2011年2月20日日曜日

廃墟と呼ばれて


戻りたがっていたふるさとに結局戻ることはなかった。炭鉱の閉山とともに、人口も減り、いっしょに入院していた場所も廃墟と呼ばれ、写真のモチーフになった。この本「廃墟、その光と影」の解説に「時代の欲望と絶望の中で、置き去りにされた」と書かれてるけれど、少し違う。そこには、暖かでつつましい生活があり、未来への明るさもあった。何より、今でも私とその人の大切なふるさとである。

これまで潜んでいた感情が堰を切ってあふれた。今頃なのか、ようやくなのか、よくわからない。あなたの笑顔を見たら、とまらなかった。

2011年2月17日木曜日

バイバイ、またね。


大切な時に言えることは限られているのだろう。棺を閉じるときの言葉は、いつも心に思っていることや、いつも口にしていることだった。「バイバイ、またね。」

夜、珍しくアルコールを口にしながら時間を過ごした。小さな炎は、人の心を慰めてくれると思う。私は涙さえ流さなかったけれど、ざわついた気持ちを柔らかくしてくれた。

2011年2月13日日曜日

カモメが飛んだ


あっけないほど、何の前触れもなく、迎えの電車が到着した。これからは、むしろきちんとしたダイヤで物事が運ばれるのだろう。ふと電車ではなく、船の旅が良かったのではないか、お別れには虹色の紙テープがふさわしいのではないかと、何の脈絡もない想いが浮かぶ。病室からの景色のせいなのだろうね。

港にカモメが飛んだ。カモメにお別れはあるのだろうか。

2011年2月11日金曜日

雪の日


夜明け前に降り始めた雪が、風景の輪郭をあいまいにする。まるでその風景のように、私の心の奥に潜んでいる今の感情は哀しみよりむしろ、苛立ちだ。表に出さないようにしてはいるが、一番身近な人についそれを見せてしまうのは、甘えなのだろう。だまって食事に付き合ってくれる、あなたが居てくれて良かったと思う。

「明日も雪だと思う。」ベッドの人は、何も応えない。

2011年2月10日木曜日

駅員の証言


「今日が山場」と毎日のように言われて1週間が過ぎようとしている。主治医は、遅れている電車の言い訳をしている駅員のようだ。もちろん、彼のせいではない。テクノロジーでコントロールされてはいても、生命力の不思議さは、それだけで推し量ることはできないということなのだろう。

私はと言えば、電車を待つ間、ゆっったりと本を読んでいる。つまりそんな気分で過ごしている。

2011年2月9日水曜日

ベッド


小さい時、しばらく入院したことがある。ベッドには、僕が居た。勉強に遅れないように教えてもらったのが、「分数」だったと思う。妙なことだけ覚えているなあ。その時に付き添ってくれていた人が今は、ベッドで眠っている。

その時と違うのは、ベッドの中でさえ僕は、とても元気であったし、窓の景色もこれほど開けていなかった。何より必要な時間が過ぎれば、二人してこちら側に戻って来れたのだ。けれど、今度、病室を出る時、こちら側に戻るのは、僕だけなんだろう。

久しぶりの昨夜の雨で、公園に水たまりができている。ぼんやり眺めていると、気持ちが落ち着くような気がした。

2011年2月8日火曜日

三度目の夜


窓の外は、小さな港になっていてタグボートが並んでいる。小さな子供なら喜びそうな風景を楽しんでいると、なんだかホテルにでも居るようだ。現実には、夜中じゅうナースが出入りし、何かの電子音が遠くに聞こえている。
病室で三度目の夜を迎えた。医者も驚くほどの力強い心臓と肺が、お迎えを送らせている。私は、天候か、もしくは何かの事故で遅れている電車を待っているような気分で、それを待っている。多少の遅れはあっても、それは必ず来るのだ。

その電車が来たときに私は、乗ることができない。片道切符を持った乗客をひとり、ただぼんやりと見送るのだ。もしそこに運転手だとか、車掌が乗っているのなら、どうか安らかに送り届けて欲しい。私は、そう頼んでみようと思う。

2011年2月7日月曜日

病室にて


病室である。間もなく逝こうとする人を見守りながら、その傍らで、私は、締め切りのある書類に向かっている。こんな時に仕事をしている私は、何者だろう。こんな時にまで仕事を求められるという現実をどう解釈しよう。それでも、留守を守ってくれている職場のチームには、迷惑をかけているのだし、感謝の言葉もない。かたじけないでござる。

誰かを見送るとき、自分を責める人もいるかもしれない。もっと自分には、何かできることがあったのではないかと。それは、自然な心の動きであるし、心に思うことを止めることは難しい。けれど、残されるであろう私たちは、おおいに幸せになろう。「あなたのおかげで、幸せな人生であった」と、堂々と伝えよう。

こんな時に、ふさわしすぎる本「神様のカルテ2」を読んでいる。ひょっとして、こんな時のために書かれたのかもしれないね。

2011年2月4日金曜日

雪の華


自分のために生きるということは、難しいと思う。がんばろうとするときに、誰かのためにがんばるほうが楽なような気がするのだよ。誰かの役に立つとか、笑顔を返してくれるとか、ありがとうの言葉をもらえるとかね。とても励みになる。誰のためでもなく、ただ自分のためにがんばるというのは、とてもキツイことだし、それができる人間はとてもタフなんだろ。僕には無理だ。

少し疲れて自宅に戻りながら、徳永秀明がカバーしている中島美嘉のバラード「雪の華」を聴いていた。「誰かのためになにかを したいと思えるのが 愛」と唄う。そんな風に大切に思える人がいれば、人は生きていけるのだろうね。