病室である。間もなく逝こうとする人を見守りながら、その傍らで、私は、締め切りのある書類に向かっている。こんな時に仕事をしている私は、何者だろう。こんな時にまで仕事を求められるという現実をどう解釈しよう。それでも、留守を守ってくれている職場のチームには、迷惑をかけているのだし、感謝の言葉もない。かたじけないでござる。
誰かを見送るとき、自分を責める人もいるかもしれない。もっと自分には、何かできることがあったのではないかと。それは、自然な心の動きであるし、心に思うことを止めることは難しい。けれど、残されるであろう私たちは、おおいに幸せになろう。「あなたのおかげで、幸せな人生であった」と、堂々と伝えよう。
こんな時に、ふさわしすぎる本「神様のカルテ2」を読んでいる。ひょっとして、こんな時のために書かれたのかもしれないね。
はじめまして。
返信削除「太平洋に米粒」のあかさたなさんの所でお見かけし、
わたしも以前の記事を遡って拝読、
pit-mさんを真似て過去記事に足跡を残すことにしました。
この記事は胸がきゅんきゅんしました。
書き手の書いた想いとは別のところで、
いや、多少の重なりをしつつ、
読み手は読み手の置かれている状況が読後感を増幅して
きゅんきゅんさせてしまったのだろうと思います。
自宅ホスピスで病気の父を看取り、
現在母の介護では父の時のような決断はできないだろうと
沈んだ気持ちでいるせいでしょう、
キーワードがたくさん出てくるこの記事に
不本意にも(笑)引っ張られてしまいました。
セイさん
返信削除お返事がが遅くなってしまいました。
googleのブログの仕様でコメントが迷子になっていたようです。
今日(10/3)気が付きました。お恥ずかしい。
この記事がセイさんの心のどこに触れたのか、私にわかるはずもく、
ただ、そんなこともあるのだろうなとぼんやり考えています。
そうですか、あかさたなさんのところから来られたのですね。
ほとんど、訪問者もいないブログなので少し驚きました。
セイさんのページも過去ログから順に読んでいるところです。
ここ(http://noonesei.exblog.jp/1751623/)まで来ました。
今(現在)に追い付くには、しばらくかかりそうです。(笑)