2013年11月28日木曜日

時計屋の娘

このドラマは、古い手巻きの時計を中心にして物語がある。それに人と人の気持ちのすれ違い、東日本の大震災、生き残ったけやきがモチーフとして絡む。真面目なドラマだった。

先日買った(買ってもらった)時計は手巻きだ。当たり前だけれど、一日に数秒ずれる。そのズレがむしろ心地 よい。何もかもが、すべて正確に刻まれるのも窮屈だからね。一方で、時計のズレが一日に数秒だけという職人の技のもそれはそれで すごいことに違いない。

ズレについて考えた。自分のことは自分が一番、知っているのか、他人が見た自分とのズレ、時が経てば、昨日の記憶は曖昧になり錯綜する。ましてや「明日の自 分」を正確に思い描くことは自分にも他人にも難しい。

明日の自分を決める人生の節目、ターニングポイントがある。その節目を自覚的に自分で選択することを迫られることもあるだ ろう。その時だけは、他人が決める「自分らしさに」従うことはできない 。一方で、その節目ごとに他者との調整や意見交換が必要だったり、それ どころかトラブルにさえなることもあるからやっかいだ。

だからこそ自分が自分の選択をする時、知恵と言葉が大切になる。自分と他者のズレ、あって当たり前なんだろう。そのズレを丁寧に解きほぐすために、力技だけではない知恵と言葉を磨いておこう。それから普段使いのおもいやりもね。「おはよう」「ありがとう」必要なときに「ごめんなさい」と簡単な言葉をきちんと伝えればよいのだけどねえ。

自分の時計を見ていると「ズレていてどこが悪い」と言われているようで、爽快だ。だからこそ 、日ごとネジを巻き、時間を合わせるように、ていねいにどこかで自分の ズレを調整するのかね。

もっとも、はじめから自分らしさがあるのではなく、選択の繰り返しの轍が結果的 に自分らしさになるのだ。価値観、知恵と言葉、希望と勇気、友達の選び方、職業を選び時には辞める、いろいろひ っくるめて自分らしさなんだろう。でもね、どこかで今ある自分をぶっ壊したい衝動もある。そうね、とりあえず明日から「いい人」辞めます。(笑)

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