2014年6月9日月曜日

学生街の喫茶店

この街を訪れたのは何年、数十年ぶりか。母校であった大学は、今は山手の広々とした場所に移転している。宿泊した旅館は大学を受験するために40年前にも利用したことがある。

早朝、近くを散歩した。かつての母校は私 立高校になって朝練の学生が自転車で門をくぐっている。大学前の喫茶店は、閉じられたようだ。下宿の跡地には、綺麗なアパートが建っている。かつて一杯のコ ーヒーで粘って詩を書いていた喫茶店はステーキ屋に代わっていた。なんだか自分だ けが取り残されたような気がした。そのくせそれがとても心地よい。不思議だな。

来月、大学の正門からダラダラと下がってゆく商店街の催し物でライブをすることになった。奇遇だけどその大学の跡地に立った高校との共催らしい。複数のグループが参加するので、持ち時間はほんの10分程度だけど、ギター、パーカッション、ボーカルだけの昔のメンバーで出ることになった。

オリジナルをやりたいところだけど、ベース、キーボード、サイドを集めてやる時間の余裕もなかった。それでも短い時間で聴き手に楽しんでもらうために、今回のライブは70〜80年代のヒット曲をメドレーにすることにした。今回はその打ち合わせだ。選曲、つなぎのコード、あれこれ考えるのは楽しい。自分で選曲しておいてなんだけど、「赤いスイトピー」とかだからね。

オリジナルは、少し時間をかけて録音しようと考えている。メンバーもそれなりの年齢になったのに不思議だけど、声をかけるとすぐにかつての音楽少年や音楽少女に戻る。楽しみだ。


2014年5月21日水曜日

平和ボケ その2


この国が平和ボケだと云う議員は多い。言い方を変えると平和ボケじゃない国を目指そうということなんだろう。その平和ボケじゃない国とはどこだろう。

世界の警察を自認しながら結果的に世界にテロの芽をバラまいた米国か、民族の分離独立を理由にウクライナの一部を併合したロシアか、航空識別圏、国境の拡大を図る覇権主義の中国か、反日を国是として国民の安心と安全に目を向けない韓国か、他国民を拉致し核で他国を脅す北朝鮮か。

EUは、NATO傘下で集団的自衛と戦略組織となり、永世中立国スイスの軍隊は「時間外」にはスクランブルしないらしい、アフリカでは内戦とテロで子どもたちの命は軽い、南米では麻薬と汚職が当たり前で、国連の常連理事国は核保有国だ。

この中のひとつくらいは、きっとこの国のモデルになってくれるのだろうけど、具体的にはどのへんを参考にすれば良いのか識者に教えてほしいと、平和ボケの僕は教えてほしいと思う。

外交というのは「大人」の流儀だ。笑顔と握手の裏で駆け引き、腹の探り合い、妥協、策略を巡らせる。単純に軍事力だけで解決できるわけもない知恵のゲームだ。政治、経済、文化との合わせ技による高度な戦略を求められる。

脱「平和ボケ」。この国の政治家は、どうも子供にもわかるような単純な論法でこの国の舵取りをしているように見えるのだ。
先日、神様に「そこらへん、どうなんでしょう」なんてことをきいてみたけど、答えてもらえなかった。もう少し考えてみるよ。

2014年5月5日月曜日

友達の日



学生時代の山の友達と音楽の友達。大津でまちあわせて、名古屋から来た二人を駅でひろってドライブを楽しんだ。手始めに紫式部ゆかりの石山寺。こじんまりとしているけど歴史の重さを感じさせる。琵琶湖畔のカフェでオーガニック料理のラ ンチで腹ごしらえ。雨模様だけれど、琵琶湖の圧倒的な水量を感じるにはちょうど良 い。

近江八幡に車を走らせて、秀次の山城跡までロープウエイ。修復もしているのだろうけど立派な石垣だ。山を降りて「たねや」と「クラブハリエ」でおみやげを買った。時代劇のロケでも使われる八幡堀をちょっと覗いて、ヴォーリス設計の元小学校、現観光案内所を見学すると観光にふさわしい時間を過ぎた

ダメモトで車を転がして「ケイオン」で有名になった豊郷小学校に着いたら、閉館の時間だった。米原まで二人を送りそこで別れた。また遊ぼうと約束してね。

私は渋滞する名神高速道路を避けて琵琶湖畔道路を大津に戻った。陰鬱な雲の垂れ込 める琵琶湖は、むしろ、心を落ち着かせる。やがて琵琶湖の闇の中に対岸の街あかりが灯る。美しい。大津からは高速に乗って純粋に車と対話する。

先日、唐突に「会わないか」とメールがあって、「いいね」と話がまとまって会うことになった。私の体調を案じてくれたらしい。「十七年ぶりか」なんて話やバカ話や家族や健康の話、私らの年齢にふさわしい話題だ。山と音楽をいっしょにやろうなんて約束もした。少しワクワクする。

尊敬できる人間が友人であることは幸運なことだ。良い友との良い一日だった。感謝

2014年4月30日水曜日

時代


録画していた「北の国から'98時代」を見た。純とシュウの危うく切ない恋、蛍と正吉の結婚、草太の死、いろいろなエピソードに絡んで、農家の苦労だとか、若者の就労、離婚や出産、社会の在りようが物語として紡がれる。

この物語にはいつも励まされてきた、富良野の風景や自然に励まされてきた。なんとか生きて行けるよね、生きていることは正しいよね、そう思える。

正吉がかっこいいな。それからシュウのテーマ曲が切ない。時間ができたら北の国へ行こうかなんて考え始めている。行こうかなと思う。そうして自分を取り戻すのだよ。

2014年4月20日日曜日

パートナーが居ない午後

パートナーは、友人と旅に出た。私は、所在なく県境を二つ超えて車を飛ばし、とあるブックカフェに居る。「君は僕の太陽だ」というのは切実な話だ。定点観測する太陽がなければ、自分の位置がわからないし、自分が誰だかわからない。かと言って、自分が何者かでいようなんて、退屈だし疲れる。

そうこうしているうちに窓の外は雨。冷たい雨に打たれたら、自分の輪郭ぐらいは、わかるかもね。「空気のような人」という喩えだって、もし空気がなくなれば、僕は死んでしまうのだから、ことは緊急を要する。何だか、息苦しくなってきた。

大切な人がそばに居ないだけなのに。

2014年4月6日日曜日

散歩と統計学

「この世で一番おもしろい統計学」は、コミック形式で統計学の本当に必要なポイントをわかりやすく伝えてくれる。統計の基本的な考え方を理解できるから、データの集め方も参考になる。考え方さえわかればデータ処理そのものはエクセルとかでやってくれるから、難しい数式は要らないと思う。

桜並木の道は散歩コース。今日は誰もいないけれど、昨日の同じ時間には10人ほどが歩いていた。平均すると5人だ。しかし、経験的に毎日それだけの数の人に会うことはない。せいぜい一人か二人。つまり2日間だけではデータとなる母集団が少ないし。週末で桜の時期だから、サンプルそのものが無作為ではない。

おそらく、年間を通して同じ時間に集計するとかなり精度の高いデータになるだろうし、10人と出会う確率は、5パーセント以下だろうなんて推測もできる。まあ、歩きながらそんなことを考えましたとさ。


2014年4月5日土曜日

繋がる力


いつものカフェで読書、集中しようと思ってパソコンは開かずに、読みかけのも含めて3冊の本を読んだ。ひとつは幸福学、ひとつは子供の貧困、ひとつは震災のレポート、共通するのは、幸せは、だれかとちゃんと繋がることで生まれるというテーマだ。

震災では多くの繋がりが断ち切られたけれど、その悲しみを軽くするのは誰かとのつながりだ。貧困を背景に家族の繋がる力が失われ、子どもたちに貧困と孤立の連鎖を生む、その現場で子どもたちに繋がろうとするひとたちがいる。

誰かのために自分の財産や時間を使おうとする人は、より幸福感を感じるという幸福学の知恵がある。私は今、繋がりすぎて少し壊れた自分の心に、エネルギーを溜めているところだ。その準備がないと、仕事が続かない。

優しさと幸せを売るのが私の商売だからね。大して難しい商売じゃない。誰かと繋がって誰かのために頑張るのは案外、簡単なことなんだ。人類にはそういうDNAが組み込まれているらしい。手始めに、まず、自分に笑顔を取り戻そう。(笑)