萌黄の館だ、萌黄色のテラスに差し込む冬の光、静けさの中に軋む木の床。何時間いても飽きない場所だ。


美しいものに出会うことは、人生を豊かにする。

2013年11月28日木曜日

時計屋の娘

このドラマは、古い手巻きの時計を中心にして物語がある。それに人と人の気持ちのすれ違い、東日本の大震災、生き残ったけやきがモチーフとして絡む。真面目なドラマだった。

先日買った(買ってもらった)時計は手巻きだ。当たり前だけれど、一日に数秒ずれる。そのズレがむしろ心地 よい。何もかもが、すべて正確に刻まれるのも窮屈だからね。一方で、時計のズレが一日に数秒だけという職人の技のもそれはそれで すごいことに違いない。

ズレについて考えた。自分のことは自分が一番、知っているのか、他人が見た自分とのズレ、時が経てば、昨日の記憶は曖昧になり錯綜する。ましてや「明日の自 分」を正確に思い描くことは自分にも他人にも難しい。

明日の自分を決める人生の節目、ターニングポイントがある。その節目を自覚的に自分で選択することを迫られることもあるだ ろう。その時だけは、他人が決める「自分らしさに」従うことはできない 。一方で、その節目ごとに他者との調整や意見交換が必要だったり、それ どころかトラブルにさえなることもあるからやっかいだ。

だからこそ自分が自分の選択をする時、知恵と言葉が大切になる。自分と他者のズレ、あって当たり前なんだろう。そのズレを丁寧に解きほぐすために、力技だけではない知恵と言葉を磨いておこう。それから普段使いのおもいやりもね。「おはよう」「ありがとう」必要なときに「ごめんなさい」と簡単な言葉をきちんと伝えればよいのだけどねえ。

自分の時計を見ていると「ズレていてどこが悪い」と言われているようで、爽快だ。だからこそ 、日ごとネジを巻き、時間を合わせるように、ていねいにどこかで自分の ズレを調整するのかね。

もっとも、はじめから自分らしさがあるのではなく、選択の繰り返しの轍が結果的 に自分らしさになるのだ。価値観、知恵と言葉、希望と勇気、友達の選び方、職業を選び時には辞める、いろいろひ っくるめて自分らしさなんだろう。でもね、どこかで今ある自分をぶっ壊したい衝動もある。そうね、とりあえず明日から「いい人」辞めます。(笑)

2013年11月22日金曜日

「緑の旅人」

昨日はクラブのある後輩の誕生日だった。僕らは自分たちのことを緑の旅人と呼んだ。僕らはみんなまだ旅の途中にいるような気がする。彼らがいることで、私はどれほどか勇気づけられ、希望を失わずにいることか。そして、旅は続く。

「緑の旅人」

新緑の芽吹きに聞き耳を立てて
盛夏の木陰にある漆黒の闇に魅入られる

紅葉の窯変におののき
落下する葉脈の叫びを聞く

あなたは多分新鮮な言葉を求める
緑の旅人なのだろう

それは恋にときめくように
言葉に出会ってしまうのだ

あなたが生まれた初めの日
新鮮な空気と入れ替えに吐いた言葉

あなたはおぼえているだろうか
その時からあなたの旅が始まった


2013年11月20日水曜日

雨宿り

ひきこもりから徐々に復活し、散歩を始めた。足もとをTimberlandのトレッキングシューズで固めて、山歩きの準備も兼ねて歩く。くるぶしまでカバーするので荒れ地や坂道でも安心して歩ける。どちらかというと歩きグセが荒いので道具としての靴に頼っている。

トレッキングシューズは、歩き方も筋肉の使い方も街中の通常の靴とは異なるので、履き慣らして筋肉の記憶を取り戻そう。住宅街を抜けるコースにある斜度30度の坂で息が上がった。完全復活まで時間がかかりそうだ。

ミスドで一休みしていると、振り始めた雨に足止めされた。その間に経済誌に目を通した。自分の業界以外の広い視野を持つことは大切だし、好奇心を刺激する。散歩してる間もそうだけど、「雨宿り」と言う寄り道の時間には、芽吹く木々のように思考が展開する。

誕生日のプレゼントに以前から欲しかった手巻式の時計とパーカーの筆記具を買ってもらった。手に馴染む道具も思考を豊かにしてくれそうな気がする。(笑)考えるときに手先を動かす、例えば、落書きしながら考えると、脳が活性化するというのも脳科学的な根拠があるらしい。

別のSNSで友人と英語教育のことが話題になった。日本の英語のリテラシが低いとして政府が「実践的な」教育を提案している。友人の意見のひとつは英語には「(情報交換のための)単なる道具」以上の魅力があるという点だ。私も強く同意する。私自身が詩を読み書きするとき、そこには言葉との新鮮な出会いがある。それは言葉へのときめく恋心のような感覚だ。たかが道具、されど道具。

そうこうしているうちに雨が上がりそうなのでミスドを出たものの小雨。出掛けにも天気を読み間違えたんだから、もう少し天気や自然に対する感も取り戻さないとね。現役の頃は「あと2時間で雨が降る」といったことまで予測できた。天気図を読んで必要な観察をするとかなり精度が上がる。山は単独行が多かったし好きだから、自然に対する観察と直感が命に関わる。もう一度自分の心と体をリストラクチャしよう。

少し長目の人生の「雨宿り」が続いている。降り止まない雨はない、と人は言う。

2013年11月19日火曜日

2000万人の誕生日


自分の誕生日だったのでパートナーと遅めのディナーをとった。カジュアルだけど生ピアノの演奏がある店の雰囲気が好きだ。たまたま隣の席の女性も誕生日らしく、ハッピーバースデーが流れ、客全員で彼女を祝福した。おめでとう。

世界には同じ誕生日の人が約2000万人。日々の糧にも困る人、大切なものをなくした人、病にある人、巨万の富と孤独を天秤にかける人、牢獄にある人、初めての恋をした人、笑う人、ため息をつく人、いろいろだろうけど、今を生きているあなたは、ただそれだけで美しい奇跡の存在なんだ。

おめでとう。そして、ありがとう。

2013年11月11日月曜日

「海竜 Pleciosaur 序章」

今日はパートナーの誕生日。単純にうれしい。

「海竜 Pleciosaur 序章」

八海里先の臭いを嗅ぎ分け
気配を消して慎重に間合いをとる

一瞬身を跳ねて獲物を絞り骨を砕く
牙は皮膚を裂き血肉を喰らう

それは決まりきった手順で
ジュラ紀の遺伝子に紡がれた知恵だ

怒りもなく喜びもないまま
脳をめぐるアドレナリンの勤勉

しかしこの胸骨を締め付ける重さは何だろう
「なくしたものへ愛しさを悔いているの」

肩を震わせて逃げてゆく熱は何だろう
「それは哀しみの始まりなの」

やわらかに伝えてくてるあなたのそばで
あふれる涙を止めることができなかった

その日からいつか私が水底の躯となるまで
あなたのそばに居ることがたったひとつの願いになった


2013年11月7日木曜日

安藤美姫と楽天

日本シリーズの盛り上がりには物語としての定番があった。巨人と楽天、中央と地方、老舗と新参、権威と破壊、アナログとデジタル、挙げれば他にもあるだろう。そのことがファンを引き付けた。

安藤美姫がソチに向けて復活の路を歩んでいる。プライベートな出産を経て、そのことを沈黙のまま引き受けて、挑戦する覚悟と姿勢に敬意を表する。そこには、一人の人間が生きようとする物語がある。

充分とは言えない得点という客観的な「根拠」(エビデンス)は、彼女の挑戦を無謀というだろう。しかし、語るべき(ナラティブ)な「物語」にワクワクする。ソチへの切符を手に入れられるかどうか、それも含めて、物語を楽しもうと思う。

2013年10月30日水曜日

平均的な日本人が海を眺めて過ごす一生分の時間は、とっくに見てしまった。飽きるほど見た。そう思っていた。なのに、フェリーのデッキで浮かんだのは、「海」の唄だった。

うみは ひろいなおおきいな つきは のぼるしひがしずむ

うみは おおなみあおいなみ ゆれて どこまでつづくやら

うみに おふねをうかばせて いって みたいなよそのくに

広くて大きな海に比べれば、私はとても小さな存在だ。それが、むしろ心地よい。「君は、小さくてもかまわないのだよ。」そう言われているようだ。背伸びをしないで、肩肘張らずに、生きて行けばいいよね。見上げると、天空に天の川。それに比べれば、海でさえ、狭くて小さい。 海にはどんな船を浮かべよう。よそのくにではなく、行き先があなたであれば良い。

朝、タラップを降りたら、あなたの笑顔が待っていた。ありがとう。

2013年10月28日月曜日

美濃紙破れたり(みのしやぶれたり)

帰路は、門司に寄り道して、巌流島に渡った。次の便まで半時ある。小次郎のようにイライラしなくても、船は時間どおりやって来る。だから、関門海峡を眺めながら、ぼんやり過ごしていた。狭い航路をいくつもの船が行き交う。

今朝、テレビで美濃紙の会見を見た。基本的に成人して働く息子の事件で報道を辞める必要は全くない、と私は考える。ただし、セクハラ問題をヘラヘラとした笑顔で弁明し、「殴るタイプの父親」と自ら公言し、辞めたくないのに「世間の風潮 」のせいでで辞めると世間を悪者にする。彼に報道人としての資格はない。逆に息子を##呼ばわりして、こどもに責任転嫁している。##ヤロウはお前の方だと思う。

辞めたくないなら、しがみついてでも「報道人」として語ればよい。ひょっとして、その自信がないから、語るべき哲学も言葉も始めから持っていないから、報道から去るのではないか、と疑う。もとから、この人が好きではないので、辛口 になる。彼は誰に敗れたのだろう。

門司からフェリーに乗ることにした。船の旅がしたくなったんだ。


2013年10月26日土曜日

時代

田舎の叔父がなくなった。炭鉱夫だった叔父の肺は、じん肺でやられていて真っ黒、もともと状態は良くない。「水がたまって酸素を受け付けなくなっている。長くは持たない」と同級生だったいとこは電話で漏らしていたが、そのあとすぐに逝ってしまったと連絡があった。

「怖かおんちゃん」であった叔父の家は、私の炭住の裏手の土手を上がった隣街にあった。テレビを買ったのは坑内で働く叔父の家が先で、テレビ見たさに遊びに行った。叔父は、叔父なりの荒い言葉で私を可愛がってくれた。親も同然の人だ。

電気技師である父の給料は安かった。しかし炭鉱が斜陽になり閉山すると、つぶしのきかない炭鉱夫は、営業を続ける別の炭鉱に流れ、父は、技術者として大阪で職を得た。田舎に戻りたいと願っていた父は、母を亡くし、私と妹の生活の場所となった大阪を離れることもないだろう。

叔父は、定年後、故郷に家を構えて地元を離れることなく、近くに住む私のいとこである娘に見守られて、生活していた。一昨年、訪ねた時には、私が誰かわからなくなっていたけれど、一族で集合写真をとっていたら、後からやって来て、子どものようにちょこんとフレームのなかに収まっていた。叔父は家族に見守られながら苦しまずに逝ったようだ。良かった。

母を亡くしてからの父は、引きこもるようにして生活している。そして過労死の手前で病気になった今の私。時代には、それぞれの時代の背景がある。その背景は、後から振り返った方が冷静に見えるのか、逆に時が過ぎれば忘れ去られることもあるのか。リアルタイムで見据えた方が正確なのか。幸不幸は、あらかじめ決められているのか、偶然か必然か、努力次第で道は開くのか、そんなことを考えた。

私は、今、故郷に向かう新幹線の中に居る。大切な家族に会いに行き見送る。同時にそれは、ひとつの時代に会い、見送ることなのかもしれない。


2013年10月25日金曜日

正義の味方

詩人で漫画家のやなせたかしさんとCM批評の天野祐吉さんが亡くなった。

悪いこと良いこと、正義と不正義、正しい正しくない、フェアとアンフェア、白黒はっきりつけられないのが世の中だ、だけど「それはそれで、みんなで幸せに生きていこうよ」と彼らは伝えてくれた。むしろ声高な「正義」をあやしみ、正義と不正義の間を誠実に探る人たちだった。

それでも、本人たちは否定するだろけど、この混沌とした時代にあって彼らは、やはり「正義の味方」だった。災害で土地を追われ、命を奪われ、親が子どもを殺し、偉い人がセクハラで開き直り、役人が横領し、警察官が銃を持って消える、それでも、正義はある。希望があり幸福がある。共感があり愛情がある。そのことを信じていた。

2013年10月24日木曜日

エビデンスとストーリー

二人の主治医がいる。それぞれの個性があっておもしろい。検査の数値を眺めて、ほとんど患者の顔も見ないで、処方を決めるクールで美人の内科のドクター、一方で、じっくりと患者の話を聞いて、手探りで処方を決めるワーカーホリックで気分屋の診療内科のドクター。

別の視点から見ると、前者は、診断の根拠となるデータを重視するエビデンスベースドアプローチ医療、後者は、患者の語る物語を大切にするナラティブアプローチ医療。 治療の効果を担保し、保険請求と言う公的な制度を使う以上、治療に客観的で科学的な根拠が必要ではありながらも、合わせて医者のさじ加減と患者の気持ちも大切にしないとね。

古くさい言い方だけど車の両輪のようなものなのだろう。 ところで車の両輪の車ってなんだろう。普通自動車なら四輪。左右で対になっている意味で両輪なのかな。別にたいしたことではないけどね。つまらないことをぼんやり考えるのは楽しい。

一ヶ月、ほとんど引きこもり状態、ネットや携帯も離れ、倦怠感で読書もできなかった。服薬を合わせるのに試行錯誤して、やや、復活の兆しあり。ヤレヤレ。

2013年9月15日日曜日

壇蜜さんと全国学力調査

静岡県知事が全国学力調査の結果にキレて、下位の学校の校長名を公表するそうだ。「先生の教えかたが悪いので責任を感じてもらう」ためらしい。そんなことより、知事としてやれることが先にある。クラス定員を減らすことだ。クラスの集団を作るにしても、40人は多すぎる。野球は9人、サッカーは11人、心理療法のグループなら最大でも12人まで、そこまで望まないにしても30人定員までにはしてほしい。同じ調査で上位の秋田県では、県の予算でそれを実現している。しかも学校を越えたベテランによるコーチングも制度化している。申し訳ないが、静岡県知事は知事としての責任を感じておられないようだ。

ちなみにグラビアアイドルの壇蜜さんは秋田県出身だけれど、メディアでの言動を見る限りとても賢い人だ。突っ込みへのレスポンス、視点の広さ。学ぶことが多い。秋田県人はすごい。

2013年9月9日月曜日

この世は生きるに値する

宮崎駿監督が引退する。彼の作品は、こどもたちに「この世は生きるに値する」と伝える。紛争で奪われる命、虐待が打ち砕く希望と信頼、貧困が招く差別と閉塞。その中にあっても、だからこそ、おとなたちは、そのメッセージを伝える役目、使命がある。

オリンピック招致が決まった。宮崎駿の哲学のバトンを、引き継げるのか、世界に向けて、バトンを渡せるのか、その事を問われている。経済効果や活性化と言うような矮小化された世界観ではない。世界中に希望と確信を伝えられたとき、オリンピックは成功と言える。

早く子どもたちのところに戻りたい。直接でも間接でも、そのサポートが私の役目でありたい。副作用の強かった処方をやめた。もう一度、生活のリズムを建て直す。生きることは素敵なことだ。笑顔で子どもたちに伝えるためにね。

2013年8月29日木曜日

迷路

渋谷のホテルには、高層階にメンバーズフロアがあって、ドリンクフリーでゆったりとした椅子がある。滞在中は、そこで一日読書して過ごした。夕方は、フリーのカクテルタイムでアルコールもある。普段は飲まないのだけれど、こんなときはパートナーと過ごす。

昼間の東京は、見渡す限り街並みが広がる。それが果てしない迷路のようで、足を踏み入れると迷子になりそうだ。みんなどこへ行くのだろう。ゴールはあるのだろうか。曲がり角を選びながら、そこに正解はあるのか。

わかることは、その選択の迷いや揺らぎのトレースが、その人らしさなのだろうということだ。今の私は、その曲がり角の路傍のベンチで、立ち止まって、のんびり本を読んでいる。本を読み終えたとき、どちらの道を選ぶのだろう。少し楽しみだ。


2013年8月24日土曜日

東京

パートナーの自己研鑽の研修に付いてきた。雷雨で予定延の便が遅れてホテルに到着したのは深夜になった。住んでいた40年前とは街並みも様変わりしているけれど、喧騒のなかで感じていた疎外感はそのままだ。年齢のぶんだけ穏やかに受け止められる。

10日ほど、自宅にこもって過ごした。久しぶりの外出だけれど、そこが大阪でも東京でもあまり別に意味はないのだと思う。34階の部屋から見た夜景も無機質な箱庭のようだし、生活感のない部屋の刺激のなさに、感情のスイッチが自然に切れる。

2013年8月6日火曜日

桜の国の品格

つい、読んでしまった。目頭が熱くなる。心が弱っているのだろう。マズローの自己実現についての本を読んでいる。テーマのひとつにシナジー(相乗効果)がある、力をあわせるとその和以上の効果を生む。連想したのは、東日本大震災で日本人がパニックを起こさずに整然と行列を作った、ということ。

一人一人の小さな我慢が全体の利益を生む。こうした文化を持つ国は、成熟しているのだ。マズローがシナジーで指摘することのひとつといって良い。この国の品格というものを私は愛している。愛国心といって良い。しかし、何度も言うけど、ナチスを引き合いに出して、憲法を議論しようとする人の愛国心とは、違う。

ただね、誰かの死を、例えば、被爆や、震災の。そのことを自分のせいにしてほしくない。自分の喜びは誰かの喜び、そうだね。誰かの悲しみは自分の悲しみ、間違いじゃないかもしれない。でも、それは、自分のせいではないからね。絶対違うからね。


2013年8月5日月曜日

子どもたちへ

昨日、子どもたちにプレゼントを渡すために知人宅を訪れた。「ボクが先、ワタシが先」まだ幼い兄妹たちがじゃれるように遊ぶ。仲の良い兄妹だと思う。ふと、この子達の未来を考える。のびのび健やかに育ってほしい。また会いに行こうと思う。

世の中には、大人の顔色をうかがうような生活を強いられている子どもが大勢いる。その子達は、そんな生活を強いられていることに、気づくこともない。それを強いている大人にも自覚がない。今日は、気分が晴れない。そんなこと考えるからだろう。やれやれ、私は、人間が苦手だ。

明日は、広島に原爆が投下された日だ。「父と暮らせば」は、数年前、たまたま広島の映画館で見た。ヒロシマやナガサキに限らず、事故や事件で理不尽にも失われる命がある。東日本の震災にしても、取り返しのつかないこと、取り戻せないことを、その時に生まれる思いを人はどうやって、受け止めるのだろう。よくわからないままだ。そのことを考えることと子どもたちの未来を考えることは、同じことなのだと思う。

広島へは、用事もあるし、近いうちに行きたいと思っている。賢くなりたい。

2013年8月4日日曜日

小説忌憚



いつものカフェで企業戦略に関する本を苦い薬を飲み込むように読んだ。良薬は口に苦し。示唆に富む内容で、触発されたことをメモにした。これまでのメモも、まとまった形のレポートにしようと思う。これもリハビリだ。

そのあとで、カフェの本棚から読みやすそうな小説を選んだ。読みはじめて驚いたことに、嵐のように感情が溢れてきた。物語の中の色々な思いが、自分の心を巻き込んでしまう。ドキドキして、少し疲れた。人間の心はやわにできている。あれ、私だけかな。

それでも一冊読み終えることができたのは、このカフェのおかげだと思う。たくさんの本があって、落ちつけるテーブルがあって、ほどよい堅さの椅子があって、美味い珈琲があって、親切なマスターとマダムがいて、感謝。わたしは、たくさんの人に助けられている。

2013年8月3日土曜日

そうだ、美術館へ行こう。


琵琶湖畔の佐川美術館、安野光雅展に出掛けた。作品に描かれる色々なモチーフが、人も、風景も、静物も、動物も、自然もすべてが同じ重さ だ。それが勝手におかれているようにみえて、あるべき場所にきちんと納まって、ひとつの世界を作っている。そして結局、世界は勝手に動き出す。蟻の世界の美しい統一感、それを連想した。



そのまま、滋賀県立近代美術館に足を伸ばした。佐々木マキ展、物語の登場人物は誰もが孤独なのに、そのことに頓着していないように見える。愛し合うことの孤独さえ受け止める。ひ ょっとすると「自分は何者か」なんて問わないのだろう。そういう人間は、よくも悪くも 強い。そして案外、相手に優しい。


お茶をするのに、信楽に場所を変えた。陶芸の森の手前、住宅街の中にある。メニューはその日の豆、煎り方の違いがあるだけだ。サイドメニューにチーズケーキが数種類。極めてシンプル。カウンターにマスター独りなので、そんなやり方で良いのだろう。

昨日は、ほとんど自宅で過ごしたいた。今日は楽しい一日だった。付き合ってくれたパートナーに感謝。

2013年8月2日金曜日

そうだ、学校へ行こう


小説「しおかぜ荘の震災」は、東日本大震災をモチーフにしているけれど、内容は、うちの業界の大きな課題をテーマにしている。考えさせられるというか、常に考えていることなので、架空の小説として読むのは難しい。

じゃあ、うちの会社が、どうあるべきか、私ひとりの考えでどうこうするつもりはないけれど、限られた時間の中で私にできることをやってゆこう。

読書を続けている。この歳になっても学ぶべきことは多い。大学では、あまり良い学生ではなかった。もういちどちゃんと勉強したいと考えている。通信教育を受けてみよう。費用や時間のことなどクリアすべきことは多いけれど、思ったんだ。そうだ、学校へ行こう。

またひとつ、やりたいことができた。今日は少し体がだるい。夕方から出かけようと考えていたのだけれど、どうなるかな。

2013年8月1日木曜日

芸術花火





去年も思ったけれど、花火そのものより、空を見上げて歓声をあげる人々の表情の方が楽しいい。一時、何万人が嫌なことも忘れて、時を過ごす。すごいことだよね。

環境によっては、動画が表示されません。ごめんなさい。

2013年7月31日水曜日

会社人



あらためて、マネジメントの勉強をしている。会社のこれからと、自分がやれることはなにか、考えている。社員は、会社の部品だという。私も部品のひとつだし、壊れれば、替えがある。そうかもしれない。

けれど社員は人だ。人は、学ぶ。変わる。繋がる。生きているのだ。何より、なぜ働くのかという思いがある。求めている。見えないけれど、それは仕事の中身に影響する。仕事に意味があると思えば、現場は小さな工夫をするかもしれない。金属のネジがそんなこと考えないだろう。

池井戸潤原作のドラマが公共、民法で放送されている。会社とそこで働く人間のドラマだ。偶然ではないだろう。今の時代の雰囲気が働くということを問い直している。視ているのが辛いドラマだ。お前に何ができるのか問われているようだ。私にできることは何だろう。

それは、家庭人、社会人としての自分を考えることでもある

2013年7月29日月曜日

老いを見送る



老いることを受け止める時、本人も、家族も、とまどい、うろたえる。その時が来るまでに、家族が互いに、大切でかけがえのない時間を過ごすこと。たくさんの笑顔や、少しの涙、語り継ぐ思い出、切り取った風景。そういったものがあれば、その時の覚悟のようなものができるのだと思う。

数日、体調がすぐれない。引きこもってぼんやり過ごしている。こんなことも、いつか笑って話せるようになるのだろうか、そうあってほしい。

明日は、映画でも見ようかな。こんなときは、目を背けたくなるようなホラーか、壮大なスペースオペラなんてのが見たい。

2013年7月26日金曜日

自分をマネジメントする


経営学の本を読んでいる。マネージャーの仕事について、棚卸ししようと思う。それから、少し文章を書くことにしよう。しばらく後になるけどね。

体調がよくない。内科のドクターは肝臓の数値を見て熱中症かもね、だって。あらら、ちょっと歩きすぎたかもと言うと、ドクターも笑う。水分をとるように言われた。

いつものカフェのマスターとマダムの絵を描かせてもらった。夜中に目が覚めて、何枚か描いてみて、自分で気に入ったものを渡した。二人にも気に入ってもらえると良いのだけど。我流だし、きちんと勉強したいなと思う。

何事もやりはじめると、一途になってしまう傾向がある。だから、体を壊すし、気を付けるように言われるのだけど、一生懸命でない人生なんて、つまらないからね。

カフェの帰りによったスーパーの片隅に休憩用のテーブルが、置いてある。今日そこで、中学生くらいの女の子、高校生くらいのお兄ちゃん、それから母親らしい人が、惣菜コーナーで買ったらしい弁当を拡げていた。お兄ちゃんの「いただきます」声を合図に女の子はにっこりして、弁当に手をつけた。とても幸せな家族に思えた。

少し弱めの安定剤を再開した。なんだか笑った。考えてみたら、社交的な人間でもないし、人と関わりを持たないで過ごしたいのは、なにも体調のせいではなくて、本来の自分の姿かもしれない。今の生活の方が当たり前なのかもね。だから、早くよくなるといいね、なんて言われると、本当にそうなのかなあ。家族や会社には悪いけど、このままじゃダメかなと思うときがあるんだよ。

2013年7月19日金曜日

そうだ、絵を描こう


楽しいことがみつからない。そもそも、楽しいことをやろうという気持ちにならない。散歩も、読書も、家事も、パートナーに言わせるとリハビリが「ノルマ」になっているそうだ。もう少し楽にしたほうが良いのだけれどね。それができれば、はなから体を壊すようなことにはならない。できないから、困っている。

そうだ、絵を描こうと思った。山を越えて当麻寺の近くにある文具店まで足をのばした。ここは、ひなびた門前町なのだけれど、和洋の画材の品揃えがすごい。スケッチブックとパステルを買った。2Bと4Bの鉛筆もね。

きちんと絵を描いたのは何年ぶりだろう。描いているときは、描いていることを忘れる。楽しいというより、とても集中できる。また描いてみようと思う。

P.S.動悸がする。小さな音にも過敏に反応する。ここ数日は、そんな調子だ。刺激のない環境が必要なのだろう。

2013年7月17日水曜日

夏の真実


「夏の嘘」を読んでみた。短編のそれぞれの主人公の自分自身への向き合い方が印象的だ。私とは違う。それは、他者への向き合い方への違いでもある。国民性の違いだけでもないし、年齢や個性の違いだけでもないのだろう。主人公への理解はできる。しかし、わかることとそのように振る舞うことも違う。そのくせ、自分がその物語のどこかにいても不思議ではない。

友人が読んだというので読んでみた。そうでなければ、手にしなかった作品だ。友人は、自分の世界を広げてくれる。感謝。

2013年7月15日月曜日

Re-born


好きな作家だ。しばらく前に買ったまま、楽しみでとっておいた。焦点が絞りにくい物語だった。それはそれで、楽しんだ。評価の分かれる作家だけれど、音楽は聴き手の、読書は読み手の力量や感性で変わる。それが足りないばかりに魅力がわからないこともある。それがわかる人になりたい。もったいないからね。わからないことがあるというのは素敵なことだ。

先週末から体調を崩した。5時半起きで弁当つくって、2時間の散歩、リハビリに頑張りすぎたようだ。4日ぶりにそとに出た。体に力が入らないけれど、少し加減をしながら、また始めればよいのだ。

2013年7月10日水曜日

そうだ、山へ行こう


自分のやりたいことを考えてみた。そうだ、山へ行こう。登るとしたら、迷わず選ぶのは黒部五郎。黒部五郎小屋から小さな沢のあるカールを上り詰める。朝日に焼ける山肌は、神々しい。どこからアプローチするにも、1泊必要なので、今の体力では無理だ。体を絞込もう。

もし、その時が来たら、できればこのカールに散骨してほしい。ほんとうに美しい山なんだ。ほんとうに。

2013年7月8日月曜日

気になる子


「気になる子 理解できる ケアできる」は、トラウマを抱えた児童の治療について、わかりやすく書かれた本。作者のフィールドがアメリカなので、最新の治療法とその可能性についても触れているし、脳の発達のについてのおさらいもできるので、とても役に立つ。子どもに限らず、大人にも有効だ。

楽しいことの手始めに、奈良県まで足を伸ばして初めてのカフェに入って昼食をとった。少し読書もした。おしゃれな店で女性客が中心のようで、落ち着かないけど、もともとカフェなんておじさんの行くところではないからね。

それはともかく、研修用のテキストを作ろうと考えている。何か形のあるものを作りたいんだ。

2013年7月6日土曜日

空はひとつにつながって



午前中、いつものカフェで読んだのは、「課題図書」の「はるかなるアフガニスタン」、児童書だ。先日書店で見て衝動買いした。アフガニスタンと米国の少年、少女の文通をモチーフにして、国家、民族、宗教、文化の溝を描いている。作家は米国人だから、あくまでその視点からということにしても、子どもたちにその「溝」を残したままでよいのか考えさせられる。

外交問題や対立は、解決が容易ではない。それでも、どこかで落としどころを見つけられないものか。被害を受けるのは、多くの場合子どもだ。時に、生命さえ脅かすのだからね。


午後、パートナーを誘って、奈良飛鳥までドライブした。先日、みつけておいたカフェに誘いたかったんだ。気に入ってくれたようで良かった。ついでだから、石舞台まで足をのばした。数年前までなかった売店やレストランがあって、驚いた。観光地みたいだ。ああ、観光地だった。

「昔は上に登れたのにね」とパートナー。登りたいのだろうけど。

PS.「空の名前」は、先日、金沢21世紀美術館で買ったものだけど、自然を表す言葉のバリエーションに驚く。それは、よいことだと思う。

2013年7月4日木曜日

正義と経済


何でも金で買える時代になったという。金を払えば、許されるのだという。それは違う。それは間違っている。子どもたちに、上手に伝えられると良いのだけれどね。そのための知恵を貸してくれる本だ。

2013年6月28日金曜日

誕生日


北の友人へ、誕生日おめでとう

「鏡」

この空を愛しく思う
緑の恵みを愛しく思う

大地と大気はそんなあなたを
大切に守ってくれる

あなたのために祈ろう
あなたのために笑おう

あなたのためにあることは
私が生きるのと同じ重さだ

愛することは鏡のように
自分を照らす

2013年6月21日金曜日

家族と憲法



大切な人が、突然に居なくなくことがあるのだ。大震災は、その事を教えてくれた。家族の絆という目に見えないはずのものが、失われたときに見えるというのは、不思議だ。

自民党の憲法改正草案に「家族の助け合い」がうたわれるそうだ。憲法の役割は、元首や権力者の横暴を抑制し、健全な立憲政治を担保することにある。

正社員は、家族と過ごす時間もないほど働き、非正規社員は家族を作るだけの賃金をもらえない、シングルマザーが子どもと孤立し、避難所では、年寄りが死ぬ。

この国の為政者には先にやるべきことがあるだろう。必要なら法律は変えるべきだ。ただし、誰が何のために変えようとしているのか、きちんと見極めたいと思う。

2013年6月19日水曜日

見える景色


ドラマのBGMに使われていて、気になったので、衝動買いした。ケルト系のグループで心が震えるような美しい曲が多い。活躍したのは、1980年代でベテランのアーティスト。ファーストアルバムだけエンヤが参加していたそうだ。買ってよかったと思う。

新しいことや楽しいことに気持ちが向かない。それでも、少しずつ歩いて行こうと思う。散歩するような早さでね。去年までは、深い崖っぷちの横をを全力疾走するような生活(仕事)だったから。スピードを落とすと目に入ってくる景色が違う。

P.S.今から思うと、よく崖から落ちなかったなと思う。良かった。もっと早くスピードを落とせば良かったのが反省。

2013年6月14日金曜日

心と体の持ち方


最近は、午前中、一時間ほどのウォーキングの間にカフェでの二時間ほどの読書をはさんで過ごせるようになった。引きこもり生活から少しずつ、リハビリが進んでいる。コンスタントに体を動かせるようになったのが効果をあげているのだと思う。病気のついでに病気のことも含めて、色々な勉強もできるようになった。病気も悪くないね。

認知や脳、統計学と数学、カウンセリング、コーチング、研修の進め方、人相手のサービス業には役に立ちそうだ。もちろん小説もね。人相手の仕事に限らないとは思うけれど、提供するサービスが適切であるか、その質を担保する根拠が必要である。技術、理論、とかね。

同時に、人相手のサービスには、エモーショナルであまいな要素があったり、価値観や倫理まで視野に入る。だからこそ時には、ユーザーの背景にあるストーリー、同時に提供すべきサービスのストーリー、言わば物語が大切になる。まあ、それだけの理由で小説を読むわけではないけどね。

午前中の生活のリズムが安定してきたら、午後も外で過ごすようにしていきたい。今日は、思いきって、飛鳥の駅前にあるカフェまでドライブをした。もっとも、大好きなはずのドライブなのに心の底にずっと、抑うつ感が付きまとっている。やれやれだ。

ぼちぼちいこか、と言うのが関西人の決まり文句。

P.S.最近のスポーツ会の幹部の不祥事への対応を見ていると、リスク管理の勉強になる。ただ、その事より、気がかりなのはスポーツにおけるフェアの精神だ。子どもたちに向き合うとき、大切なのはフェアであることだ。私の経験では、子どもたちは、「ズルい」ということに敏感で、大人や社会や集団が本来フェアであるべきだということを本能的に理解できるのだと思う。