2012年1月9日月曜日

炭鉱の街で


連休中は、持ち帰りの仕事をしながら、レンタルの映画を見て過ごした。原作の舞台は昭和の九州の炭鉱の街だ。映画では離島の炭鉱になっている。映画の風景の方が私自身の故郷の風景に近い。

島の炭鉱は、坑道が海の下に広がっている。隣の島まで続いていると聞いたことがあるけれど、ホラ話半分にしても、過酷な環境であるには違いない。街や商店街の風景、労働争議や外国人に対する偏見など映画に現れるシーンは、私自身の心のどこかに触れている。触れているけれど、暗いとか明るいとか、懐かしいとかそうでないとか、特別な感慨はない、ごく当たり前のことなんだ。

そのころの私はただのガキだったからね。あまり深いことを考える事もなかった。成長期に入り、日本の経済構造が変わり、炭鉱(ヤマ)が次々と閉じられ、人々が離散する、会社や社会の都合で私自身も含めて、生活の基盤が根こそぎ変わってしまう。あきらめという気持ちでもなく、ましてや何かに抗うような気持ちでもなく、淡々とその変化を受け止めていた。もちろん、父や母は、親としてもっと切実な思いや苦労もあったと思う。

ただ、そういった時代の空気は、私の生き方に、影響を与えているような気もする。どこか、失われるということに執着できないというのか、他者のかかわりが苦手だとかね。ともかくも、ただのガキだった私は、どれだけ歳を重ねても、たいして成長しないまま、あいかわらずガキのままだ。仕事や立場上、とり繕ってはいるけれど、少しも成長していない。自分の内と外を使い分けるくらいの賢さは身に付けようとは思うけどね。

作品の質は、ともかく、つい色々なことを考えてしまう映画だった。

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