2011年2月7日月曜日

病室にて


病室である。間もなく逝こうとする人を見守りながら、その傍らで、私は、締め切りのある書類に向かっている。こんな時に仕事をしている私は、何者だろう。こんな時にまで仕事を求められるという現実をどう解釈しよう。それでも、留守を守ってくれている職場のチームには、迷惑をかけているのだし、感謝の言葉もない。かたじけないでござる。

誰かを見送るとき、自分を責める人もいるかもしれない。もっと自分には、何かできることがあったのではないかと。それは、自然な心の動きであるし、心に思うことを止めることは難しい。けれど、残されるであろう私たちは、おおいに幸せになろう。「あなたのおかげで、幸せな人生であった」と、堂々と伝えよう。

こんな時に、ふさわしすぎる本「神様のカルテ2」を読んでいる。ひょっとして、こんな時のために書かれたのかもしれないね。

2 件のコメント:

  1. はじめまして。
    「太平洋に米粒」のあかさたなさんの所でお見かけし、
    わたしも以前の記事を遡って拝読、
    pit-mさんを真似て過去記事に足跡を残すことにしました。

    この記事は胸がきゅんきゅんしました。
    書き手の書いた想いとは別のところで、
    いや、多少の重なりをしつつ、
    読み手は読み手の置かれている状況が読後感を増幅して
    きゅんきゅんさせてしまったのだろうと思います。

    自宅ホスピスで病気の父を看取り、
    現在母の介護では父の時のような決断はできないだろうと
    沈んだ気持ちでいるせいでしょう、
    キーワードがたくさん出てくるこの記事に
    不本意にも(笑)引っ張られてしまいました。

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  2. セイさん

    お返事がが遅くなってしまいました。
    googleのブログの仕様でコメントが迷子になっていたようです。
    今日(10/3)気が付きました。お恥ずかしい。

    この記事がセイさんの心のどこに触れたのか、私にわかるはずもく、
    ただ、そんなこともあるのだろうなとぼんやり考えています。

    そうですか、あかさたなさんのところから来られたのですね。
    ほとんど、訪問者もいないブログなので少し驚きました。
    セイさんのページも過去ログから順に読んでいるところです。
    ここ(http://noonesei.exblog.jp/1751623/)まで来ました。
    今(現在)に追い付くには、しばらくかかりそうです。(笑)

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