2011年8月28日日曜日

故郷


田舎に帰った。私は九州の小さな島で生まれ、40年前に家族で大阪に引っ越した。今回は、里帰りというより、年老いた父の体力があるうちに故郷の土を踏ませたかったのだ。同じように年を重ねている親せきにも会わせておきたかった。特に父の妹になる叔母は、父の帰郷をとても喜んでくれたし、本当に来てよかったと思う。いろいろと段取りをしてくれた、同い年のいとこには、とても感謝している。ありがたいなと思う。

父も、妹も、私も、母を亡くしてしまったことの整理がついていない。多分ね。家族みんながどこかで自分を責めているし、そのことに区切りをつけたかった。私たち家族にとって、これは慰霊の旅であり、自分を許す旅なのだろうと思う。あまり心境の変化があったとは思えないけど、少しずつ何かが変わってくれると願っている。


私自身田舎に戻るのは、記憶にないくらい久しぶりの事だ。都会と違って、田舎では、叔父叔母、従兄弟は、もっと家族の関係に近い。不義理をしているなと感じながらも、自然に田舎の言葉になる。「私があんたの子守ばしたとやもん」と末の叔母の話、「自転車で川に落ちたやろ、あんときは死んだと思うたばい」とか、そんなこと覚えていないよねえ。

気を使わないでと伝えておいても山ほどのごちそうが待ち構えていた。写真のまんじゅうは7、8個も食べた。ダイエットしているからなんて言い訳が通じるわけないし、なによりうまかった。(笑)


田舎はかつて炭鉱の町だった。住んでいた炭住(炭鉱住宅)は町営の住宅になっている。中には、住む人もいないまま朽ちようとしている建物もある。遊び場だった路地、裏の土手、坂の通学路、何もかもが小さく感じられる。「小さいね」と妹と言葉を交わしながら、幼かったころの妹の姿を思い浮かべてみたけれど、うまくいかない。結局、どれが自分のうちだったかわからない。なにせ、みんな同じ作りだからね。


墓参りや、せっかくだからと近くにある小さな鍾乳洞を訪れ、隣の島にドライブして「炭鉱記念館」の人に話を聞いたり、少し観光気分も味わった。妻と息子は、私が親せきのところで過ごしている間に、小さな教会を訪ねたらしい。キリシタンは多い。うちの墓なんて、同じ台座に仏式とキリスト教の墓標が立っている。まあ、宗教に対してはおおらかなのだね。


ともかく、妹家族を合わせて総勢9人の旅で、小さなトラブルもあったけれど、終わってしまえば、笑い話だ。家族の恥になるので、言わないけどね。ほんとに笑いの絶えない旅でよかった。

母さん、故郷はどうでしたか。旅の間、母さんと過ごせて良かったと思う。だけど僕には、よくわからないです。なんだかよくわからないままです。

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