2013年10月26日土曜日

時代

田舎の叔父がなくなった。炭鉱夫だった叔父の肺は、じん肺でやられていて真っ黒、もともと状態は良くない。「水がたまって酸素を受け付けなくなっている。長くは持たない」と同級生だったいとこは電話で漏らしていたが、そのあとすぐに逝ってしまったと連絡があった。

「怖かおんちゃん」であった叔父の家は、私の炭住の裏手の土手を上がった隣街にあった。テレビを買ったのは坑内で働く叔父の家が先で、テレビ見たさに遊びに行った。叔父は、叔父なりの荒い言葉で私を可愛がってくれた。親も同然の人だ。

電気技師である父の給料は安かった。しかし炭鉱が斜陽になり閉山すると、つぶしのきかない炭鉱夫は、営業を続ける別の炭鉱に流れ、父は、技術者として大阪で職を得た。田舎に戻りたいと願っていた父は、母を亡くし、私と妹の生活の場所となった大阪を離れることもないだろう。

叔父は、定年後、故郷に家を構えて地元を離れることなく、近くに住む私のいとこである娘に見守られて、生活していた。一昨年、訪ねた時には、私が誰かわからなくなっていたけれど、一族で集合写真をとっていたら、後からやって来て、子どものようにちょこんとフレームのなかに収まっていた。叔父は家族に見守られながら苦しまずに逝ったようだ。良かった。

母を亡くしてからの父は、引きこもるようにして生活している。そして過労死の手前で病気になった今の私。時代には、それぞれの時代の背景がある。その背景は、後から振り返った方が冷静に見えるのか、逆に時が過ぎれば忘れ去られることもあるのか。リアルタイムで見据えた方が正確なのか。幸不幸は、あらかじめ決められているのか、偶然か必然か、努力次第で道は開くのか、そんなことを考えた。

私は、今、故郷に向かう新幹線の中に居る。大切な家族に会いに行き見送る。同時にそれは、ひとつの時代に会い、見送ることなのかもしれない。


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